パリの街の門のお話・カルーゼルの凱旋門 by Miruba

★カルーゼルの凱旋門 (L’arc de triomphe du Carrousel)
メトロ1号線Tuileries(チュイルリー)
 

フランスの世界遺産「パリのセーヌ河岸」に含まれているカルーゼル凱旋門は、ルーヴル美術館の西のカルーゼル広場に佇む、ナポレオンが最初に建てた元祖凱旋門なのです。
カルーゼル凱旋門は、エトワール凱旋門と同じように「カルーゼル広場にある門」と言う意味。この広場がカルーゼルと呼ばれたのはさかのぼること1662年ルイ14世がこの場所で馬術を観賞したのでそう呼ばれました。カルーゼル"carrousel" とは、軍事馬場馬術のことです。



それから150年後1806年から1808年の2年間かけて、この場所にナポレオンの勝利を祝するために門が建設されたのだそうです。ですがナポレオンはこの凱旋門では物足りなかったのかエトワール凱旋門も同年に設計させたのですが大きさは2倍あり、完成までに30年を要しました。1806年といえば 日本では江戸、文化3年3月4日-失火家屋12万6000戸、死者1200人を超えたと言われる「文化の大火」が発生した年。ナポレオンもその生涯をほとんど戦火の中で過ごしナポレオンの戦争によって200万人の命が奪われたことで「人命の浪費者」とも揶揄されたほどですが、この凱旋門が出来た頃は絶頂期でした。

カルーゼル凱旋門の大きさは、高さ19m、巾23m、奥行7.3mです。外回りには花崗岩でできた8本のコリント式円柱があり、上には帝国の兵士8人の像が凛々しくそびえています。
初めはナポレオンがヴェネツィアから奪ってきた4頭の古代の馬のブロンズ像が飾られていましたが、ナポレオンの没落後の1815年にヴェネツィアに返還され、1906年に新しいものが代わりに設置されました。

凱旋と言うことは戦いがあったという事でしょうが、戦争のための門であれば質実剛健的ながっしりとしただけののっぺらぼうになりそうですが「凱旋」と言う戦いをにおわす建物の割にはこの門は美しく装飾が施されていて、平和でなければ建造できないまさに平和の象徴となったのではないかと皮肉を感じます。
 

ミレーユマチュー 「パリの空の下」
Mireille Mathieu - Sous le ciel de Paris
 

小説「カルーゼルの凱旋門にて」
 

パリにあるルーブル美術館は、何度見に行っても見終えることはできない。
今日は印象派の作品を見ようか、それともフランドル派にするか、今度はルネッサンスだ、今回はエジプトの考古学者の気分でと、その日興味がわいたテーマで作品を絞り込む、だが毎回その貯蔵品の多さには驚かされる。

テーマを決めず漠然と見て歩いているとつい時間が過ぎて_本当はあれが見たかった_と思っても、もう足が棒の様に疲れ、次回への後回しになってしまう。
結局何も見なかったような気分になるのだ。

お昼にルーブル内のカフェで休憩を挟み5時間たっぷり楽しんで過ごすことにする。
ピラミッド型のルーブルの入り口には既に永遠と人が並んでいる。
ここを通っては、時間がもったいない。
私はカルーゼル凱旋門近くにあるライオンの門から入る。
ここは穴場の門でいつもほとんど並んでいない知る人ぞ知る入り口なのだ。


久しぶりの休みをたっぷり絵画鑑賞で過ごし、気だるい足をゆっくりと家路に向かう。
夕暮れに差し掛かっていた。
カルーゼルの凱旋門が黄昏のパリの空に美しく見える。
ちょっと写真を撮っておこう。
私は小さいデジタルカメラを凱旋門に向けた。
カメラの中に映った凱旋門・・・だがなにか違和感を感じた。

肉眼で全体を見たが近視なのでよくわからない。
もう一度カメラを覗き込み、ズームアップして見てみた。
「あ、あれ人じゃない?」思わず口に出る。

カルーゼル凱旋門の先に庭園があるのだが、その一つの生垣の根元に人が寝ている。

浮浪者かしら、そばを通る観光客はむしろ気が付かないようだ。

だか、ファインダー越しにもなんとなく気になる。
側まで歩いてみる。
綺麗に刈り込まれた生垣の下をさりげなく覗き込んでみる。
これは・・・浮浪者なんかじゃない!「Mon Dieu! モンデュー!神よ!」

私が覗き込んでいるのを不思議に思った数人が同じようにのぞき込んでみんな口々に自分の国の言葉で驚きを口にする。
どう見ても高級そうな服を着たアジアンな男性だった。
その時は彫が深くインド系かと思ったが日本人にもみえる。

声をかけるけれど、返事がない。偶然近くを通った巡回中の警察官に助けを求めた。
警官が動かそうとするので「脳だったら動かさないほうがいいわ」というと、「知っている」と言って下がった。
_よく言うわ、たった今動かそうとしたくせに_私は警官をにらみつけたが相手は知らん顔で野次馬を追い払っている。

犬を連れたお婆さんが、「その人今朝からそこにいるわ。寝ているのかと思ったのよ」と言い出した。
そんなとこで寝るわけないでしょ! ったくぅと思ったが、、フランスではこざっぱりした身なりの浮浪者もよく見かけるし、そこらへんで寝ているのもよくある話なので勘違いも無理はなかった。

消防が救急車も手配するので、事件があった時はまず消防に電話をする。
消防工兵部隊といってフランス陸軍に属しているのだ。
救急車は民間なので通常有料なのだが、消防からの手配の時は無料だ。
ポンピエ(電話番号18)とアンビュランス(15)とポリス(17)の車が来た。

消防の人がテキパキと指図する。
担架に乗せながら洋服を探る「身分証明書も財布もないね、バックはなかった?これは強盗だな」という。
救急車の人が「一緒に乗ってください」と私に言う。
「え?  私関係ないし・・・」

でも結局放っておけないし、一緒に乗ってしまった。
やはり日本人だった。
睡眠薬強盗に遭ったのだ。
ルーブルの中を見学中ポーランド人だという観光客と話が弾み、お茶で飲もうと言うことになったらしい。
カフェでコーヒーを頼んだところまでは覚えていた。
そのコーヒーに睡眠薬が混ぜられたと推察された。
何時睡眠薬を入れられたのか分からないというから、話に夢中になっていたのか。
下手に英語が話せたのが、災いした。

睡眠薬が強すぎて死に至ったり、冬だと人に気が付かれずに凍死したりするので、今回はまだよかったのかもしれない。
それでも、身分証明書の発行やパスポートの再発行、カード差し止めの手配など、アレコレと手続きが必要で、私は日本にいる彼のご家族に聞きながら書類作成のお手伝いをした。

彼が退院したのは事件から3日後だった。

「本当にお世話になりました」
彼が食事をごちそうしてくれた。
一緒にカルーゼルの凱旋門をブラブラ歩き、観光客の行き来するのを見ながら、「平和の象徴と言える凱旋門だけれど、戦闘は身近で突然起こるものですね。心する良い機会でした」と私を見る。
 
爽やかな笑顔だった。
きゃ、素敵・・・と私は心で思った。
恋のタタカイが始まりそう・・・