小説(三題話作品: くも かき氷 背後)

生きがい  by Miruba



パンを買いに出かけたのよ。


朝早く目が覚めたら天気もよさそうだし気分もよかったからね。


パン屋さんはアパートから歩いて3分ぐらいのところにある。
そこでばったり、お隣さんに出会ったの。なんとね、6,7年ぶりかも。
同じアパートに住んでいながら、顔を合わさないって奇跡みたいなものだけれど、私も何時も居る訳ではないし、100世帯はある大きなアパートだからあり得るかもね。


元々そのお隣さんとはほとんどお付き合いがないの。
エレベーターを待っている時など顔を会わせる髭の旦那は飲むと一転、
アルコール中毒で、あれ?、今は依存症とか言うんだっけ?
プラス家庭内暴力もあったらしく数回警察が来たことがあるほどだったから、
申し訳ないけれど、お付き合いしたくなかったってわけ。
一回なんか、背後から旦那さんが追っかけてきてるのを振り切って
うちの扉を奥さんがドンドンと叩いて、「警察呼んでー!」
なんて叫んだこともあるのよ。ほんと、おっかなかったわ。




久しぶりに会った奥さんはすっかりおばあさんになってた。
昔は有名なレストランに勤めていて、長い髪をきりっと止め、お化粧もきれいにして美しい人だったのよ。
整った顔は変わらないけれど、化粧っ気のない普段着の彼女はなんだか皺が際立ち、白髪の髪を無造作に箸!の棒で止めてあるのが、生活の乱れに見えた。


"Oh là là ! bonjour Madame,vous allez bien?"
"Quelle surprise!!ça va?"


「あらら!おはようマダムお元気でしたか?」


「なんと驚き!元気?」




二人で大騒ぎをして挨拶の後、買ったバゲットを省エネ袋にしまいながら、アパートまで連れ立って歩いたの。


「息子さんは?確か結婚なさいましたよね。」と私が水を向けると、




奥さんは通り道の途中にある小さな公園のベンチに私を誘い座って話し始めたの。
やだ、朝食のクロワッサンを早く食べたいのに困るわ、と思ったけれどお顔が深刻でね。しかたなかったのよ。


なんでも旦那さんとは離婚したのですって。暴力が酷かったみたいだから当然ね。
フランスの子は18才にもなれば自分でアパートを借りて親元から離れるというのが常識だけれど
別れた旦那さんが時々酔っぱらってやってくるので、お母さんが心配なこともあり、ずっと一緒に暮らしてくれていた息子さんはそれでも30にもなった頃結婚したということは聞いていたの。


ところが息子さんは神経が細い人で、ドラッグに手を出してね、結局仕事も転々として今は病院に入院しているのですって。
運命とは不思議なもので息子さんも離婚していて、お嫁さんだった人はどこかに行って音沙汰もなくなっていたらしいの。




今年の1月、不吉なかんじの黒いくもの立ち込める寒い日に、突然警察から電話があったのですって。
お宅のお孫さんがアパートで他所の家に火をつけて火事にしたから、連行してある。ってね。


自分には孫はいない、と言ったら、びっくり、息子さんの別れた奥さんとの子供だったの。
なんとすでに10歳。


慌てて警察に迎えに行こうとしたら折り返し電話があって、すでに母親が連れて帰ったとのこと。
心配だったけれど、住所は教えないでと言われたとかで、結局奥さんはお孫さんには会えずじまいだった。




それがね、数日前、奥さんにお孫さんから電話があったんですって。


「おばあちゃん、ぼくだよ、寂しいよ」ってね。
母親は男の人と出かけてもう3日も帰ってこないって。


警察に連れていかれた冬にも帰ってこない日が続いていて、暖房が使えないので寒くて、近所の公園から集めてきた木々をアパートの玄関のところで燃やしていて、近所に火が燃え移ってしまったと泣いて説明したそう。


「おばあちゃんが迎えに行ってあげるよ」と、奥さんが言うと。
「ダメなんだ、ママンがおばあちゃんに知らせるなって」


息子を取られるのを心配しているのだろう、でも、男と出かけて、わずか10歳の子供を置き去りにする母親に任せておけないじゃないか。


奥さんはお孫さんと話している間に学校の名前を聞き出したというのよ。




先ほどからバゲットを小さくつまみ公園に集まった小鳥たちに配りながら聴いていた私に
「どうしたらいいかしらね。その学校がどこにあるかわからないしね。」と深いため息をつく奥さん。
乱れた白髪が、風にふわりと揺れた。


「ネットでしらべてみましょうか?」 私が提案したの。大急ぎアパートに戻ったわ。


パンを食べるのなんかすっかり忘れて、さっそくネットで学校がどこだか突き止めた。
案外近場だったわ。


その次の日
校長先生と担任の先生に相談して、母親を説得してもらい、孫を引き取りたいと言いにに行ったらしかった。
ずっと無理なら交代で育てたいってね。
先生方に馬鹿にされちゃいけないからって精一杯のお洒落をして行ったそうよ。


そこで初めて孫に会った。


お孫さんは、おばあちゃんだとすぐに分かったそうで、しがみついてきたのですって。


二人で抱き合って泣いちゃって、先生方も目を潤ませていたそうよ。
帰ってきて報告を受けた私ももらい泣きしちゃったわよ。




今日友人と約束があってね、お昼食べたのよ。
その帰り、近くのスーパーで買い物をして、ステーキにするつもりだったからバゲットを買いにパン屋さんに寄ったの。
なんとね、偶然は重なるわ。


お隣の奥さんとばったり。




奥さんの横には、学校帰りの子供らしい男の子が、かき氷みたいなキャンディーを買ってもらいジャリジャリと音を立てながらかじっている。夏近くなると、学校帰りにキャンディーを買うのはフランスの子供たちのお決まりと言ってもいいくらいだからね。


お互いに挨拶をして私はパン屋さんに入り、奥さんはお孫さんを連れて、出ていった。
まあ、変われば変わるものね。その後ろ姿は昔のきりりとした奥さんがそこにいたわ。
おばあちゃんではない、お母さんのように若いの。


定年退職して5年もたつけれど、また以前のレストランで、今度はお掃除をする仕事をもらったそう。


「毎日短時間だから、孫の面倒を見ながら働けるし、この子のためにお小遣いをあげたいものね」
と、私にウインクして見せた奥さんは、10歳は若返っていたわよ。


人間生きる張り合いって何だろう、と思うわね。


あら、おしゃべりが過ぎたわ、またね、あなたもいつまでも若く元気でいてよ。じゃあね。