小説(三題話作品: うし スマート つばき)

香水 by k. m. Joe 

僕は、地元のケーブルテレビ局、エブリデイTVでカメラマンとして働いている。局の規模は小さいが、そこそこ人気はある。社長の春日さんが現場のディレクターも務めている。春日さんは大手資本とは無縁で、仲間と数人で局を起ち上げた。こういうとやり手実業家のイメージだが、ご本人はひたすら優しくのんびりした感じの人で、僕や他のスタッフがミスをしても叱るという事がない。その裏で懸命にカバーしているんだと思うと、器の大きさを感じ働き甲斐にも繋がっている。

春日さん始めスタッフの頑張りが我がエブリデイTVを支えているのはもちろんだが、もう一人絶対的な人気者がいる。メインリポーターの本田基子さんだ。基子さんの存在感は大きい。えーと、ここだけの話だが、体格的な存在感も大きい。つまり、かなりふくよかでいらっしゃる。ところが、底抜けに明るい基子さんは、このふくよかさを逆手に取った。中継が始まると、わざと狭い場所を窮屈そうに通過して、「ハイ! スマート本田です!」とにこやかに登場するのだ。いつの間にか基子さんは「スマートホン」とか「スマホ」とかの愛称で呼ばれ、一般のテレビ局にも登場する名物リポーターとなった。その為フリーのタレントとなったのだが、エブリデイTVの仕事を最優先している。

その基子さんに訪れた決定的な変化のキッカケが、あの椿原権作さんの取材だった。内容は、椿の花のユニークな品種改良である。基子さんのお決まりの挨拶の後、椿原さんが一品ずつ紹介していった。

「はい、それではですね。まず一つ目のご紹介をお願いします」
「うん、これからいこうかな」

花びらは通常の椿だが、おしべの部分が薄めの小豆色でもこもこしている。僕は奇妙なおしべにズームインした。

「この椿は名前があるんですか?」
「あんこ椿だよ」

一瞬カメラを落としそうになった。しかし、確かに言われてみればこしあんだ。

「これはまたユニークなお名前ですね。まさか食べられないですよね」
「ははは、そこまでは改良できてないねぇ」

椿原さんは、基子さんと並んでいるからではなく、ちっこい、いかにも人の善さそうなおじさんだが、クレイジーな発想の持ち主なのかも知れない。彼の屈託のない笑顔にズームしながら、何か得体の知れない予感が湧き始めていた。

「このあんこ椿からだね、昭和歌謡シリーズを考えたんだ。まずはくちなし椿」

真っ白でひらひらした花びらに、例の、椿の花を特徴づけている力強ささえ感じるおしべが鮮やかだ。あんこ椿に比べてこれは鑑賞に値する。素人目にはそう感じた。

「へえ~、何か女性的な部分と男性的な部分を感じますね」
基子さんも、まともな反応ができた。

「次は、からたち椿」

からたちの花は、くちなしほど真っ白ではないが、白い花弁がプロペラのように5枚バランスよく広がっている。そのままの形状を生かして、やはりおしべが椿だ。これも普通に鑑賞できる。カメラを回しながらも、品種改良って一体何なんだろうという根本的な疑問も覚えた。

「これはどちらかと言えばからたちの花に近くなっちゃいますね」
確かに、もはや椿では無い感じなのだ。

「そうかもね。次は歌謡曲じゃないが、サルビア椿だ。これは中々大変だった」

小さい赤い花が縦並びに咲き、まるで炎のようだ。その花ひとつひとつに、椿のおしべをバラバラにしたものが突き出ている感じだ。個人的には、ちょっとおしべが煩わしい。

「これはまた……賑やかですね」基子さんも微妙な印象を受けた感じだ。

「これはやり過ぎたかな。それはそうとね、自信作が最近できたんだ。是非紹介したいんだけど」
「はい、見せて頂きましょう」

出てきた花は、あんこ椿を超えるトリッキーなものだった。花びらが白黒模様なのだ。これは一体何だろう?

