小説(三題話作品: ○活 TRY ねずみ)

トライ・ア・リトル・テンダネス by k. m. Joe 

 1967年12月10日、ひとりのソウル歌手が26歳の若さで亡くなった。オーティス・レディング。公演の地へ向かう途中、プロペラ機が湖に墜落する悲劇に見舞われたのだ。
  ジョニー・ボウマンは、勤め先のレコード・ショップで客からそのニュースを聞いた。彼はオーティスに憧れ、オーティス同様にジョージアからメンフィスに歌手を目指してやってきていた。オーティスも所属していたジェット・レコード社から1枚シングルは出したものの、売り上げはサッパリ。プロデューサーのトミー・ジョーダンの厚意でジェット・レコードに併設するレコード・ショップで働き、次なる機会を待っていた。
 トミーはユダヤ系の白人で、小柄で髪の毛が薄く歯も出ており、意地の悪い輩からはネズミ男と呼ばれている。だが、音楽創りの腕は確かでミュージシャンの信頼も厚い。トミーの助言でスターダムに上ったミュージシャンも多かった。ジョニーを切り捨てないのも彼なりの思惑があったからだ。
 ジョニーがジェット・レコードのオーディションを受けた曲は、オーティスのシングルとして前年に発表され、亡くなる9ヶ月前のヨーロッパ・ライブでの熱唱も話題になった『トライ・ア・リトル・テンダネス』だった。オーティスの魅力は、アップテンポでの凄まじい熱気と、バラードでの切迫した哀切感だ。『トライ・ア・リトル・テンダネス』は双方の魅力を味わえる。静かだが心に食い込む立ち上がりから、徐々に盛り上がり疾走して終わる。ジョニーは、このソウル・ミュージックの髄を網羅したような曲を取り上げてチャレンジしただけに、思い通りの結果にならず悔しさが残った。

 トミーが店に入ってきた。ジョニーはオーティスのヨーロッパ・ライブ盤をかけていた。一段と渋い顔をして「悲しいね」と一言呟いたトミーは、シングル盤のレコード箱を気のない様子でめくっていた。間もなくしてジョニーの恋人のメアリーが店に来た。オーティスの死を知って仕事帰りに寄ったのだ。
 「あぁ、今日は早番だったね」ジョニーに少し元気が戻った。メアリーはハグすると、トミーにも微笑んだ。同郷のメアリーは、ジョニーの夢を支えたくてメンフィスについてきた。ジョニーが数多のレコード会社を訪ね挫折を重ねても、温かく勇気づけウェイトレスの職で生活を支え、不満な態度は微塵も見せなかった。彼がジェット社からシングル盤をリリースした時は、彼以上に号泣し、あらゆる知り合いに声をかけ喧伝した。
  店内のアルバムはラスト曲の「トライ・ア・リトル・テンダネス」のピークに達していた。メアリーは何気なく終盤の熱い一節を歌い出した。ジョニーも即座にコーラスで合わせた。曲が終わると二人は満面の笑みで見つめ合った。
 間を置いてトミーが尋ねた。「メアリー、歌の経験は?」
「ジョニーと同じ聖歌隊で歌ってたわよ。ジョニーは花形だったけど私は続かなかったわ。子供の時だけよ」
「いや、ちょっと歌ってみないか」トミーの真剣な表情にメアリーは即座に返答できなかった。
「いいねぇ。やってみなよ。一流ミュージシャンをバックに歌うなんて貴重な経験だよ」ジョニーの勧めにメアリーの心も動いた。「どうすればいいの?」
「なんなら今からでも。バンドは直ぐに用意できる」
「ジョニー、あなたは?」
「今日は俺一人だから店を出られないし、俺がいない方が伸び伸びできるよ。トミー、あとでテイクを聴かせてくれよ」
「オーケー、オーケー。さあ、行こう!」


