File No.1 モンマルトルの裏の坂道 編
今回から始まった「Mirubaのパリの散策」。日本とフランスの両方で暮らすMirubaさんがパリのあちこちを歩いて素敵な場所を紹介します。第1回は、パリの中でもいちばん高い丘、モンマルトル地区の裏道を紹介してくれます。
パリ、モンマルトの北にある18区の街角。
メトロはLamarck-Caulancourt=ラマルク・コーランクーだ。
ラマルクは19世紀初頭の自然科学者。研究成果が認められることなく貧困のうちに85歳でなくなったという。またコーランクーも人名でラマルクと同じ時代の軍人だ。
革命前のルイ16世の頃からナポレオン18世まで活躍し外務大臣にもなった人だという。
モンマルトルは観光客で賑わっているが、裏道の午後は静かだ。
路地坂の木陰で、カフェでの時間を楽しむ。
ネクタイ姿も爽やかなギャルソンが、忙しくテーブルの間を行き来している。
両手にカバンを持ってバゲットを小脇に抱えた紳士が誰かを待っている。
パンを焼く香りが鼻くうを刺激して、ブーランジェリー(パン屋)に寄らないわけには行かなくなる。
壁の汚れが気になってきた。
早速壁紙を剥し、ペンキを塗った。
まず、窓枠もペンキで塗るので養生をする。
壁紙がなんと4重になっていて剥すのに苦労する。そういえば、中古でこのアパートを買った時、壁紙を剥さずにそのまま気に入った壁紙を張ったことを思い出した。
ビフォー & アフター
窓枠も完了。
疲れたので、画家の愛したモンマルトルを思い浮かべ、ラ・ボエームを聞きながら、ワインを飲む。ブーランジェリーで買ったバゲットとチーズとサラミをおつまみに。
<了>
↓ラ・ボーエムはこちらで聞けます。
訳詞 by Kazkoline
『ボヘミアン』
若い君たちに 君たちの知らない頃の
話をするよ
その頃モンマルトルには
リラの花が
僕たちの部屋の窓辺まで届いていた
みすぼらしい
家具つきの貸し部屋が
僕たちの住処だった
僕たちはモンマルトルで知り合った
僕はとても貧乏で
君は裸でモデルになってくれたね
ラ ボエーム、 ラ ボエーム
それは僕たちは幸せだったと言う意味
ラ ボエーム、 ラ ボエーム
僕たちは二日に一回食事を取ったものだ
近所のカフェで
僕たちは
栄光を待っていたものだ
惨めで
空きっ腹を抱えていたとしても
僕たちは成功すると信じていた
あるビストロで
絵と交換に
暖かい食事を提供してくれたこともあった
そんな時僕たちは詩を暗唱し
ストーブを囲んで
冬を忘れた
ラ ボエーム、 ラ ボエーム
それは君は美しいと言う意味
ラ ボエーム、 ラ ボエーム
僕たちは皆才能があった
時折、僕は
イーゼルを前に
一晩中起きていることがあった
デッサンをやり直して
胸の線
腰の美しい曲線の
朝まで
やっと
クリームコーヒーを前に
疲れきって、でも満ち足りて
愛し合わなくてはいけないと言うより
僕たちは人生を愛した
ラ ボエーム、 ラ ボエーム
それは僕たちは二十歳だったと言う事
ラ ボエーム、 ラ ボエーム
僕たちは食うや食わずだった
ある日
僕は偶然
僕の昔の住所まで出かけてみた
もう昔の面影はない
僕たちの青春を見ていた
壁も道も
階段の上に
僕はアトリエを探す
街は新しくなり
何の面影もない
モンマルトルは悲しげで
リラは枯れていた
ラ ボエーム、 ラ ボエーム
僕たちは若く、夢中だった
ラ ボエーム、 ラ ボエーム
それはもう何の意味もない
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