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小説

懺悔もしくは告白、それから説明など by 寿月

 蛇が現れたのは、私が初潮を向かえた日の明け方のこと。下腹部の鈍痛に加えてなんというのか自分の身体の生々しさを受け入れられないような気持ちもあって悶々としながら寝返りを繰り返しておりまして、窓から覗く空が白々としてきた頃、ふと天井を見ましたらそこにぶら下がっていたのでした。私の目の前に頭があって、規則的に細く赤い舌がちろちろと出たり入ったりしており、その舌先が私の鼻頭に触れそうで触れないそんな距離。不思議と怖くはなく、蛇だな、とただ認識したという感じでしたが、それから蛇は毎夜ぶらさがっているのです。成長し一人暮らしを始めても恋人といても、結婚して夫と共に眠るようになっても、蛇はそこに居続けております。


 私の母方の祖母は杉林に囲まれた過疎村で、最近まで一人暮らしをしておりました。生娘の頃は巫女をしていたらしく、しかし巫女になるずっと以前から不思議な力があったようなのです。たとえば、村の作物の豊不作を予知したり、どこそこの家で近々死人がでるというようなことを言いだしたり。けれど私の祖父と結婚してからは、その力はすっかり影を潜め、いたって普通に暮らしていたようです。再び力が現れたのは、祖父が若死にしていわゆる後家になってからのこと。村の人たち相手に祈祷や占いをし、御礼金で一人娘である私の母を養っていたのでした。母が家を出て、そうして歳をとってからは、杉林の婆様と呼ばれて村の人たちから慕われていたようです。
 しかし最近の祖母はというとすっかり耄碌していて、諸々を垂れ流しながら施設暮らしをしております。
 私は子供の頃、学校が長期休みになりますと一人で村に行って、祖母の家で暮らしました。祖母が大好きなのでした。あの、何ものをも見透かすような目にみつめられると、怖いようなそれでいて安心するような気持ちになったのを覚えています。けれど年頃になって、ちょうどそう、あの蛇が現れた頃から足が遠のいてしまったのです。


 母から電話が来たのは二月末のことでした。施設に暮らす祖母が、どうしても私に会いたがっているというのです。私は売れない物書きですので、行こうと思えばその日のうちにも行けたのですが、何故か気が乗らない。延ばし延ばししていたところ、蛇が「行け」と言うのでした。言葉というか音なのですが、頭に直接響くのです。「行け」は「こい」に聞こえることもありました。時々、蛍光灯の紐と間違えて引っ張ってしまうほどに、これまで蛇はいつでもただぶら下がっているだけでしたのに、夜な夜な天井から音を降らせてくるのです。


 久しぶりに会う祖母は骨と皮だけになっておりました。しかし私を驚かせたのはその窶れぶりではなく、祖母の全体に蛇が、様々な文様の蛇が巻きついていたからです。
 祖母は、にたあ、と笑って、お前にもみえますね、と言いました。それから、すぐにあの村の家から小槌を持ってきてくれないか、と言うのです。小槌って何?と私が尋ねますと、振ると願いが叶うのだ、と答えました。認知症もいよいよここまできたか、と思いました。なので私は、花粉症持ちだから、この時期杉の木だらけのあの村に行くのは厳しい、と言いました。もちろん断るための嘘でした。しかし祖母は全く聞き入れません。とにかく急いで、の一点張りでした。話が全く理解できないままに、しかし切迫した真剣味は確かにあって、私としても虚言だと流しきれないものがありました。
  桃の節句が過ぎた頃、私はあの村に向かいました。小槌など見たこともないのに探しようがないと思っていましたが、家の中に入ってみますとそこにも蛇がいて、私はその後をついて歩くだけでよかったのです。小槌は二階の一番奥の和室の天袋にありました。蛇に促されて小さな箱を開けますと、ああこれが小槌、というようなまさしく小槌が入っていたのです。私はそれを抱えてすぐに来た道を戻りまして、その足で祖母の暮らす施設に行きました。が、私が到着するほんの三十分ほど前に祖母は亡くなっておりました。今の今、ご連絡を入れていたところでした、と職員さんがおっしゃって、それから私に白い封筒を差し出しました。祖母から預かっていたというのです。私はその場で封を切りました。中には白い便箋が一枚、そこにはこう書かれておりました。


