Mirubaの カクテル小説 辞典

 

揺れ動く心 by Miruba
[Earthquake]

「里美、先に行くね」
耳元で恋人の隼人が囁いた。
里美は聴こえないふりをする。

ホテルの部屋のドアが開かれると室内の空気が一気に動く。
開け放たれた勢いとは裏腹に、ドアは徐々に閉まって行きオートロックが静かに「カチッ」と冷たい音をたてる。

「何時だって私を一人にする。もう嫌だ、もう別れる」里美は頭から被ったシーツの中で独り言を言い、唇を噛み締めた。

どんなに好きだと感じてもいつの間にか気持ちが離れていく。
隼人との恋も、結局過ぎ去った男たちとの恋と同じなのか。

「ねぇお願い、あなたをずっと好きでいさせて」

そう隼人に訴えたのは、ほんの一年前だ。

なのに、心を隙間風が吹き抜ける。

隼人が変わったのか? 里美自身が変わったのか?
いや、そもそも本当に隼人のことを愛していたのだろうか?
自分自身の気持ちが常に揺れ動き自信のないことに里美は気付くのだ。

里美に結婚願望はなかった。

2度の結婚と離婚をし、今また新しい恋人と事実婚をしている母親の生き方を見ているからかもしれないし、父がそんな母を忘れられず苦悩しながら今だに一人でいて、その女々しい未練に、傍から見ていてイライラしてしまうのが影響しているかもしれない。

だからなのか、子供の頃から常に誰かに側にいてほしいという思いが里美にはあった。
甘えん坊の癖に、甘えん坊だと思われるのは嫌だった。「行かないで」と言えない。

隼人は刑事だった。仕事が入ると何時でも何処に居ようと出動指令がくる。

里美は身支度をして、ロビーに降りた。
一人でホテルに一泊しても仕方がないから自宅に帰っても良いのだが、なんだかその気になれない。

ホテルの地下にピアノバーがあった。
外資系の大きなホテルなので外国人も多く、落ち着いた賑やかさというのか、雰囲気があって里美は気に入った。
カウンターでピアノ演奏を聴きながらビールベースのカクテル<モナコ>を頼む。

最初は空いていたカウンター席がいっぱいになり、隣の男性が話しかけてきた。
年のころは同じくらいか少し上かもしれない。出張で来ているという。
最初は適当に返事をしていたのだが、話し上手な人で里美はいつの間にか彼の方を向いて会話を楽しんでいた。

「ね、一杯ご馳走させてくれないかな?」と彼。
「え? ありがとうございます」

「カクテルがいいですよ。ジンは大丈夫でしょう?」
「ええ、少しなら」と里美。
「僕も同じものを頼みますから。すみません、アースクエークをお願いします。ジンベースの方ね」
カウンターに立つバーテンダーに手を挙げながら慣れた様子で注文する彼の横顔も魅力的だった。

「出会いに乾杯!」
ピアノの演奏もうっとりとするような曲ばかりだったし、トーンを落としたキャンドルライトの淡い灯りも素敵だ。

「どう? ちょっとキツイけれど味があるでしょう?」と彼。

「ええ、変わった香りがしますね・・・でも美味しいです」

里美は全然キツク無いどころかちょっとリンゴジュースみたい、と思ったが黙っていた。

話が弾んで、つい里美はクイクイっと飲み干してしまった。
_いやだ、飲んべと思われるかしら_と里がカクテルグラスに着いた口紅を指でさりげなくこすっていると、彼が「もう一杯いきましょう」と注文してくれた。

「あなたへのカクテルを僕は飲みたい。ね、バーテンさん」と言って目の前に出てきたカクテルを彼が自分のものと里美のグラスとを交換した。

え? バーテンさん? 里美がバーテンの顔を見ると少々困ったという目をしている。その時だ、里美の背後から手が伸びてきた。
いつの間にか隼人が来ていて、「失礼します。このカクテルは俺がいただきます」と言ったかと思うと、一気に飲み干した。

「なんだ、彼氏さんがいたんですね」素敵な彼は、皮肉な笑顔を残してそそくさと退散してくれた。


隼人はカウンターにつかまっている。
「あれ? なんか地震? クラっとした」というと、バーテンが笑顔で、
「それはそうですよお客様、そのアースクエークというカクテルは一気に飲むものではありません、強いのですよ。先ほどのお客様が、こちらの美しいお客様に初めて会ったご様子でしたのに、このカクテルを薦めていらしたので、余計な事とは思いましたが、リンゴジュースにぺルノーを少し垂らして差し上げていたのです。男性の方には本物のアースクエークをね。幸いお二人の前のカウンターにはボトルが並べてあり私の手元が見えませんでしたのでね。ですが、先ほどのお客様には判ってしまいましたね」

里美がいとも簡単に口に運び平気でいたので、ばれてしまったに違いない。

「余計なことをしてすみません」と謝るバーテンに、里美はとんでもない、と手を振る。

里美は自分が守られていたことに、心が温かくなるのだった。

 「隼人、仕事は?」
「すぐ解決してね、放免されたんだ。里美が家にいないからここにまだいるんだと思って戻って来たんだよ。は~だけれど、もう、一人にしておくのは不安でしょうがない。お願いだから結婚してくれ。・・・酔っぱらって言っているわけじゃないからな」

里美は、こんなに素直に物を言う隼人は、きっとカクテルの一気飲みで酔っているからだと思った。
それでもなんだかウキウキする自分がいる。里美自身にも素直な感情が湧き出て来る。

「うん、そうね。結婚しようか」



アースクエーク [EARTHQUAKE]



▶︎【ジンベース】
アースクウェークとは、"地震"のこと。飲むと体が揺れる、ということのようだ。レシピで使うぺルノーは香りの強い個性的なスピリッツなので、強いお酒を好む人向きだ。人に薦めるとき、また自身で飲むときも注意をしたいカクテルのひとつだ。昔はぺルノーではなくアブサンを使っていた。つまりぺルノーはアルコール度数70%以上というアブサンと同じ系列、アブサンほどではないがそれでも40度はあるので用心。アブサン・ジン・ウイスキーと使っているアルコールの名前そのままに、「アブ・ジン・スキー」という別名もある。
 
▶︎レシピ
ドライ・ジン・・・・・・30㎖
ウィスキー・・・・・・・20mℓ
ぺルノー・・・・・・・・10mℓ
 
以上をシェークしてカクテルグラスに注ぐ。
 
*なお、アースクエイクには、テキーラベースで甘いタイプもある。
▶︎レシピ【テキーラベース】
テキーラ・・・・・・・・・40ml
グレナデン・シロップ・・・10ml
苺・・・・・・・・・・・ 2~3個
アンゴスチュラ・ビター・・2~3ml
 
クラッシュド・アイスとともにミキサーにかけ、大型カクテルグラスに注ぐ。
レモンスライスと苺を飾り、短いストローを2本添える。