過疎化が進み廃校になる学校が増えている。
長いこと捨て置かれた校舎を、祐樹の勤める障害者施設が使うことになった。
地元では昔からある障害者施設で、祐樹は大学を出てUターンし、勤め始めたのですでに10年近くが過ぎようとしている。
大まかな改修工事の後、冬休みを利用して職員全員で各教室を掃除しなくてはならなかった。
それも3日目最後の日を迎えていた。
冬の教室はシンシンと底冷えがする。
教室を片っ端から掃除していると、徐々に体中が熱くなってきた。
晴れた冬の空は空気が澄んで気持ちが良い。
カーテンの無くなった窓から柔らかい日差しが入り込む。
人が足を踏み入れたことで、じっとしていた埃が、陽の光を浴び自己主張をするように一斉に舞い上がり空気に乗って波を作る。
祐樹は慌ててマスクをしっかりと抑える。埃アレルギーがあるのだ。
ゴーグルでもしない限り眼鏡だけでは埃が目の中に入って来そうだ。
「だから掃除なんか嫌なんだよな」祐樹はマスクの中でぶつぶつ言いながら箒で天井や壁の誇りを払う。
くしゃみが出そうになり箒の手を休めた。
小学校だったので、ランドセルを各自が入れるロッカー代わりに使っていたのだろう、教室の後ろには仕切られた棚がある。
そこのいくつかに古本が無造作に積み上げて入れてあった。
「こういうのが埃を吸うんだよな」
ビニール袋をもってきて、その古い本たちを入れ始めた。
ふと、手を止める。
祐樹にとって懐かしい本があった。病気で亡くなった姉が好きだった本だ。
埃をはらったが表紙は半分破れており、本の四隅はこすれて下の紙がむき出しになっていた。
それでも、そっと開いてみる。
少しかび臭いにおいがしたが、中は白い印刷紙が意外にきれいだ。
「On ne voit bien qu'avec le coeur.L'essentiel est invisible pour les yeux.」
心で見ない限り、ものごとはよく見えない、ものごとの本質は、目では見えない」
「Le petit Prince/星の王子様」の有名な一節だ。
フランス語と日本の同時記載になっている。つい読みふけってしまう。
最後の一ページ、「彼は一本の樹が倒れるように静かに倒れた」と書いてあるところに、鉛筆で何か書いて消した跡があった。
光にかざしてみる。
「おとうさんのバカ、おかあさんのバカ、死んじゃってバカ」とあった。
思い直したのか、消しゴムで消してある。
だが、思いが強かったのだろう、鉛筆はしっかりとした線を残していた。
_この子はどうしたのだろうか_祐樹は卒業生の一人なのだろう、その落書きの子を思った。
「何をやっているの?! 急がないと日が暮れますよ」非難するような厳しい女性の声だった。
「いけね」祐樹は、持っていた本をビニール袋に突っ込もうとして、ふと、自分の掃除道具を入れているかごに放り込んだ。
叱ってきたのは祐樹の勤める障害者施設の6人いる理事の一人だった。
事務長がいつも「コストコストと口うるさい」と陰で言っている、祐樹といくつも違わない若い理事だ。
今回廃校を借り受けようと提案したのもその女理事だと聞いている。
祐樹が放り投げた本を見た女理事がその本に目を凝らし、そして、手に取った。
「なんてことかしら・・・この本どうしたの?」
「そこの棚に他の古本と一緒に置いてありましたよ」と祐樹が答えると。
女理事は泣きそうな顔になった。
「この本ね、私のなのよ。両親を亡くした私は子供のころいじめを受けていてね。誰かにこの本を盗られて行方が分からなくなっていたの。父が買ってくれた本だったから、あの時はどれほど悲しかったか」
ぼろぼろに擦れた本を優しく手でなでながら、つぶやくように言った。
「じゃぁ、理事さんが書いたんですね、最後のページ」
「え? あ、あれ見えたの?」
「はい、それで何となくゴミ袋に入れられなかったんです」
「よかった。ゴミ袋に入れられていたら、私気が付かないままこの本に再会することは無かったのね。ありがとう」
祐樹は涙目の女理事の笑顔に、なんだか心が揺さぶられた気がした。「ヤバい、なんか惚れそう」
「あの~ご両親はなんで亡くなったんですか?」祐樹は心を読まれそうな気がしてあわてて質問した。
女理事は直ぐには答えなかった。
「あ、すみません、変なこと聞いて、忘れてください」と慌てて祐樹が謝ると、
「ううん、良いのよ。父がね自殺して、母はそのショックで運転を誤ったのか自動車事故で父を追うように亡くなったの。父はね、この障害者施設の事務長をしていたのよ」
女理事の父親は、出来立ての障害者施設の運営を一手に引き受けることになってその運営の失敗の責任をとらされたらしい。
一生懸命にやっていただけに悔しさもあったのだろうか。
「今の理事たちと違って昔は名ばかりの何にもしない理事ばかりだったらしくてね。結局父が何もかも背負い込んでいたのね。私は理事長に引き取られたの。理事長にしてみれば贖罪の思いがあったかもしれないけれど、おかげで私は外国の障害者施設などの勉強もさせてもらったのよ」
本を胸に抱いて、思い出を語る女理事の横顔が、なんだか亡くなった姉に似ているようで、祐樹はじっと眺めていた。
「やっと終わったー」事務長や同僚たちが埃だらけの洋服をはたき、「足だけはずっと冷たいね」と口々に言いながら疲れた顔を見せた。
「皆さん、お疲れ様でした」笑顔の女理事が現われたので、事務長の顔がちょっと引きつってみえる。
「ちょっと、皆さん来てくださいますか?」と理事が言うので、ぞろぞろと後をついていく。
最初の日に掃除が終わっていた職員室と隣にある図書室後の部屋に入った。
すでにストーブが入れてあり暖かい。
残っていたテーブルにケーキやお菓子、果物などがのせてある。
「さぁ皆さん、座ってください。今コーヒーを入れますから」
手伝います、という女性職員とともに、入れてくれたのがアイリッシュコーヒーだった。
「え、僕運転があるので」と祐樹が言うと、
「大丈夫 今日はみんな代行をよびますよ」とまた笑顔だ。
いつもコスト削減を言われる事務長は狐につままれたような顔をしている。
「ねえ、みなさん。私ここを一般の人も入れるカフェにしようと思うのですよ。どうかしら?」
いいですね~と女性職員たちがすぐに賛同した。
アイリッシュコーヒーはホイップが甘く口当たりが優しくそしてほろ苦く冷えた体には最高だった。
▶︎【ウイスキーベース】
アイリッシュ・ウイスキーにコーヒー、砂糖、生クリームを入れた甘めのホットドリンク。1942年に創られた。当時、大西洋を横断する飛行機は、アイルランド南西部・シャノン川河口のフォインズという漁村にあった水上飛行場に給油のため降りた。旅客機の中も寒かったが、飛行場の暖房設備も不十分で、寒い中乗客も給油を待つのだ。そんな凍えた乗客のために創案されたという。考案者はフォインズ飛行場のパブのシェフ、Joseph Sheridan 氏(1909-1962)。少しでも乗客に温まってもらいたいとの思いだったという。
▶︎レシピ
アイリッシュウィスキー・・・・・30ml
ホットコーヒー・・・・適量
角砂糖またはブラウンシュガー・・・2,3個
生クリーム・・・少量
グラスにホット・コーヒーを注ぎ、角砂糖或いはブラウンシュガーを入れる。そこへアイリッシュ・ウイスキーを注ぎ、軽くかき混ぜる。最後に生クリームをフロートさせ完成。