小説(三題話作品: 令和 夏休み コーヒー)
悪魔の共鳴 by Miruba
貴史は転勤族だった父親の都合で、学校を転々とした。明るくて人懐こい貴史はどこでもすぐに友達ができた。だが、本当に親友と呼べる友達ができたわけではなく、どうせすぐにまた学校が変わるから、真剣に付き合ったってしょうがない、という感覚で、波風が立たぬよう適当に付き合っていたのだ。
高校生になったころ、母親の実家近くが父親の転勤地になった。数年で母親は、もう転勤で動くのは嫌だ、と言い出した。
父親は単身赴任をするようになった。母親が実家に住み着いたので、貴史もそれに習い、祖父母の家から大学も通った。
母親が転勤を嫌ったのは、実は父親の暴力から逃げたかったのだと貴史は分っていた。貴史の前で手を挙げたことはなかったが、夜中に_ドスン_と音がしたり「やめて!」とかいう母親の声を聴いた次の日は
必ず母親のどこかに痣があった。いわゆるエリート族と呼ばれ、自尊心が強くバリバリと仕事をしている父親には貴史も逆らえないところがあって、
母へのDVを疑ってはいても、問い詰めることはなかった。見て見ぬふりをしていたのだ。
結局父親は転勤先で別の女性と暮らし始めて、母親は慰謝料と貴史の教育費をせしめて別れた。本当は母親も不倫をしていたことを貴史は知っていた。
大学の頃から好きだったマドンナの裕子と付き合い始めて貴史は実家から離れた。裕子と温かい家庭を作りたかったのだ。仮面夫婦の両親のようにはなるまい、と心に誓っていた。
祐子には学生の時に付き合った男との間に赤ん坊がいた。生まれる前に捨てられたと泣いている裕子を慰めたことが、二人を近づけたと言う経緯もあった。貴史は心から大好きな裕子と一緒になれるのなら子供がいても平気だと思っていたが、いざ一緒になってみると、夜泣きでイライラした。
祐子は疲れているのか起きやしない。貴史だって仕事でヘトヘトで眠くて仕方がない。「うるさいな。黙れ!」貴史はほっぺたをビンタした。ヒッと言って、赤ん坊が泣き止んだ。
あ~これで寝られる、貴史はほっとして寝入った。
次の朝、顔を洗っていると、頬がなんだか腫れぼったかった。寝不足かな~と思った。会社では平成から令和に向けて新人に与えられるノルマが上乗せされた。それを達成できず上司のパワハラに堪えていると、あんなに好きだった裕子のだらしなさが目に付いて、つい口汚く罵ってしまう。祐子が睨みつけてくると、「別れる」と言い出されないかとヒヤヒヤして黙る。その繰り返しだった。
つい、物言わぬ、そのくせ泣いてうるさい赤ん坊に貴史のうっぷんが向いた。
祐子の仕事も忙しくなり、赤ん坊の面倒は半分貴史が見なければならなくなってきた。
「なんだよ! さっき取り換えたばっかりなのに、またクソしやがって!」
お尻をバシッと叩く。泣くのでまた叩いてやった。さらに泣く。今度はもっと強く叩く。
「ああ、うるせー」
貴史は赤ん坊をほっといて、出かけた。むしゃくしゃするので、居酒屋で飲んだ。
飲んでいる途中、腰から足にかけて異常にだるくなってきた。立ち上がろうとするが、うまく立ち上がれない。_おかしいな。俺何か持ち上げてぎっくり腰にでもなったかな? _考えていた貴史はあることに気が付いた。
「そういえば……」
あのほっぺたをたたいた日の翌日自分の頬が腫れぼったかったあの日から、赤ん坊に手を挙げると次の日には貴史自身のその同じ場所が痛くなっていた。手をたたいた時は半日後には手が痛くて何も持てなかった。おしめを変えたばかりなのにまた汚されて腹が立ち飲んでいたコーヒーを足に引っ掛けてやったら、3時間後には貴史の足が水膨れになっていた。わき腹を蹴飛ばしてやったときは、1時間後には貴史も強烈な腹痛に見舞われ七転八倒した。
貴史はまさかと思いながら、何とか歩けるようになったので、アパートに戻った。赤ん坊はにこにこしていて、貴史に笑顔を見せる。だが、なんとなく貴史は嫌な気分になっていた。
その時もなかなか泣き止まなかった。
「っるせーな、クソガキ。ほら揺すってやるよ」
両手で抱えてグラグラと揺すってやった。まだしっかりしていない首がグラグラと揺れて、赤ん坊はぐったりした。
仕事から帰ってきた裕子が泣き叫んでいる赤んぼの横でぐったりしている貴史を見つけ、救急車を呼んだ。
貴史は病院のベットの中で、_もう間違いない_と思った。赤ん坊を殴ると、その同じ場所が打撃を受ける。その間隔も一日からだんだん時間が短くなってきていた。
赤ん坊に殺される。
逃げればよいものを、いや、そもそも赤ん坊を虐待しなければいいだけの事なのだ。祐子とはどう考えても別れたくなかった。
退院後、赤ん坊には一切、手を挙げなかった。同時に貴史の原因不明の痛みもすっかりなくなっていた。そうなると赤ん坊の、いや、赤ん坊の名前があった。瑠星(りゅうせい)ちゃんの笑顔が可愛く見える不思議。
「瑠星ちゃん、お散歩行こうね」
貴史はバギーに赤ん坊をのせて買い物に出ようとしていた。夏休みに裕子の実家に家族で顔見世をすることになり、お土産の物色に行くのだ。
「ついでに牛乳わすれないでね~」と裕子が台所から声をあげた。
「わかっているよ、ね~瑠星、ママってしつこいよね~」
そう語りかけながら、出て行った。
交差点で、信号待ちをしていた。前の信号が青になったので進もうとして、一歩足を出したとき、左折する車が突っ込んできた。貴史はバギーが車道に出ているのを引っ込めようとして、一瞬躊躇した。
バギーは車に飛ばされた。車は急ブレーキをかけたがもうバンパーが見えないほど先まで進んでいた。が、次の瞬間貴史も激しい衝撃を受けて地面に叩きつけられた。
「く、くるしい……」
眼を開けると、ちょこんと地面に座っている赤ん坊の姿が目に入った。車がバギーの車輪に引っかかった勢いで転げ落ちたが、無傷のようだ。
赤ん坊がじっと貴史を見つめていた。
「違う、違うよ、俺、バギーを突き出したんじゃない、引っ張ろうとしたんだよ!」
貴史は声にならない声がでたが、もう意識が薄れていく。
「大変だ!」という周りの声や雑踏の中に、赤ん坊の泣き声をはっきり聞いた。