基子さんも考えるような表情をしている。というか、ちょっと不安げな様子にも見える。

「これは・・・パンダ椿?」なるほどそうかも。ところが。
「いや、牛椿だ」

次の瞬間だった。基子さんが突然気を失うようにバランスを崩した。春日さんがすぐに支えて「すいません、ちょっと中断します」と慌てた様子で伝えた。

撮影も当然中断し会社の車に戻ると、基子さんが最後部の座席に座っていた。女性スタッフのカンナさんが付き添っていたが、基子さんは落ち着きを取り戻しつつあるようだ。

「大丈夫ですか?」
「ああ、タカシくん、ごめんね、撮影を止めちゃって……そうね、あなたにもちゃんと話しておかないといけないわね」

基子さんの具合が悪くなったのには、理由があったのだ。話は、彼女が中学生の時にさかのぼる。ある日の授業中、寝不足がたたり、うたた寝をしたそうだ。それだけならまだしも先生に起こされた時、見事なまでに糸を引いた長い涎が出ていたのだ。目ざとい男子がそれを見逃さず、「わっ、牛女!」とからかった。当時から基子さんは体格的な存在感があったのだ。

悪口は瞬く間に広がる。基子さんはあらゆる男子から「牛女」と呼ばれるようになってしまった。女子も「モ~ちゃん」と呼んだ。基子だからモ~ちゃんでも良いのだがタイミングを考えるとこれも悪口である。

基子さんは当時から性格は明るかったので、牛女と呼ばれても、何言ってんのよと笑ってかわしてはいた。しかし、心の奥底では牛に対する嫌悪感が高まり、やがて身体に変調をきたすようなトラウマになった。特に乳牛がダメで、黒と白の模様も注視は出来なかった。考えてみれば、局の企画でも、牛関連の話題には、基子さんは一切関わらなかった。僕以外の局の人間は、皆事情を知っていたのだ。

僕が返す言葉を何とか考えている時、春日さんが入ってきた。

「基子ちゃん、大丈夫?」
「はい、すみませんでした」
「うん。それで椿原さんに正直に事情を伝えたんだ。解ってはくれたんだが向こうにも事情があってね。彼は以前小さな酪農農家を経営していた。ところが、すべての牛が伝染病に罹り、死んでしまったそうだ。補償はされたんだが、ショックは大きく、酪農は再開せず友人の勧めもあり、椿などの花の栽培を始めたらしい。あの、最後に披露した椿、あれこそが、椿原さんの思い入れが最も強い作品なんだ」

春日さんは、雰囲気を変えるように両手をパチンと合わせ、続けた。

「さて、それでだ。あの椿だけ追加取材した形にして後で編集しよう!カンナちゃん、リポート頼むよ」カンナさんは、ディレクターのアシスタント兼リポーターを兼ねている。春日さんのアイデアで、どうにか取材は完結し、番組も無事放送できた。


それから、2週間ほど経った頃、春日さんが椿原さんの話題を持ち出してきた。

「おぉ、タカシ。椿原さん居ただろ? 実は話したい事があるらしいんだ。俺が時間の都合が付かなくてね。ちょっと行ってきてくれないか?」

何だろうと思いつつ、僕は椿原さんを訪ねた。

「あぁ、どうもカメラマンさんだったね。まあ、お座りよ」

事務所の応接テーブルの上に、小さな瓶が置いてあった。

「いや、この前は取材してくれてありがとう。スマート本田さんは大丈夫だったかな? 私も彼女のファンで、思いがけず苦しめる事になって正直辛かったよ。そこでだ。これ」

椿原さんは小さな瓶を指し示した。

「これは何ですか? 香水?」
「そうそう。実はね、これは牛椿のオイルエキスを使った香水なんだ。これを本田さんに贈呈したい」
「もしかして……これで基子さんのトラウマが解消できると?」
「うん、自信はないんだけどね。私の、牛を愛する気持ちが彼女に伝われば良いんだが……」

当然科学的根拠はないだろう。お礼の品程度の認識で、僕は牛椿の香水を持ち帰った。もちろん内容はばらさず基子さんに渡した。


するとすると、なななんと、やはり、あのオッサン、得体の知れない人物だった。基子さんに香水を渡した次の日、春日さん始め、局内の人間全てがあまりの事にでんぐり返った。基子さんが、乳牛の着ぐるみを着てきたのだ。

「春日さん、この格好でリポートしても良いですか?」基子さんの目は真剣だ。春日さんは二、三度細かく頷いた。もしかして、ショックで震えただけなのかも知れない。

こうして、新生本田基子リポーターが誕生した。オープニングのひと言も、「こんにちは!本田モ~と子です!」に変わった。さらにすごいと思うのは、この変わりようはすぐ世間に受け入れられ、彼女の人気度も上がっていった。

一体どういう事だと思いつつ、トラウマが取りあえず無くなったのは喜ばしい事に違いない。ただ、小さな不安もあるにはあった。あの香水が底をついたら、また同じものが果たして作れるのだろうか……。

(おわり)