 こうして、スター歌手メアリー・ブラウンは誕生した。気負いのない温かい歌声、シャウトしても柔らかくしかも微妙にハスキーな声質は、トミーだけでなく多くのリスナーの心を捉えたのだ。もちろん、トミーは彼女の魅力を活かせるように最善を尽くした。売れっ子夫婦ライター・チームに、キャッチーな曲を創らせ、大手のパシフィック・レコード社に配給を依頼した。思惑通り、デビュー曲はチャート上位に食い込んだ。 
 メアリーは、環境の変化に戸惑ったがとにかく出来る事に集中しようと努力した。もちろん、ジョニーに対する申し訳ないような気持ちが常に心の底にあった。ジョニーのショックは計り知れないものがあった。表面的にはメアリーの成功を喜んでいたが、その笑顔には陰があった。目まぐるしく活動するメアリーには、彼の変化を感じ取る余裕までは無かった。
 メアリーは、当初、単独のツアーは組めなかったが、ジェット社のミュージシャンを集めたパッケージ・ツアーには頻繁に参加していた。ある日、メアリーがツアーから戻ると、ジョニーがソファーの上で酔いつぶれていた。
「ジョニー、ジョニー、大丈夫?」
「あぁ、メアリー、すまん。今日は呑みすぎた」
「私のせい?」
  ジョニーはしばらくの間、真顔でメアリーを見つめた。起き上がりソファーに座ると自分の気持ちを何とか伝えようとした。
「そうだな、メアリー。この際だから言うけど君に嫉妬しているよ。もちろん君を愛している……だから辛いんだ」
「私、辞めても良いわ」
 ジョニーの口調が強まった。「何を言うんだ、メアリー! 君はもう前に進むしかない。それに、俺のせいで君を潰したくはない」
「うん、ありがとう。でも、ジョニー、嫌なことを言うかも知れないけど、私が歌の仕事で忙しくなったからと言って、あなたがくさる事は無いと思うの。あなたはあなたで頑張れば良いのよ」
 メアリーは、ジョニーの再起を促したかったのだが、冷静さに欠けていたジョニーには、上から目線の発言に聞こえてしまった。彼は起き上がり、キッチンで水を一杯飲むと「フランクの所に行ってくるよ」とボソッと呟いた。
「ジョニー、怒ったの?」
「いや、そんなんじゃない。ただ、僕たち……ちょっと距離を置こうよ」
 メアリーはその夜一睡もしなかったが、翌日はまたツアーに出発した。そして、一週間後帰ってきた時、書き置きさえ残さずジョニーはアパートを去っていた。メアリーもトミーも懸命にジョニーを探したが、行方は知れず、時は流れていった。


 メアリーの初アルバムはグラミー賞を受賞、世界中に彼女の名は知れ、全米ツアーから世界ツアーへと一流歌手の階段を上っていった。しかし、ジェット社は75年に倒産。トミーはフリーの身となりメアリーの元を去った。メアリーはパシフィック社から専属契約の話を持ちかけられたが、ニューヨークに居住する条件だったので断った。住み慣れた土地を離れたくない気持ちもあったが、ジョニーとの再会を願う気持ちもあった。
 メアリーは色々なレーベルを渡り歩きディスコブームも乗り切った。80年代に入ると電子音楽全盛となり、楽器は人が奏でるより器械にプロミラミングされるのが主流となった。ソウル・ミュージックはR&Bと名前を変え、オーティス・レディングのような歌手はレガシーとして語られる存在となった。元々シャウタータイプではないメアリーは、こういった時代もそれなりに乗り越え、2度目のグラミー賞を受賞した。
 中年となったメアリーは、大御所的存在になった。レコーディングやツアーはセーブしたが大規模な音楽フェステイバルなどには必ずと言っていいほど呼ばれていた。
 そんなある日、トミーから連絡がきた。
「ひさしぶりどころじゃないわね。あの日以来かしら?」
「やあ、連絡もせずに済まなかった。君の活躍は陰ながら喜んでいたよ。実はね、今僕はパシフィックにいるんだ。今度昔のソウル曲をカバーしたアルバムを作ろうという企画が持ち上がってね。是非君にお願いしようと思って。メアリー・ブラウン、復活のソウル!どうだい?」
「それは良いわね。やってみたいわ」
「バックは昔の仲間とはいかずジャズ系の連中になるけど、腕は間違いない」
「あなたのプロデュースなら安心だわ……ところでトミー、ジョニーについて何か知らない?」
「ジョニー・ボウマンだね。うん、その辺も会ってから話そう」