「目的を誤るな」


やっとやっと書いたというような震える文字でした。


 これは言い訳にしかならないのですが、通夜や葬式の準備やらで忙しかった、祖母の手紙の意味など考えている余裕が本当になかったのです。疎遠になっていたとはいえ、祖母の死にショックを受けてもおりましたし。
 確かにその間も蛇は私に何かを伝え続けていました。何故他の人には聞こえないのかと思うほどの大きな音で。でも正直に申しますと、鬱陶しいのでした。それどころではなかったのです。だから蛇の声を、まともに聞こうとしておりませんでした。それが私の一つ目の過ちです。


 あの日。あの揺れの時、私は母の家におりました。母は祖母の死にすっかり参ってしまい動ける状態ではありませんでしたから、私が家事などをやりながら、お寺や葬儀会社と初七日の段取りの打ち合わせをし、それから書きかけの小説を前に必死に頭を捻っておりました。
 突き上げがきて、あ、と思っているまに横揺れとなって、家の中のあちこちから何かが割れる音が聞こえてきました。身体が左右に揺さぶられて、お母さん!と叫び、母が臥せっている和室に飛び込んで、それから二人で外に飛び出しました。家の前の道路がまさしく蛇のように蠢いておりました。
 東北の惨状が刻々と報道されておりました。日を追うごとに被害が膨らんでいきました。巨大な力に翻弄され揺さぶられ流され燃され、消えていく様々やなすすべもない人々を目の当たりにし、それまでの価値観がすべてひっくり返されました。ただただ恐ろしかった。


 しかし私が恐ろしく感じていたのはその惨状ではなく私自身であります。
 実は、あの大震災が起こる前に、私はあの小槌を、振ってしまっていたのです。


「価値観がひっくり返るような出来事がおこりますように」


これが私の二つ目にして最大の過ちです。


 もう随分長いこと息詰まっていたのです。原稿用紙を前にしても何も浮かばない、何のアイデアもでない、自分の平凡さに嫌気がさしていました。焦っていたのです。それにまさか本当に「振れば願いが叶う」などとは思っていなかった。何を言っても言い訳にしかならないことは承知しています。でも、私は本当に何もわかっていなかったのです。あんな事になるなんて。あんな事が起きるなんて。


 蛇から全てを聞かされたのは、いえ、私が蛇の声に耳を傾けたのは、何もかもが起こってしまった後のこと。蛇は言いました。「満足か」と。
それから、小槌は祖母の家に代々受け継がれてゆくもので、おそらく祖母が自分の寿命が尽きることを悟って私に託そうとしたのではないかと言いました。もしかしたら婆様はあの地震を予知していて、その小槌で食い止めようとしたのかもしれない、とも話します。しかし婆様は託す人間を間違えたな、と蛇は笑ったのでした。
「婆様はお前を過信していた。お前にも自分と同じような能力があってそれを良い方向で使うだろうと信じていた。けれども私は違う。お前が私の声に耳を傾けることもなく、日々自分のことばかりにうつつをぬかしているのを、こうしてぶら下がって長いこと見てきたからな。お前は欲に溺れている。そんなやつが小槌を持てばどうなるかは、どの蛇がみても明々白々」
蛇は舌をちろちろさせながら言うのでした。
 とても信じられる話ではないでしょうが、しかし実際目の前に蛇がいて言葉を話し、そして小槌はあって、私は願いを込めて振ったのです。


 最近になって気がつき愕然としたことがあります。私は復興云々について一度も小槌を使っていないということ。それなのに月日が流れるほどに小槌の誘惑が強くなってくるということ。これはつまり私の欲深さの証明です。願って振れば叶う願って振れば叶う、願って振りさえすればなんだってできる!結局自分のことしか考えていないのです。
 あああ、本当に蛇の言っていたことは正しかった。私に小槌など持たせてはいけなかったのです。私は私が小槌を持っているということが一番恐ろしかった。
 これを読んで下さる方がどなたかは存じませんが、これも何かの縁だと思い、どうぞこの小槌を貰ってやって下さい。そして目的を誤らず使っていただきたい。その願いを込めて私は小槌と共にこれを海に流します。あなた様が私とは違い、欲に溺れず本当の意味での優しさ逞しさを持った方だと信じております。どうか目的を誤らずに、軽はずみにご使用なさいませんよう。宜しくお願いいたします。


                  <了>