バスを降りるとそこがもう霊園の入り口だった。所々に島影を持つ海の景色が美しい。
風は涼しいが、太陽は初夏の輝きを放ち、まだ朝だというのに洋服から出ている手の甲をジリジリと焼くような強さだ。
若葉が一斉に成長をはじめて柔らかなライトグリーンから濃い色へと移ろうとしている。
カラリとした空気が心地よい。今年の梅雨は遅いのかしら。青空を仰ぎ見た。
霊園入り口の売店で花や線香を買い求め、両親の入っているお墓を目指す。
一年に一度だから造花をどっさりと買う。ちょっと後ろめたいが仕方がない。
何千或いは何万墓標かという、規模の大きな市の運営する霊園でもあり、この地区の人は多くがお世話になっている。
区画がいくつもあり、歩くと結構大変で、売店で借りた手桶が重くなった10分過ぎ、ようやく両親の墓に到着。
「お父さんお母さん、一年ぶりね。ご無沙汰でごめんね」
霊園なので整備はされているのだが、一年に一度しか花が入れ替えられない両親の墓の周りには草がいくらか茂っている。
墓周りの草をむしる。青臭さが鼻をかすめた。
都会に住む私は生まれ育った田舎で行われる同窓会に参加するついでに墓参りをするのが習慣だった。
両親もこの地に移り住んできた二人だったので親戚が周りに無くほかに墓参に来てくれる人はいないのだ。
両親の墓からも果てしなく広がる海原が見渡せる。
「お母さん、本当に良いところを住処にしたのね」
母が生前「自分たちの墓はここにする」と探してきた場所だった。
ひとしきり景色を堪能し両親に別れを告げる
「また来年の同窓会の時に来るわね。今年は年末にも来るかも。・・かも! だからね、期待しないで。その時は寄るからね」
私はその足で更に10分ほど歩いた別の墓標の前にいた。
こちらはまだ真新しい沢山の生花やお供え物が所狭しと飾ってある。
同級生であり、また、若いときに恋をして、そして別れた元カレのお墓だった。
何十年も会わなかったのに、病床の彼が「最後に私に逢いたいと言っている」らしいと同級生の一人に告げられ、思い切って彼の妹を尋ねたら喜んでくれた。是非にも顔を見てやってと連れられた病院で、もう若いころの面影などすっかりなくなった力ない彼が目に入り、私は思わず泣いてしまった。
別れた理由など思い出すこともできないが、ただ、私たちは若すぎたのだろうと想う。
同窓会の次の日、彼は帰らぬ人となった。
知人の一人として葬儀にも参列した。
思い出の映像が彼の歴史を振り返らせる。
若かった彼と私の写真も映し出され、輝いた青春がよみがえった。
何十年も他人だったはずなのに、懐かしさと愛おしさが胸を締め付けた。
手桶を返しに売店に寄った。
同じように手桶を返しに来た男性と鉢合わせしそうになった。
お互いに謝る。目を合わせてハッとした。相手も「あ」と言う顔をする。
だが、商売柄なのか、会釈をしてその男性は去っていった。
私のかすかに泣きはらした顔を見て声をかけるのを遠慮してくれたのかもしれない。
その夜、私は毎年、同窓会の帰りに必ず一人で打ち上げをするBARに行った。
早い時間なのでまだほかにお客は誰もいない。
「マスターお久しぶりです」
「あ、お客様お元気そうで・・・でもないのでしょうか?」マスターが笑顔で迎えてくれる。
「昼間は失礼しました」と言うと、
「こちらこそ、挨拶もろくにせずにかえって失礼しました」とマスター。
「気を利かせてくださったのね。ありがとうございます。実はね、昔の彼を亡くしてね。いえ、もうとっくに忘れたはずのひとだったのですが、死に目に会っちゃってね。 ・・・それに、実はね、3年前主人を同じ病気で亡くしているのよ。なんだか私が愛する人はみんな亡くなっちゃうようで悲しいなってね・・・」
こんなこと人に話すようなことではないのに、昼間の遭遇が親近感を持たせたのか、一年に一度とはいえもう十年近く通っているBARのマスターの笑顔に甘えたかったのか、私はいつになく饒舌になっていた。
気が付くと涙が頬をつたっていた。
何が悲しいのかさえわからないのに。
マスターが、2杯目のカクテルを作ってくれた。
ブリザードと言うカクテルだという。
「心が凍えてどうしようもないとき、あえて飲むのです」
私はその冷たさとドライさに顔をしかめた。
マスターが自分にもブリザードを作り、「乾杯しませんか」とグラスを目の前に持ってきた。
「私もお客様と全く同じなのですよ。昼間も亡くなった女房の墓参りだったのです」
マスターがポツポツと話し出した。
マスターは世界的に有名なアメリカのホテルのバーラウンジで働いていたという。
ホテルのマネージャだった女性と恋に落ち結婚をする。
ところが彼女が癌による余命を告げられ、マスターはホテルを辞め、彼女を日本に連れ帰り、自分でBARを始める。
癌の治療費を稼ぐ為に決断したことだったが、彼女の両親はそのことが娘の死を早めたと思い込んでいて、葬儀のさ中参列者の面前で罵倒されたという。
その傷を長い年月引きずっていたが、BARに弾き語りに来てくれていたピアニストの女性の優しさに、再婚の決意をする。
ところが不幸なことに彼女もまた同じ癌で数年後に亡くなったという。
「私を好きになってくれる女性はみんな死んでしまう、そう思うと恐ろしくてね」
マスターと私はブリザードのグラスを飲み干しながら目を合わせた。
マスターの黒い瞳の中に
私は、ある同じ感情を、見出してしまった。
思わず目を伏せる。
あんなに凍えそうだったブリザードが優しい味に変化した気がした。
お客さんが数人、話ながら来店して、賑やかになった店内に私ははっとする。
「マスターまた一年後くるわね」
私は思わず立ち上がった。
マスターも「今日は本当にありがとうございました。私の愚痴を聞いてくださったのはお客様が初めてです」
少しはにかんだような顔を見せ、また是非来てくださいと手を差し出した。
私はマスターの手を握った。
これもマスターの優しさだろうと感じながら。
この人に恋をしてはいけない。
自分に言い聞かせた。