ホイップクリームの生まれた町・シャンティイ by Miruba

今年の日本の夏の暑さは、ニュースで伺っていますが、一方パリは7月上旬は暑かったのですが、8月になると、毎日朝晩が涼しくて昼間もそれほど暑くはありませんでした。
今日も25度です。過ごしやすいですが、夏は暑くないとね^^


さて、数日前ですがシャンティイというところに行ってきました。


シャンティイ城という14世紀から19世紀にかけて作られた建造物のあるところで、色々な城主が住んだお城なのですが、19世紀オーマール公という絵画コレクターがいたおかげで、今ではコンデ美術館という名前が門についているほどたくさんの絵画を見ることが出来ます。


写真左:北駅 この駅からイギリスへ行くユーロスターも出ます
北駅の構内にピアノが置いてあって普通のおじさんが弾いてた、なかなか上手。



シャンティイには GARE de Nord (ギャールデュノー=北駅)から郊外電車で30分ちょっとでつきます。
シャンティイ城には子供が小さかった頃や、日本からのお客様が来たときなど、必ず訪問してきました。
友人カップルが二度ほどフランスでドレスを買って、このお城をバックに結婚記念写真を撮ったことがあるのですが、
それにふさわしい優美なお城のひとつです。



いつもは車なので、電車で来たのは初めてでした。
遠いと思っていましたが、30分くらいなら通勤圏ですね~
それでも御一緒したマダムが「パリに住んだら、こんな田舎は住めないわね~不便で」ですって^^
駅から広大な庭を横にみて20分ほど歩いてお城につきましたが遠くに見える車道は車が連なっていました、観光客の多い季節ですものね。
「結構いい散歩になったわね、パリにいるほうが歩くけれどね」と件のマダムがおっしゃる。
確かに、田舎にいると、ついつい車で移動するという人が多いのに、東京では地下街を歩くだけでもかなりの距離を歩きますから、最近では足腰の強いのは都会の人かな、と思ってしまいます。




お城の中の絵画コレクションにはいつも感心させられます。


1830年大伯父のブルボン公(コンデ家)からシャンティイを譲り受けたオーマール公はまだ8歳、成人してからアルジェリア戦で名を馳せるもその後亡命生活22年をイギリスで過ごしますがその間に絵画を集め、その後シャンティイに戻って荒廃したお城を美術館のように作り直します。
二人の息子と妻に先立たれたオーマール公はシャンティイ城が再建できたあと、1886年にフランス学士院に、このお城と美術品を寄贈するのです。
絵の位置は変えないことと貸し出しをしないこと、息子に継がせるはずだったコンデ家という名前を残す為にコンデ美術館とすることの条件をつけたのだそうです。



お城を見終わってお昼になりました^^
お昼はクレープリーのお店でおかずクレープを食べました。



そば粉のクレープの中はハムと野菜、真ん中に目玉焼きが乗っていてシャンピニョンとオニオンのクリームソテーが乗っています。
パリ市内のお店と違って量がおおくて、とっても美味しかったのですが少し残しちゃった。
りんごのお酒シードルが大変美味しかったのはのども乾いていたのだけれど、ドライシードルだったからかも。


シャンティイは馬のお好きな方なら御存知でしょうか、競馬選手で有名な武豊選手が暫く滞在したところですね。
お城のそばに、大厩舎があります。


18世紀はじめ、「人間が死ぬと馬に生まれ変わる」と信じていたブルボン公ルイ・アンリの為に建造されたそうで、歴代王や賓客が祭典などのとき立ち寄るところでも知られています。馬の美術館もあるのです。



この日競馬はやっていませんでしたが、スペクタクルをやっていました。馬達が難しい技をやっていることはわかりましたし、曲芸の人もいてなかなかスリル満点でフラメンコのドレスなどを着ていて華やかで見ごたえがありました。



帰りにはシャンティイ城の庭を散歩しました。
一緒に行ったお仲間とあれこれおしゃべりをして歩いてきたので、乗る予定だった電車の時間に間に合わなくなりそう!



ここを走りました
皆で小走りに駅にもどり、ぎりぎりに電車に乗ったのです。
涼しく快適だったのに、20分小走りに歩いたので電車の中では汗だらけ
「あああ、しまった~帰りクレームシャンティー食べるはずだったじゃない!」
連れのマダムががっかりした声を出しました。


そう、日本ではケーキといえばホイップクリームがつき物ですが、生クリームのホイップしたものをフランス語では「Crème Chantilly」クエーム・シャンティイというのですが、コンデ家の料理人だったフランソワという人が考案したのです。
このフランソワヴァテールという料理人は、1671年、コンデ公が太陽王・ルイ14世を招待し晩餐会を三日三晩に渡り開催した折、総指揮をとりました。


国王達の来賓客をもてなす料理にはかなりの計画と準備が必要なことは想像できますが3日目の朝、不幸なことに到着した注文の魚介類が満足できるものではなく、祝宴を台無しにしてしまったと自室で自殺をしてしまったという悲話が残っているそうです。フランスでは映画にもなっていますよ。


仕方が無いので、フランソワさんの冥福を祈る為、クレームシャンティイはパリのカフェでいただきました^^うふ
折角たくさん歩いてダイエットになったのに、これでは元通りーー