マルメゾン城 by Miruba

 
パリの西約13km、リュエイユ=マルメゾンにあるこの城館と260haの土地は、1796年にナポレオンとド・ボーアルネ将軍の寡婦だったジョセフィーヌが結婚後住んだところで、政治執務の為にパリのチュイルリー宮殿での堅苦しさから離れて旬末を過ごすナポレオンの憩いの場所でもあった。


美しいジョセフィーヌは贅沢好みで、600着はあったという洋服を毎日5,6着は着替えたというから驚きだ。
好みのバラ園も、類を見ないほど大きく、贅をつくしていった為に常に金銭的に困り、ナポレオンに泣きつき、ナポレオンも「これが最後」と叱責しながら常に穴埋めをしたという。
  

ナポレオンが皇帝であった間にはあちこちと居住場所を変えねばならなかったが、離婚をした1809年にジョセフィーヌは再びマルメゾンを住まいとする。
ジョセフィーヌが亡くなると城は売却されたが、ナポレオン3世のときに一旦は買い戻される。
ナポレオンボナパルトの実弟とジョセフィーヌの前夫との娘オルタンス女王が結婚をして、二人の間に男の子が生まれ、この子が後のナポレオン3世となる。ナポレオン3世にしてみれば祖父母の思い出の地も大切にしたかったのかもしれない。
1906年記念館が建てられた。
  

マルメゾンの散策に出たのだが、その近くにジョセフィーヌが庭園を楽しむ為に1805年に建てたプチ・マルメゾンでサロンコンサートが行われると言う案内を偶然見て、聴きに行った。
  

日本人のNakano Mahokoさんがショパンとリストの曲10曲ほど聴かせてくださった。観客は50人ほど。日本人は私達だけで皆サロンコンサートの常連さんたちのようだった。実力のあるピアニストのようでそのテクニックは巧妙で優雅な時間を感じさせてくれた。ジョセフィーヌの散財のお陰で、当時を偲ぶことが出来るのだ。


建物の外壁は修復が必要なほど荒れていたが、セレモニーホールになっている館内部は手入れされていた。

お昼は近くのレストランで食べる。さすが郊外で量が多かったため、デザートは注文しなかったのだが、最近流行りのカフェ・グルマンを食べた。
  

フランス料理は「テーブルには一皿しか載せない」として、コーヒーとデザートが同時にテーブルに並ぶことはなかったので、どこのレストランに行っても、デザートを頼むときに「コーヒーを一緒に持ってきてね」と念押ししないと、コーヒーは運ばれてこなかったものだが、「食い道楽コーヒー」と言う意味のカフェ・グルマンなら、コーヒーと日本風の小さなデザートが一皿になっているので問題ないのだろうか。最近はフランス人も小食になり、「アントレとメイン、またはメインとデザート」と言うようなメニューが増えていて、デザートを頼むほどではないけれど少し食べたい、と言う人の為、また店のほうは、少しでもデザートをとってもらいたい為、付加価値をつけたコーヒーに重点を置くようになったのかもしれない。


ナポレオンはセントヘレナに流される前にマルメゾンに立ち寄ったのだと言う。
ジョセフィーヌとの夫婦が円満のときに過ごしたこのお城が懐かしかったのだろうか。
そんなことを思いながらマルメゾンを後にした。