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モネのアトリエと庭園・ジヴェルニー村 by Miruba

パリにはそろそろ秋の風が漂ってくる8月末、毎年必ず行くジヴェルニーに向かった。
出るのが遅かったので、高速道路A14を西にセーヌ川に沿って1時間も走ると、お昼の時間だった。
ロールボワーズ(Rollboise)という田舎町のホテルレストラン、ドメーヌ ドゥ ラ コルニーシュ(Domaine de la Corniche)へ入る。
サービスも行き届いて気持ちの良いフレンチレストランだ。味もよかった。
  

鮭の前菜と、メインのひとつホロホロ鳥。
  

そしてデザート!なによりゆっくりと蛇行するセーヌ川の景色を眺めながら食事が出来るのは格別だ。 


パリの北西約60キロに位置するラ・ロッシューギヨン(La Roche Guyon)は、石灰で出来た岩が雪山のように青空に浮かび上がる。その裾野のかべは掘られて、商店や倉庫になっている。
  

ラ・ロッシューギヨンの地名のもととなったお城がある。1621年、公爵になったラ・ロシュフーコ家が、僧侶となったロアン公爵から土地を購入し、それ以来、世襲継承している。13世紀に造られたこの城は16世紀半ばフランソワ1世が住んでいた城でも知られているのだが、それは長くは続かなかった、なぜならイタリアとの戦闘で功績のあったアンギアン伯爵が、何者かが窓から放り投げた化粧小箱を頭に受け、頭蓋骨骨折で亡くなってしまう事件があったからという。


戦後復元された城跡をみると、今でもドンジョンの廃墟が見上げるように高いところにあり、その勇壮たる姿は、村人に威圧感と安心感を与えただろうと思える。

蛇行するセーヌ川に沿って次に向かったのがヴェトゥイユ(Vetheuil)と言う田舎町、というか村落だ。少し黄色味を帯びた石でできたヴェクサンフランセ独特の農家の家々が残っている。この地にモネが3年ほど住んでいたことがあり、妻のカミーユが1879年この地でなくなったことから、知られる村になった。
 

モネの家跡か、なにか無いのかと、小さな村を捜し歩いたが、見つけることが出来なかった。観光ガイドブックにも出ていないような村だから仕方が無いのかもしれないが、折角の村おこしになるのに、とつい思ってしまうのは、私が日本人だからか。

村の高台にこじんまりだがどっしりとした教会があり、セーヌ川をはさんだ対岸から眺める。この教会の景色を画家達は愛したと言う。12世紀から4世紀もかけて作られたとのことだが、日曜日にしか開かないようで、中を観ることはできなかった。予約をすれば中には入れるようだが、こんなところも観光客を受け入れる気はなさそうだ。それもまた良いことかもしれない。


しかし、まだ4時だと言うのに、店がほとんど閉まっているのは? まさかスペイン並みにシェスタか? 面白い村だった。

パリから西北に約80kmのところにあるジヴェルニーに到着。
クロード・モネがこの地を定住としたのが、1883年4月、43歳のときだったと言う。邸宅の壁はばら色に、ボレー(雨戸)と窓枠は緑にしたのは、モネの希望だったそう。暫くは貧乏な生活が続くのだが、60代になって有名になったモネは一点描けば描くだけお金になり、すっかり大金持ち。邸宅がどんどん綺麗になっていく。「花の館」を作る際、8人の庭師がいたそうだ。9年後、ジャポニズムと言われた浮世絵からの影響で、「水の庭」をつくり、太鼓橋や睡蓮の花を配置した池を作るが、近くを流れるエプト川から勝手に水を引いて作ったので、後々まで問題となった。
  

モネの絵がずらり、でもここにあるものはレプリカがほとんど、とのこと。

 
セザンヌの絵など収集もしている。


また浮世絵のコレクションも半端なく大量で、当時人気の出ていた浮世絵の贋作が出回っていたので、贋作をつかまされないようイギリスの有名な鑑定家からのアドバイスをうけながら、購入したと言う。230点とも言われる浮世絵コレクションをこれでもかと部屋中の壁に飾って楽しんだ様子が伺える。浮世絵が部屋中といわず階段や踊り場にもある。食堂の角に瀬戸で出来たネコの置物がなんとなく日本っぽい。
  

食堂は黄色で統一されている、この部屋には自分の絵も飾らず浮世絵だけを飾ったと言う。この食堂でルノワールやピサロたちとジャポニズムについて話し合ったのかもしれない。


ブルー色に統一された台所、オーブンなどがある調理台だが、ポットの置いてあるところは、中に水を入れると、火を焚くオーブンがあるためにその熱を利用して常にお湯が使えた、お湯用の蛇口もあるのが見える。100年以上も前に湯沸かし器を使っていたなんて驚き。このころモネは絵が売れていて、いくらでも家にお金をかけたという。


 庭の一角でパーティーが行われていた 維持費を稼ぐ為に貸し出しているよう。


りんごの木が枝を上に伸びないよう横に張らされていた。盆栽のやり方を取り入れているのか。


太鼓橋が見える睡蓮の池.


 一年ぶりに訪れたが、毎回ほっとさせる空間で、それは日本庭園を思わせるからかな、と思った。そぞろ歩きをしていると日本から贈られた次郎柿の実が少しだけ色づいていて、秋が近いことを思わせる一日だった。