パリの街の門のお話・サン-マルタン門 by Miruba
★サン・マルタン門 (Porte Saint-Martin)
メトロ4,8,9号線 Strasbourg Saint-Denis駅より徒歩1分。
サンドニ門の完成から僅か2年、同じ通り2キロほど東に、1674年サン・マルタン門が出来ました。高さは17mの石造の門で ルイ14世のオランダ・ドイツ・スペインの3国同盟に対する戦勝記念として建てられたそうです。ルイ14世さんは本当に偉大なフランスの王様だったのですね。てっぺんに「ルイ大王」と記されているそうな。
その後ルイ16世の時「ヴァレンヌ事件」が起きます。フランス革命によりクーデターを起こそうとする民衆から逃れ、マリーアントワネット王妃が子供達と、国外脱出を試みるのですが、その逃亡を手助けするのは、王妃マリーアントワネットの愛人であるハンス・アクセル・フォン・フェルゼン伯爵でした。国王一家を乗せた馬車に同乗し、自ら手綱を引き、通り抜けたのがパリの北側にあるこのサン・マルタン門だったのです。結局フランス北部の国境近くの町、ヴァレンヌで捕まってしまいます。これがヴァレンヌ事件です。国王一家は、パリに連れもどされギロチンの公開処刑となります。王妃マリーアントワネットは、そして妻の愛人に助けられようとするルイ16世の気持ちは、また恋人の夫である国王をも助けねばならないフェルゼン伯爵のそれぞれが、何を思いこの門をくぐったのでしょうか。
ヴェルサイユ宮殿の彫刻をした芸術家達がこの門の彫刻をも担当し、 グラン・ブールヴァール大通り側には三国同盟の解体を、大通り反対側には「三国同盟の敗北」を表現しています。黄土色の唐草文様のようなデザインが全体に彫られていて、近づいてみるとゴッホの燃えるタッチにも似たうねりの柄に見えるので異様さを感じます。パリの5つの門の中で一番地味な姿とも言えるかもしれません。
Edith Piaf : Non,Je Ne Regrette Rien
小説「愛しのマルティーヌ」
私の語学の個人レッスンの先生つながりでマルタンと言う友人がいます。
映画好きが高じて映画に携わる仕事をしているという事ですがいったい何をしているのか、また何で生計を立てているのかも謎でした。
時々エキストラで、有名な映画のワンシーンの端っこの端っこに数秒写っていたりしましたが、端役にさえなれない、アクターのようでもありました。背は高くアングロサクソン系のようですが、元が貴族の出だということで、おっとりとして上品な人です。話し方も言葉遣いも生まれの良さを感じさせます。
と言うことはおそらく大地主で、何も働かなくても自然にお金がたまる富豪かファミリーの人間なのよね。
皆でなんとなくそんな噂話をしていたのでした。
ある時、マクド(MacDo=マクドナルド)に行ったことがないと言うので、仲間数人と一緒に食べようということになりました。
注文して席に座り、マルタンが何か言いたげにしています。
「このテーブル担当のギャルソンは来ないね。クーベール(ナイフやフォークナプキンの一人分のセットのこと)を忘れているんだね」
皆で顔を見合わせ大笑いになったことは言うまでもありません。仲間の一人が、冗談っぽい口調で、
「コンテ(伯爵さま)ここでは野蛮にも手で食べるのでございます、ナイフもフォークも出てまいりませんぞよ」
そう言うとマルタンは照れくさそうに慣れない手つきでハンバーグにかぶりついていました。
そんな世間離れしたマルタンに付き合っている女性がいることはなんとなく聞いてはいましたがみんな会ったことがないのでした。
出会いもちょっと不思議で、パリ市内サン・マルタン門のロータリーで偶然知り合ったとのことです。
さらに奇遇なことに元々「マルタン」とはキリスト教の聖人名から来ているのですが、聖人名「マルタン」は男性名で、女性名は「マルティーヌ」と言います。
そしてまさに、マルタンの恋人はマルティーヌなのだそう。
サン・マルタン門でマルタンとマルティーヌが出会うなんて、そんな漫画みたいなことあるんだね、と皆が冷やかすのでした。
マルティーヌは旅行会社をやっていて世界中を飛び回っているということでした。
時々マルタンのところに戻ってきてひと月ほど泊まってはまた仕事に出かけて何ヶ月も戻ってこないというのです。
どうやらその度に彼女に融資をしているよう。
「ね、マルタン、その女性大丈夫なの? あなただまされているんじゃないの?」
そう尋ねてみましたが、そなことないと彼女を必死でかばいます。
いまや完全に愛しのマルティーヌ様で、マルタンは聞きません。
そんなある日、結婚するので参列してくれないかと言うのです。場所はパリ郊外の有名な大聖堂でした。
私たち仲間は、彼女に対する不信が危惧だったことに安堵をし、マルタンの幸せを祝うことにしました。
盛装をしてくるようにドレスコードがありました。
フランスの結婚式は大抵役所で行い、仲間内の披露パーティーで済ませることがおおいので普段着のこともあり、ドレスコードが書面で来るのはかなり格調高いことが想像されました。
まして大聖堂での挙式だなんて、さすが元貴族です。
私は振袖を着ていきました。エスコートはモーニングを着た友人でした。
大聖堂の中には一組一組呼ばれて入るのですが、その入場が驚きで、裁判官が木槌でトントン「静粛に」とやるあれが使われていました。
トン!トン!「マドモワゼルmiruba ! そしてムッシュー〇〇!」と教会内に響き渡る声で呼ばれます。
それから厳かに入場するのです。
荘厳な式。
テレビでしか見たことのないような花嫁の長い長いベールにうっとりとしました。
しかし、花嫁は結婚式の次の日マルタンのそばからいなくなりました。
花嫁準備にお金がいると言ってマルタンからたんまりお金を取り上げて。
_だから言わんこっちゃない_
マルタンは彼女にこの10年でほとんどの財産を搾り取られていたのです。
最後は自宅の修復もできなくなってしまいました。
でもマルタンは、相変わらず飄々としているのです。
歯がゆい、馬鹿が付くほどのお人よしのコンテ様なのです。
ところが私たち仲間には嬉しい誤算がありました。
数年して、ひょっこり彼女が戻ってきたのです。
マルタンがそんなに困っていると知らなかったそうです。(ほんとかしら)
ごめんなさいと謝って、これからの人生をマルタンに捧げるというのでした。
ほとんど廃墟となりかけていたマルタンの自宅をなんとマルティーヌ自身がコツコツと修復し、10部屋ほどの小さな独立部屋を作り、ホテル業を始めました。
マルタンは、彼女の言われたままに動きます。
黒服は背の高い上品なマルタンにぴったりでしたが、マルティーヌに言わせると黒服のときはホテルの飾りみたいなもので、マルタンには好きな映画の仕事をしてほしいとのことでした。
今ではコンシェルジュサービスもすっかり板についたマルタンは、経営者のマルティーヌと楽しく過ごしています。
二人の出会った想い出のサン・マルタン門に、マルタンとマルティーヌは時々行くそうです。
道行く車を眺め、ロータリーの中でマクドナルドを頬張りながら。