その9 倭寇討伐で朝鮮王朝初代王になった李成桂(イ・ソンゲ)

日本では李氏朝鮮と呼ばれる王国建国の英雄は、李成桂(イソンゲ)という。
 
「将軍、遼東半島への明軍(中国軍)侵攻を止めるための出陣命令が出ましたが」
「分かったに出陣だ。ただし、高麗に引き返して首都を攻撃する」
「謀反を起こすのですか?」
「"元"の力は弱まり"明"の時代がそこまで来ている。親"元"高麗政府を終わらせる良い機会だ」
「官僚たちの王への不満も高まっていますし、いよいよやるのですね」
「明とも親"明"派の王を立てると申し合わせ済みだ」
 
こうして高麗の将軍であった李成桂(イソンゲ)は、高麗王朝末期の混乱に乗じてクーデターを成功させ
 
最初こそ親明派の高麗王を立てたものの2年後には周囲から請われて自らが王になる。
しかしながら、すぐに朝鮮王朝へ移行した訳ではない。
朝鮮半島では古来から中国からの許可があって初めて王や国の名前を決めることが出来たので、お伺いを立てた2つの候補から1つを明の王に選んでもらって、「朝鮮」と決めたのだった。
 
イ・ソンゲの活躍は、元の武官から高麗の武官として豆満江や鴨緑江方面の女真族平定元の残存勢力討伐・国都防衛・倭寇討伐と本領はあくまでも軍事であったが、その中でも特に倭寇討伐で英雄視されている。
 
日本で倭寇と言えば、戦国時代の没落した武士や土地を追われた農民が、朝鮮半島に行って食料等を略奪したくらいにしか認識がなかったが、韓国や中国で倭寇と言えば、日本方面からの執拗で大規模な侵略行為そのものや豊臣秀吉の朝鮮出兵時の日本軍の侵攻まで、多岐に渡ったものを総称して倭寇と呼んでいる。
じつは、多数の朝鮮人や中国人が倭寇に便乗したことが、韓国や中国の資料にもあることがのちにわかったのだが、実害が多かったのが朝鮮半島だったので、今でも倭寇を日本人の野蛮行為と同義で使う人がいるらしい。
 
さて、周囲に推されて王になった李成桂(イソンゲ)だが、早々に八男に王位を譲ろうとしたところ、王子たちが殺しあうこととなり、傷心して仏門に帰依してしまった。
 
「崇儒廃仏(儒教を高めて仏教を排斥する)」が特徴の李氏朝鮮だが、実行されるのは孫の第4代世宗(セジョン)大王になってからになる。
 
現在の韓国では、李氏朝鮮と呼ぶことは好まれず、建国神話の頃の朝鮮は「古朝鮮」と呼んで区別している。

李成桂(イソンゲ)