小説(三題話作品: 令和 夏休み コーヒー)
話し言葉に書き言葉 by 網焼亭田楽
毎度バカバカしいお笑いでございます。
最近は、話し言葉ってえものがずいぶん乱れてきているようでございまして、よく言われますのが、『ら』抜き言葉と『い』抜き言葉でございます。
「おい、よたろう」
「何でございましょう、旦那さま」
「最近の若者は言葉使いがなっちゃいないね」
「そうですか。若者がなっちゃいないと言うならば、お年寄りはなっちゃってるということで。何かこうたわわに実っていると言うか、垂れ下がっていると言うか」
「何わけのわかんないこと言ってんだよ。そうじゃないよ。いいかい、最近の若者は話し言葉がおかしいって言ってんだよ」
「話し言葉と言うからには、話さない言葉と言うものもあるんでしょうか」
「本当におまえさんの頭はめでたいね」
「それはおめでとうございます」
「褒めてんじゃないよ」
「では、ありがとうございます」
「それも今言う言葉じゃないな。よたろうも、もう少し勉強しないといけないよ。いいかい。話し言葉に対するのは書き言葉ってやつだ」
「書き言葉ですって? 話す言葉とどこが違うんです?」
「たとえば、よたろう。朝起きた時には何と言う?」
「グッモーニング」
「言わないだろう、よたろう、そんなこと」
「へい」
「じゃ、何て言うんだい?」
「たまにはモーニングコーヒーにでも連れてってくれないかな」
「おいおい。挨拶だよ、挨拶。誰が自分の願望を述べろって言ってんだよ」
「それなら、おはようございます」
「だよな。で、お昼の挨拶は?」
「こんにちは」
「だろ。これが話す時にはコンニチワ。でも、書く時にはコンニチハとなる。これが書き言葉ってやつだよ」
「ハだかワだかよくわかりませんけど、どっちでもいいんじゃありませんか」
「ダメだよ、ダメ。そういうことだから、日本語が乱れてくるんだ。そんなことじゃ、よたろうは『ら』抜き言葉も使ってるんだろうな」
「何ですか、その『ら」抜き言葉ってのは」
「まさか、『行ってらっしゃいませ』を『行ってっしゃいませ』とか、『夏休みの宿題早くやらないか』を『夏休みの宿題早くやないか』って言うんじゃないでしょうね。いくらあたいでも、そんなことは申しません」
「何あらたまってんだよ。違うよ、違う。ら抜き言葉ってえのは、例えばだなあ。よたろうの嫌いな食べ物って何だっけ」
「あたいは食べ物に好き嫌いはございません。何でも食べれますよ」
「それだよ、それ!」
「どれ?」
「今、言ったじゃねえか」
「何を?」
「だから、ら抜き言葉だよ」
「存じません」
「じゃ、もう一度言ってみな」
「何を?」
「だから、ら抜き言葉だよ」
「存じません」
「おいおい、リピートしちゃってるよ。いやいや、よたろう、ちゃんと言ったじゃねえか。嫌いな食べ物は何だっけと聞いた時になんて答えた」
「いえ、だから何でも食べれますよと」
「だろ。そう言っただろ」
「へい、言いましたよ」
「それが、ら抜き言葉だ」
「どれが?」
「もう一度言ってみな」
「だから、何度でも言いますけど、ちゃんと『だから』と言ってますよ。『だか』なんて『ら』を抜いたりしてませんってば」
「そこじゃねえよ、そこじゃないんだよ。『食べれます』って言っただろうって言ってんだよ」
「そりゃ、嫌いな食べ物はございませんから、何でも食べれますよ」
「そこだよ、そこ!」
「どこ?」
「もう、わかんねえかなあ。本当は『何でも食べられますよ』というのが正しいんだ」
「そりゃまた、なぜ?」
「食べることができることは、『食べられる』と言うんだ。それが最近はら抜き言葉で『食べれる』となってきちまってるんだ」
「なるほど、『食べられる』のらが抜けて『食べれる』となるのをら抜き言葉と言うんですね」
