2011年1月15日、化学物質運搬船サムホ・ジュエリーがソマリア沖で海賊に乗っ取られた。韓国海軍特殊部隊による「アデン湾の黎明」作戦が成功し、船長は銃撃戦により重症を負ったものの、乗組員7人はシェルターに逃れていて無事だった。海賊の方はというと8名は射殺され、5人が身柄を拘束されて、韓国へ護送されてきた。初公判の日、身長180cm以上で細身の典型的アフリカ人男性5人は縄で縛られた状態で、両脇を捜査官に固められたまま2~3メートルずつ間隔を置いて、全員法廷に入ってきた。5人は韓国内に2人しかいない通訳から「決して笑顔を見せてはいけない」と厳重に言い渡されていた。
実は5人がマスメディアに姿を現したのは、その日が初めてで、事前の情報では、5人は韓国での生活を結構楽しんでいるようだった。
「もう、ソマリアには帰りたくないよな。」
「そうだよなあ。食べきれないほどの食事が一日に3回も出るなんて、生まれて初めてだぜ。」
「生まれて初めてと言やあ、雪を見た時には、もうだめかと思ったが、部屋ん中じゃ半袖でもいいくれえだな。」
「何でもオンドルとか言って、この国に昔からある床暖房みたいだぜ。」
「ああ、国の家族にもこんな快適な暮らし味あわせてえなあ。」
「それによ、船長を搬送してた救急車見たか?」
「そう言や、えらく頑丈そうだったな。」
「ありゃ、310D型だぜ。」
「何だそりゃ。」
「メルセデスベンツだよ。」
「一生ここで暮らしたいよな。」
「まったくだ。」
なんて、会話がなされたかどうかは不明だが、その後主犯のアライ被告の判決が無期懲役となり、他の4人からは羨望の眼だったかも知れない。