エッセイ

レモン  by Miruba



高校生の時だから、もうかれこれ数十年前、一昔が10年とすれば4つ昔にもなろうかという太古の昔。
それほどでもないか、とはいえ、あっちが痛いこっちが調子悪い、アレも忘れたコレも忘れたなどとつぶやく毎日、おのれの体調の違いの今と昔を考えれば十分にロングロングアゴーの話だ。




前振りが長すぎて、いったい何の話をしようと思ったのか・・


話す前から忘れた・・・
そうそう、富士山だ。
最近世界文化遺産に登録されたとかで、大騒ぎ。
富士山が世界に認められたようで、嬉しく、誇らしい。


思えば夏冬とマッターホルンやモンブランのアルプス山脈には、何度も行った。
ガヴァルニー渓谷やペルデュ山のピレネー山脈も旅行したことがある。
どこも美しく荒々しく魅力的だった。


だが、富士山のあの荘厳に満ちた稜線には・・ごめんなさい、どこの山も負けちゃうと身びいきは思う。
山脈ではなく単独の山の持つ凛々しさだろうか。


昨今テレビで見る富士山の映像にはどれも街中のラッシュ並みに登山客が溢れていて、山の自然は守れるのかと不安になるが、これほど有名になったのでは致し方ないのかもしれない。


さてざっくり戻って、高校の時だ。
私が通っていた高校は富士山近くに寮をもっていて、夏の林間学校は富士登山と決まっていた。
今ならなんだかんだ理由をつけて登らない生徒もいそうだが、当時は拒否は許されない全員登山だった。


前日5合目までのハイキングの後、
今度は5合目までバスで行って、8合目まで登り、山小屋で一泊。
夜中に山小屋を出て頂上を目指し、ご来光を拝み下山する、という行程だった。


運動部の人と違って、普段から体操以外、いや体操の時間もまともに走ることのない音楽と絵画専門の我らが芸術クラスは、はっきり言ってほかのクラスのお荷物になるとみられていた。


前の日のハイキングでさえ、他のクラスの生徒達は笑顔で楽しんでいるというのに、「もうダメ、死んじゃう」と、ブータラ文句をいう奴らばかり。
案の定当日は7合目に差し掛かる頃にはみんなヘロヘロ。
私も頭が痛くなってきて、完全に高山病にかかりかけていた。


すると担任の先生が、休憩のときに私たちクラスの全員にレモンを配った。
洗ってあるから皮のままかじれという。
酸っぱいのが嫌いな友人はそのままポケットに仕舞おうとしたほどだ。
だが、「先生が旨いぞ」と言ってかじったレモンのかおりがそこらじゅうに漂うと、だれもが我先にと皮のままかじりはじめた。
疲れた体が、何かを要求したのだろう。


ああ、何ということだ。
あの酸っぱいレモンがむしろ甘いのだ。
え?レモンの形をしたはっさく?新種の甘いレモン?


酸素不足で澱んだ頭の中に鼻腔から入り込むレモンのさわやかな香りは、私達を元気づけた。
他のクラスの生徒達が、8合目でリタイヤし、引率の先生と伴に下山していく中、ビタミンCが免疫能力をも引き出したのか、私達のクラスは誰一人脱落することなく登頂したのだった。


夜中の登頂はそれでも寒くて震えた。
今のようにホカロンもダウンジャケットもない時代だったので、新聞紙をタオルで巻いて、セーターとジャンパーの間、背中の部分に入れ込んで、暖を得た。
これも担任の先生が出発前に多めに用意するよう助言してくれていた。
先生は、私たちをなんとしても全員登山させたかったのだろう。
レモンを生徒の数だけ45個もリュックに入れておくなんて重かったろうし、当時は高いレモン、安月給の先生の懐も痛んだろうと、今なら思う。




「先生のクラスは優秀ですな」
教頭先生に褒められ、まだ若い我らの担任先生がちょっと誇らしげに笑顔を見せて、それを見た私たちもなんだか嬉しくなった。流石先生だね。




山頂では雲が海の荒波のように下方に見えるいわゆる雲海の景色にも感動したが、通常太陽の光は雲の隙間から落ちてくるものなのに、雲の間から太陽の光が天に向かってライトのように伸びていくのだ。
ご来光の美しさには、高校生だった私達でもつい手を合わせて拝んでしまうほどの迫力だった。




下山して寮に戻ると、8合目でリタイヤした他のクラスの生徒達が、降りてくるんじゃなかったと悔しがる。
高山病なので、標高が少し下がっただけでその症状は治ってしまったというのだ。でも、それは結果論。
夏の富士山だってやはり無理は禁物だ、山は下りる勇気が必要だと言われる所以だ。


夜はキャンプファイヤーだった。みんなで歌って踊って大騒ぎ。
教頭先生達はどこかの部屋で一杯やっているのだろう、我らが担任先生だけが見張りをしてくれていた。
生徒の一人が花火を持ってきていて、先生が火をつけてくれて打ち上げ花火もやった。






朝、教頭先生に叱られている担任の先生を見た。
「打ち上げ花火なんて、火事にでもなったらどうするんです」


キャンプファイヤーをやっておいて、おまけに自分達は引き上げて一杯やってたくせに、私達の担任だけを叱るなんて理不尽。
先生が私達のところに来て頭をかきながら「昨日褒められて、今日叱られちゃったよ」ととぼけた顔をしたので、みんなで大笑いした。


先生のおかげで、みんな富士登山できたのよ。ありがとう、先生。


先生は50になったかならないかで亡くなった。
それでも、先生との思い出は、富士山にいっぱいつまっている。