小説

初恋 by Miruba

孝が生まれたのは、九州の熊本。両親の影響で色々なジャンルの音楽に触れる機会が多かったからか、子供の頃から音感に優れていた。物心ついた頃にはギターを欲しがったが、中学になるまではだめだと諭され、孝は自分でギターらしきものを作り、それを弾いて加山雄三の真似をして遊んだものだった。


また、家が海のそばということもあり、泳ぐことも大好きで、夏だけでなく、ツツジの終わる春ごろから、コスモスの花散る秋ごろまで、真っ黒になって泳いだ。水泳の地区大会ではいつも優勝をするほどだった。


地元の高校に入っても相変わらず水泳を好んだが、泳げない季節にはサーカーをやった。
孝のキックしたボールが外れて、少し離れたテニスコートに飛んでいく。ボールを拾ってそっと手渡してくれた少女・裕子の目を、孝はまともに見ることが出来ない。


裕子は孝の初恋の相手だったからだ。
彼女もはにかんだように、それでも孝の目を覗き込む。
互いに触れた手と手が、心臓を締め付ける。
告白できるわけもなく、また言葉が交わせないかと、わざと裕子のほうにボールを蹴ったりした。


だがそれもすぐに別れは来た。
孝の両親が広島に住むことになったのだ。


「いつかきっとまた逢いに来てね」
「いつかきっと結婚しよう」
別れの時がむしろ二人を大胆にさせ、切なく別れを惜しんだ。


専門学校に進学したが、友人のいない広島で、孝は寂しさに耐えられず、ギターを抱えて路上ライブをはじめた。曲は裕子に聴かせたいと思ってつくった自作の歌ばかりだった。
音楽好きが高じて楽器販売の会社に就職した孝は、来る日も来る日もピアノの調律をした。耳が良かったので、その調律には定評があり、「音が良くなるので次回もお願い」、と調律の予約が半年先まで埋るほどだった。
250本のピアノ線を一本一本音を合わせていく地味な作業だ。それでも、興味が尽きなかったのは、調律し終えた時の達成感がたまらなかったこともあったが、そのピアノの所有者家族に、たくさんのドラマが隠されていたからだった。それがまた、弾き語りをする孝の人生の勉強になったのかもしれなかった。


路上ライブが少しずつ有名になってきて、孝は地元中国地方の放送局でDJをすることになった。孝の甘い声は、リスナーの心を癒した。


ある日、ラジオ番組の中で読み上げるリクエスト葉書の中に、「裕子」という名前を見つけた。
_リクエストは「一目ぼれ」をお願いします。_
孝は、裕子の葉書に書かれてあった住所に手紙を出した。
「逢えませんか」
しばらく手紙のやり取りがあったが、DJなどをしているくせに、孝は裕子に臆病だった。
裕子からのリクエストがあると、心が浮き立ち、切ない思いを歌に出来るのに、なかなか積極的に逢いにいけないのだった。


それでもいくつか季節を越え、孝は、中国地方の広島港から、船で松山へ向かった。
裕子がそこに移り住んだと聞いたからだった。


松山行きフェリーは嵐で揺れた。


やっとたどり着いた港に待っていたのは、手紙ではわからない、裕子の姿だった。
長い髪をまとめて、左胸のほうへたらし、ベージュのコートと同系色のスカーフが粋だった。
すっかり魅力的になった裕子。孝は嬉しさに震えた。
裕子もまた、孝を気に入った様子だった。時々の手紙のやり取りが、長い付き合いのようで、違和感もない。二人は空白の時間を埋めるように語り合った。
そのままずっと二人でいたかった。時間が止ればいいと思った。


だが、帰りの船に乗る孝に、裕子が逡巡するように言った。


「私、婚約したの」


孝は、恥ずかしさで渡しそびれ、ポケットに入れたままだった指輪を、海に投げ捨てた。


その後もずっと中国地方のラジオ番組で自作の曲をギターで弾き語りしていた孝は30近くになってスカウトをされ、ヒット曲にも恵まれて、テレビにも出るようになった。
ライブ公演のチケットは瞬く間に完売する。順風満帆のようにみえたが、ある日ステージで倒れた。


孝は遠くから人の呼ぶ声を聴いた。
眠いのだが、その声には聴き覚えがあり、寝てはいけない、起きて返事をしなくてはいけない、と感じ、やっとの思いで目を開けた。


そこには、20年前にあの松山へ渡った船から見た、裕子がいた。
偶然にも、彼女の働く病院に担ぎ込まれていたのだった。


「そうか、君は看護士だったね」


「頑張ってね、病気に負けちゃだめよ」優しく微笑む裕子が眩しかった。


「君は離婚したんだってね。噂に聞いたよ。


もう遅いかもしれないが・・・・


今度は僕と一緒になってくれないかな。高校生のときに、約束したじゃないか」




裕子は、涙を浮かべ、深くうなずいた。




ーーーーーーーー
この物語はフィクションです。
が、物語のモデルはいます。


1999年6月24日、高血圧性脳内出血で天に召された村下孝蔵さんをしのんで。