 パシフィック社の応接室で再会したトミーは、かつてのネズミ男とはかけ離れ、豊かな髭を蓄えて哲学者のような風貌を見せていた。メアリーと同い年ぐらいの白人男性も同行していた。
「やあ、メアリー、よく来てくれた。彼はバンドリーダーのフレディー・アルトマンだ」
  メアリーはフレディーに握手し、トミーにはいたずらっぽくウィンクした。
「呼んでくれてありがとう。さあ、どんな感じでやるの?」
「これが予定のセットリストだ。君に希望があれば考える」
 目の前に置かれた用紙に目を遣る。有名曲が並ぶ中にトライ・ア・リトル・テンダネスも入っていた。メアリーは満足そうに頷いた。
「それと、これがミュージシャンのリストだ」
 リーダーでピアノ、フレディー・アルトマン。ギター、ショーン・フレドリクス。ベース、ロジャー・ジョンソン。ドラム、オーティス・ホワイト……ジャズ系のミュージシャンには知己がおらず、メアリーは知らない名前をただただ眺めていたが、最後に動きが止まった。サックス、ジョニー・ボウマン。心臓が絞られるような感覚を覚えた。
「どういうこと? ジョニーなの?」
 不安げなメアリーに、トミーは深く頷いた。「騙すつもりや驚かすつもりはなかった……ジョニーだよ」

 フレディーが口を開く。「5、6年前になるかな。彼は我々がよく演奏するクラブで働いていた。歌ってはいなかったけどね。仲良くなり歌手を目指していた話とか聞く内に、楽器はやらないのかと聞いてみた。ピアノとサックスが少し出来るというので試したらサックスはまあまあ出来る。実はちょうどサックスが辞めた時期だったのでバンドに入れたんだ。彼は頑張ったよ。我々に溶け込むのにそう時間はかからなかった」
 トミーが続ける。「私がパシフィックに誘われたのはつい最近で、音楽の現場に日参し、使えるミュージシャンはいないか探していた。ジョニーを見た時はとにかく驚いたね。彼は君には黙っていてくれと言ったけど、この企画を良い機会、いや、これを逃したらダメだと何とか説得し今日に至ったという訳だ」
 メアリーは、ぼんやりと二人の話を聞きながら胸の鼓動を抑えようとゆっくりと深呼吸をしていた。
「呼んでも良いかい。まずは二人で話し合ったら良い。時間は気にするな」
  二人が出て行ってまもなくジョニーが入ってきたが、メアリーにはとても長い時間のように感じた。不吉な胸騒ぎに似た落ち着かない心持ちは、彼が目の前に座ってもしばらく続いていた。
 あまり老け込んではいないジョニーは、昔からそうだったがよりはにかむような笑顔を見せていた。「メアリー、連絡もせずに済まなかった。俺の事を今でも恨んでるかい?」
「ジョニー、あなたの事を一度も恨んだ事なんてないわ、本当よ。とにかくあなたが音楽をやっていて良かった。安心したわ」
「君も頑張ったね。凄いじゃないか」
 メアリーにあの日のような笑顔が戻ってきた。「それにしてもジョニー、あの日、家を出て行ってから随分帰りが遅かったわね」
「ごめんごめん、道に迷っちゃって」
「よく言うわよ」二人は自然に笑い合い、しばらくの間昔の事から近況まで喋り続けた。
「さあ、そろそろジョニー・ボウマンのサックスを聴かせてちょうだい」

 廊下を歩きながら、メアリーが尋ねた。
「ジョニー、あなた、ずっとニューヨークにいたの?」
「そうだよ」
「なんてこと……」

 録音は『トライ・ア・リトル・テンダネス』から始まった。
 ホーン隊が出だしを担い、メアリーの歌い出しをフレディーのピアノがフォローした後ジョニーのサックスが静かに漂い始めた。時を刻むようなドラムのリムショットが繋ぐ。メアリーの歌唱は徐々に熱を帯び、サックスはほぼ絶え間なく歌声に絡んでいった。クライマックスには情熱的なサックスソロが入り、メアリーの歌声も佳境を迎えて、全員の息が合いながら、曲は結ばれた。

 コンソールルームのトミーは、目を赤く腫らしながら幸せそうに微笑んでいた。録音ブースでは、あの日のレコードショップのようにメアリーとジョニーが明るく笑い合っていた。
「リトル・テンダネス、ほんの少しの優しさか……復活したのはソウルだけじゃないな」

 録音ブースにマイクを繋ぎ、勢いよく首尾を伝えた。
オーケイ!」
                       (おわり)