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小説 カペル橋の回想 by Miruba

サンモリッツから出るスイスアルプスを走る山岳観光鉄道氷河急行Glacier-Expressグレイシアエクスプレスに、ブリ-クから乗ってツェルマットに入ったスイスへの旅はその景色の壮大さに、緑の夏も雪の冬も忘れがたい。2006年にグレイシアエクスプレスは新型車両「プレミアム」に置き換えられたという。
また、フランス語圏の ジュネーブを行くのも好きだ。仏領モンブランでのスキーや、夏、南仏コートダジュールへ行くときの経由地だし、私にとっては、なんと言ってもドイツ語圏と違い言葉が通じやすいくレマン湖の畔でのゆったりとした時間は貴重だった。
13世紀初頭にハウスブルグ家に対抗するため作られた3州が、後に13州となり16世紀にローマ帝国からの独立を果たしたといわれるこの国はしかし、いまだに自国語が存在せず、公用語はドイツ語フランス語イタリア語と、わずかに話されるロマンシュ語の4ヶ国語である。欧州の歴史に風見鶏のように順応しながら生き延びてきた、賢くしたたかなスイスの国の人々。国連欧州本部、国際赤十字委員会など200もの国際機関の集まる永世中立国、正式国名Confoederatio Helvetica コンフェデラティオ ヘルベティカ、通称<スイス>。
スイス中央にある都市、【ルツェルン】も、もう一度訪れたい場所だ。世界一の急勾配を登る登山電車ピラトゥス・クルムは龍の気分で乗りたいし、歴史遺産や美術館などが立ち並ぶ旧市街はほんの半日も回れば良いくらいの範囲にあり、こじんまりとした美しい街だ。ヨーロッパのどこにもあると思わせるピカソ美術館もあり、瀕死のライオンも見たい。
さらにロイス川に1333年建造されたヨーロッパ最古の木造の橋といわれる屋根つきの【カペル橋】の姿が思い出される。ルツェルンの歴史が描かれた111もの板絵がかけてあるのだ。1993年にその三分の二が焼け落ちたが一年後の1994年に再建された。






花で飾られたカペル橋を渡り終えようとしたときだ。杖を持っていた老人が何かバランスを失ったらしく倒れた。観光客は驚いた様子はしても、助けようとしない。私が走りよってその老紳士の腕を取ろうとしたとき、反対の腕を支えた東洋人がいた。


 * * *


私に語学の才能がないのは、とっくに気がついていた。それでも生活しようと思えば、少しは覚えないわけにはいかない。3度目の巴里滞在のときに短期のフランス語講座を取った。カルチェラタンに近いその学校には日本人も多く学んでいたが、私のクラスに日本人は一人もいなかった。同国人と思って声をかけた若者は、エベレストのチョモランマでシェルパ山岳ガイドをしていたというネパール人の男性だった。


父親が日本人の女性と再婚し今日本で床屋をやっているという。彼とはすぐに友達になれた。もう一人、ロシア人の大人しいイケメン男性とアルメニア人の女性と4人でいつも一緒にいて、講習の後は、近くのカフェで話をした。


イタリア人やアラブ人、アメリカ人などの、自己・自国主張強調派組には到底かなわず、先生に「あなた達もっと意見を言いなさい。」と諭されても「機関銃のようなあの人たちのおしゃべりで、授業の間中反論さえする暇ないよね」とお互い慰めあったものだった。


試験が終わって、夏のグランドヴァカンスがすぐ其処まで来ていた。
サンジェルマンデプレ教会の前でジャグリングをしている白い夏服の青年を眺めながら、私たちはカフェ・ド・マゴのテラスに座り、いっぱいのコーヒーでいつまでも粘って話をしていた。


「もう、山はこりごりなんだ」
何故生まれ故郷を離れたのか問うた私に、彼が言った。
「なんにん登山者を天国に見送ったかわからない」と顔をゆがめる。


フランスに渡ったきっかけも、日本人のパーティーと共に登ったエベレストで7人が遭難し亡くなった事故のせいだった。ガイドの彼もやっとの思いで助かったのだという。
「もう、死人を見たくないんだ」苦しげにそう言った。


クラスの最終日、4人でレストランに繰り出し、ディスコで踊った。
「上のクラスも一緒に行こうよ!約束だよ」そう言ったけれど、私は行かなかった。


あの時次のクラスに行かなかったのは、彼の気持ちに気がついたからだった。「T’es jolieテジョリ=君はきれいだね」クラスで会う度にそう言ってくれていた彼、ネパールの言語の問題か「ジョリ」の間に息を吸い込む発音をする為、フランス語を覚えたての私には長いこと彼が何を言っているのか意味がわからなかったのだ。だが、ロシア人の友人が、耳打ちしてくれた。「彼はね、君が好きだから、フランスに住むことにしたらしいよ」


私には、学校が終わったら「スイスに住むお姉さんのところに行くんだ」と言っていたのだ。仕事もあると希望をにじませでいた。私などの為に予定を変更させるわけにはいかないじゃないか。




 * * *
カペル橋近くのレストランで、彼と昼食を共にし、お土産屋でスイスの特産品ともいえるオルゴールをおそろいで買うことにした。曲は、定番の<エリーゼのために>


彼は、あれほど嫌がっていた山に、また登るという。今度はヨーロッパの山だ。
マッターホルンかモンブランか・・・
「いつか、日本の山に登ってみたいんだ」
父親の住む日本に会いに行くことがあるだろう。
そのときに、またきっと会おうよ。と約束をした。


今はもう、ぜんまいが壊れて鳴らなくなったオルゴールだが、さわやかな山男の彼を思い出させる<エリーゼのために>の曲は、その後スイスを通る度に、心に流れていくのだった。