小説

作り物の真実 by 夢野来人



「・・・であるからして、いつの世も真実は一つなのであります」


俺はW大学の一年生、まだ入学したてで、どんな講義を選択するか悩んでいる。今月中には履修届けを出さなければならない。それまでは、お試し受講が許されている。今は社会学の講義中だ。しかし、この教授、真実は一つって、今さら何を言ってるんだろう。真実が二つも三つもあったら、それではパラレルワールド、まるで空想の世界になってしまう。つまらないな。次の講義は何だ。


「つまり、この世はすべて幻であると、、、」
今度は精神分析の講義だ。幻って、この教授は昼間っから、酒でも飲んでいるのだろうか。幻が見えるのは、砂漠での蜃気楼ぐらいのものだろう。


「幻といっても、いわゆる幻視、幻聴、幻覚といったものではなく、、、」
なんだ、幻覚じゃないのか。では、いったい何なのだ。


「ここに机がありますよね」
教授は目の前の教壇をトントンとたたいた。確かにある。それが、幻だとでも言うのか。イリュージョンのように消して見せようってことか?


「これを机と思うのは、日本人のある程度の年齢以上の人たちだけなんです」
おいおい、何言ってんだよ。それは、世界共通、どこへ行っても机だろう。それをイスっていう国があるとでもいうのか。


「これは、アメリカでは机じゃないんです」
ちょっと、待てよ。元々、机なんてアメリカから入って来たものじゃないのか。日本じゃ、ちゃぶ台とか座卓みたいなものしかなかっただろう。


「アメリカでは、デスクと言うんですね」
なんだ。単なる言語の違いじゃないか。それは、どこでも机なんだよ。幻なんかじゃないよな。


「ところが、たとえばアフリカの未開地などでは、ただの木の塊でしかないのです」
それは、文明が発達していないからで、それを机であるということを知らないだけだろう。


「彼らは、これが机であることを知らないというわけではないのです」
何言ってんだよ。知らないだけだろう。


「我々日本人が、勝手に机と呼んでいるだけなんです」
何だよ、勝手にって。


「木の塊であるだけなので、使い方にしても、木の実を取るための踏み台になってしまうかもしれない」
いや、それは机の使い方を知らないだけだし。


「つまり、この木の塊が机として通じるのは、この日本だけ、しかも、それが机であると思い込んでいる人たちだけの間で通用することなんです」
おいおい、何か変だぞ。それが机であることは誰が見ても明白、そんなことは説明の必要すらないいわば常識だろう。


「その特定の人たちの間でのみ通じる思い込みを、共同幻想と言います。常識とは共同幻想の最たるものです」
おいおい、常識をみんなの思い込みだっていうのか。何言ってるんだよ。それに、それは確かに机であって、イスでもなければ踏み台でもないだろう。


「であるからして、人間は思い込みを通してしかコミュニケーションを取ることができない生き物であり、恋愛は男女の共通の思い込みの結晶と言えるのです」
えっ、恋愛? それは思い込みかも知れないな。何しろ好き合ってしまえば、あばたもえくぼだ。思い込んでいなければやっていられないよな。


「その共通の思い込みには相性というものがあります」
おっ、何だか恋愛談義になってきたぞ。この講義、なんだったかな。そうだそうだ、精神分析だった。こんなところで恋バナが聞けるとは思わなかったな。


「流行というものも、もちろん共同幻想でありまして、、、」
ああ、そうそう。あんなものは一部の人のデッチ上げだよな。みんなマスメディアに振り回されているだけだよな。


「とはいえ、流行が流行として定着されるためには、それを取り入れてくれる、共同化してくれる人たちが必要なわけで、、、」
そうか、共同化されなくては、ただのピエロになってしまうな。


「また、同じものでも、海岸での水着姿は自然でも、会議室での水着姿は不自然であり、、、」
あはは、そりゃそうだ。会議室に水着姿の美女が飲み物でも持ってきた日には、じぇじぇじぇだ。


「もっとも、恋人と二人だけの時に水着を来てもらうのは、特に秘密にすることでもなく、、、」
おっ、コスプレの世界だな。


「というわけで、この世に真実というものなどなく、それらはすべて特定の人たちによって作られた共同幻想であり、、、」
何だか、この教授とは、ウマが合いそうだ。