「やっと、わかったかい。この分じゃ、い抜き言葉も怪しいな」
「何ですか、そのい抜き言葉というのは?」
「そうだなあ。例えば、あそこの男の子、大きくほっぺが膨らんでるけど、何故だかわかるかい?」
「ああ、あれは簡単です。おっきな飴を食べてるんです」
「それだよ、それ!」
「どれ?」
「今、言ったじゃねえか」
「何を?」
「だから、い抜き言葉だよ」
「存じません」
「じゃ、もう一度言ってみな」
「何を?」
「だから、い抜き言葉だよ」
「存じません」
「おいおい、またリピートしちゃってるよ。いやいや、よたろう、ちゃんと言ったじゃねえか。あそこの男の子のほっぺが膨らんでるのは何故かと聞いた時になんて答えた」
「おっきな飴を…」
「おやっ、わかったかい」
「そうかあ」
「わかったんだね。言ってみな」
「おっきい飴を食べてるんです。ねっ、正解。おっきいのいが抜けて、おっきなとなる。これすなわち、い抜き言葉なり~」
「おいおい、おかしなことになっちゃってるね。そこじゃないよ。その後だよ、その後」
「その後は、食べてるんですといっただけで」
「それだよ、それ!」
「どれ?」
「もういいよ。『食べている』が『食べてる』となっちゃってるだろ」
「なるほど~」
「それがい抜き言葉ってんだよ」
「なかなか難しいもんですねえ」
「そうだよ。よたろうにも夏休みっていうものを何日かあげるから、ちょっと勉強してみたらどうだい?」
「それは、ありがたき幸せ~」
「調子のいいやつだね。まあいいや。今年の夏は一週間のお休みをあげるから、何か自由研究をしておいで。ただ、遊んでちゃあダメだよ。ちゃんと、休み明けに何を研究したか教えてもらうからな。いいかい」
「はい、わかりました。ちょうど、調べたいものがあったんです」
「へい、何だい」
「ひ・み・つ・な・し」
「何おもてなしみたいに言ってんだよ。しかも、秘密なしじゃ、秘密にもなっていないよ」
「仕上げは上々…」
「何詰まってんだよ。それを言うなら、『細工はりゅうりゅう仕上げをごろうじろ』だろ」
「そうです、そうです。仕上げは五郎二郎ですよね。それって、南極探検隊のワンちゃんでしたっけ?」
「あれは、太郎次郎だよ。バカなこと言ってないで、ちゃんと研究してくるんだよ」
こんな具合で、よたろうは一週間の夏休みをいただきまして、自由研究をやってまいりました。
「旦那さま、夏休みどうもありがとうございました」
「どうだい、何か良い研究はできたかい?」
「へい。兼ねてからの大好物である『怪談』をたっぷりと研究してまいりました」
「ほほう。そりゃ、楽しみだ。ここで、ちょっと話してみてくれ」
「怖いですよ~」
「そりゃそうだろう。怪談が怖くなくてどうする。いいから、話してみろよ」
「へい、いいですか。怖くて腰を抜かしても知りませんよ」
「いいから、早く話してみなよ」
「では、題して『番町さー屋敷』」
「何だよ、『さー屋敷』って」
「サビの部分をいきますよ。お殿様の大事なさーを割ってしまったお菊は、何度数えてもさーが足りない。その数える声が、寂しく辺りに響き渡るんです。『いちまー、にまー』」
「笑えて腰が抜けるよ」
「よたろうには怖い話は向いていないんだな。悪かった、悪かった。よたろうに自由研究をさせたあたしが悪かったよ。無茶を言ったお詫びにに、何か美味しいものでも食べに行くかい」
「やだなあ、旦那さま。あたいと旦那さまの仲じゃないですか」
「だったら何だい」
「ワビだのサビだの水臭いじゃないですか。こちらこそお休みいただいたお礼を言わなくちゃなりません」
「いいこと言うじゃねえか。言葉の乱れてる今日この頃だと言うのに」
「お褒めいただきましてありがとうございます」
「なあに、この時代、レイワいらねえよ」
お後がよろしいようで