Mirubaのワルツィングストーリー

不均衡な愛 desequilibre by Miruba

♪踊り子 <このページの下のyoutubeでお聴きいただけます>

新宿のアルタ前を通り過ぎて、コマ劇場のほうへ歩いていく。


ティッシュを配っているお兄さんは、若い女の子には手渡すティッシュも、私には一瞬逡巡する顔をして、
それでも「今の時間安いんです、いかがですか」と、居酒屋の店員らしい呼び込みをした。
私はティッシュだけ受け取って、笑顔で通り過ぎる。


仕事の帰りに、少しだけ有酸素運動をしようと、ダンスシューズを持ってきていた。
来年には取り壊されると言うステレオホールに入ろうとした時携帯が鳴った。


「あ、はい、私、いまステレオについたところよ。え?・・・あら、そうなの?ご苦労様。ううん、気にしないで、またのときにしましょう。じゃね、頑張って」


ダンスの相手をしてくれることになっていた男友達からだった。急な残業になったという。
ドタキャンするのは、仕事を持っていれば、お互い様だ。さて、困った。この時間にホールへ行っても、相手をしてくれるようなフリーの男性は来ていないだろう。私は帰ることにした。


駅への近道の細い路地へ入り込んだ。歓楽街らしく、派手な夜へのお誘いの看板が立ち並ぶ。新橋あたりではあるまいに、立ち飲みの赤い提灯がみえた。長い暖簾の向こうに、こちらに背を向けたサラリーマン達が、コップ酒を飲んでいる風が見える。


「ごちそうさん」「ありがとうございました、またどうぞ」


飲み終わったらしい男性が暖簾を掻き分け出てくるのと、ぶつかりそうになった。


「あ、失礼しました」


私が悪いと言うわけではなかったが、とっさにお詫びを言って去ろうとしたら、その男性が私の腕を掴んだ。


ーきみは・・・ー


その声には、聞き覚えがあった。




ーーーーー
健とは、区の会場で行われた成人式のときに、隣り合わせの席になって親しくなった。
学校は違ったのだが、お互い陸上をやっていて、地区大会などで時々顔を合わせていたこともあってすぐに親しくなった。
彼は実家から私立大学に通っていたが、私はすでにデパートで働いていた。


半年も付き合った頃、大学の学園祭でハマジル大会があるから練習しようと誘われた。
当時毎週のようにデート場所にしていた横浜で流行っていたジルバだった。
ちょっとアクロバチックでノリのいいジルバは、私達を虜にした。


フォーラウェイロック、
チェンジオブプレイス、
アメリカンスピン、


クレイドル、
ウィンドミル、
ストップ&ゴー




黒のマンボズボンと白いベストの健、ポニーテールと落下傘スカートで、大会などにもでて、私達は踊り狂う。
ステレオホールの大人たちからも、ジッダバックが「懐かしい」と拍手喝采を浴びた。


健は講義の無いこともあり時間を造ることは容易だったが、仕事が終わってからしか遊びにいけない私は、
練習時間はどうしても夜になった。仕事場が移動になったことを言い訳に、両親を説き伏せて一人で小さなアパートを借りた。
もちろん健とずっと一緒にいたかったからだ。二人でおそろいのコーヒーカップなど買って、おままごとのような半同棲をおくっていた。
西向きで夏は暑くて蒸し風呂のようになるのだが坂の上にあったので街が見渡せて気に入っていた。
夜は宝石をちりばめたような街の灯を窓から眺めながら、たいして飲めないビールで乾杯する。そんな時間が楽しかった。


就職できたら「結婚しようね」と約束をしていていた私達。
知り合って2年後、健は無事就職が決まった。
でも、実際就職すると、デパート勤務の私とは休みが合わず、学生のときは私に合わせることも可能だった彼の休みは、
絶対日曜日となって、二人の趣味の踊りにもなかなかいけなかった。


休みの日に一人でいたってしょうがない、そういって、彼は実家に帰ることが多くなった。


一人ベットで目覚めると、小さなアパートなのに広く感じる。
寂しさから休みをあわせてくれる友達と頻繁に遊ぶようになった。
自分は自由にしているくせに、私が別の友人と踊りに行くのを嫌がる健。
少しずつ諍いの時間が増えていたのに、気がつかなかった。


その日、私は久しぶりに休みをあわせてくれた健にすき焼きをご馳走するべく、どっさり買い物をして、
帰り道の坂を上がっていた。高台は景色はいいし、運動になっていいかもしれないが、仕事帰りの買い物帰りには堪える。
それでも、仲直りしようと言ってくれた健の言葉を思い出すと、つい、ニヤニヤしてしまう。
私も悪かったのだ。ジルバを踊りたいからと、男友達を誘っていったのは、やはりまずかったと反省していた。


アパートが見えてきた。私の前を歩いていた女性がやはりアパートを見上げたと思ったら、突然うずくまった。
荷物を抱えたまま、その女性に声をかけた。「大丈夫ですか?」
私と同じくらいに見えたが、お腹が大きい。大きなお腹を抑えて苦痛に冷や汗をかいていた。
アパートが目の前だったので、私は健を呼んだ。「健!救急車を呼んで!」
彼がアパートの部屋から出てきた。倒れた女性をみて真っ青になった。
すぐに救急車が来る。
女性を助けて救急車に乗せた健が、そのまま彼女の後に乗り込もうとして救急隊員に聞かれていた。
「ご家族ですか?」
健は私をちらりとも見ずに言った。「はい、お腹の子供の父親です」


ーーーーーーーーーーー


ステレオホールは、ガラガラだった。


贅沢な話だが、たった数組のために、生のバンドが美しいダンス音楽を奏でていた。


もうダンスホールの時代は終わるのだろうか。
私達が若い頃は、ホールはいつも満杯だったのに、楽団よりお客さんが少ないのでは、単純に考えても、利益が出るわけも無い。


私は健と、カウンターに座っていた。
懐かしい昔の恋人として、カクテルで乾杯をする。


少し疲れた健の横顔。
私だって、年齢を隠せない横顔だろう。


「ね、踊っている?」聴いてみた。
「全然、あれは若気の至りだったんだよ」


「ガッカリさせてくれるわね。あんなに楽しく踊った青春を、【若気の至り】なんて言葉で切り捨ててほしくないわ」


「ごめん、そういう意味じゃなくて・・」


ますますしょげ返る健を元気づけたくて、「踊ろう」と私は言った。


「無理だよ」そういいながら、私に引っ張られてフロアーに出る健。


楽団がジルバの曲を奏でていた。スイングに体が揺れる。


ラストダンスは、チークを踊った。


「元気でね」「君も、元気でいてくれ」
健と私は、ホールを出て握手を交わし、右と左に別れ、帰り道を急いだ。




その後、ステレオダンスホールは、コマ劇場と共に、消え去ったという。




写真:TechnophotoTAKAO テクノフォト高尾
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