Mirubaのワルツィングストーリー

奪取Ⅰ 奪われる恋 by Miruba

♪センチになって <このページの下のyoutubeでお聴きいただけます>

「Merci, madame Dupuis , a bientot!」


私は店の扉を開けて、自分の最後の客を送り出し、片付けに入った。
ヘアーサロンは8時半から20時半までやっていて、2交代だ。
今日は、早番なので夕方4時半であがる。
椅子で待っている客はいるのだが目をつぶるしかない。
日本だったら、客がいるのに帰るわけにはいかないが、ここはフランスだ。


自分の仕事以外に手を出せば、仲間内から余計な仕事はするな、とクレームが来る。
サービス業の本質を知らないとしか思えないが、郷に入っては郷に従うしかない。


支度をしてサロンを出ようとしたら、待っているお客様のひとりが私を見て言った。
「あなた、もう帰るの?明日ならいる?じゃ、私も明日にするわ」


こういうお客様は本当に大切にしたい、今やりましょうか?と言いたいところをぐっとこらえる。
「明日お待ちしていますね」
私は精一杯の笑顔で、お客様にお別れのハグをする。親愛の情を現すのだ。お客様も、握手ではなくハグをされることで、他の客とは自分は別格だと感じてくれる。客の心をくすぐることも時には大切だ。


 私はスーパーで買い物をしてから帰った。
巴里の古いアパートで10年一緒に暮らす明(あきら)があさってには帰ってくる。
この一週間一人きりでは料理を作る気にならず、ワインとチーズとパンですごしてしまった。
彼は、お母さんの具合が悪いというので、日本に一時帰国していたのだ。
スーパーの袋を二つも抱えやっとアパートに帰ったとたん電話が鳴った。
「え?帰ってこられないの?うん、わかった、お大事にね」
どうやら母親が、せっかく帰ったのだからもう少し滞在を伸ばせと言っているらしい。
なんだ、帰らないのなら買い物なんかするんじゃなかった。
私は彼の母親の引きつった顔を思い出していた。
具合が悪いというのだって本当かどうかわかりゃしない。
明の前の奥さんと今でも付き合いがあるらしく、明を奪った女である私に、あからさまな敵意を示す人だ。
どちらが奪取したのかは、こちらにだって言い分はあるが、我慢するしかない。


むしゃくしゃする。
私はパソコンを開いた。




フランス語の中で暮らしている今の私を癒してくれるのは、日本語を存分に楽しむことの出来る日本のサイトだった。
最初は、明のやっているダンス教室の案内のホームページを作っていたのだが、大してアクセスがないのですぐに飽きてしまった。
だが、ダンス教室の生徒の中に日本語を勉強しているソルボンヌ大学の先生がいて、日本語版の「コラムサイト」を紹介された。なんでもそこに「官能短歌」を書く人がいる、判る短歌もあるが意味のよくわからないものもあるので教えてほしいと頼まれたのだ。


読者が感想を書けるシステムとなっていて、作者と会話できる楽しさがあった。


読んでみると、こちらが恥ずかしくなるようなものばかりだったが、何度か読み砕くと、切ない女心などが伝わってくる。


その「コラムサイト」に素敵な作家を見つけた。
その人の書くものを読んできるだけで、心がうきうきとした。
どうやらフランスに住んでいるらしい、海外支社の駐在で半年ほど暮らしているということだ。私は思い切って、ファンメールを送った。


メールのやり取りをしているうちに、意気投合し、時々カフェで待ち合わせをした。
いくら話しても話し足りない。久しぶりに感じる熱い思いだった。
明といったら、口を開けばダンスの話で、私が足型の名前を忘れると、
「そんなことも知らないのか」と馬鹿にするので、つい黙るようになる。




私も「コラムサイト」に駄作を載せるようになった。プロの作家もいたが、自称物書きの素人で成り立っているサイトだと知ったからだった。
毎週締め切りがあるので、結構大変だ。
ついつい、夜中までパソコンに向かっているうちに、明との時間が無くなってきた。
最初は鷹揚に構えていた明も、私がパソコンの前に座ると、嫌味を言うようになってきた。


大体社交ダンスでリードをすることが当たり前になっているのか、私のやることなすこと支配をしたがる明の言動には正直嫌気が差していた。




ある日、仕事から帰ったら、明がすごい剣幕で私をなじった。
「お前はいったい、どこの男と寝たんだよ」


「は?何を言っているの?」


明は、私の参加する「コラムサイト」を履歴から見つけて読んだらしい。
一方的に怒鳴りつける明の話す内容に、漸く思い当たった。
官能短歌の作家の名前と私の名前が偶然同じだったので間違えているのだ。
たまたまその週は投稿が間に合わず私の作品は出ていなかったので、余計だ。


「とんでもない、言いがかりだわ、<官能>と言うジャンルは難しいのよ。
そんなにすごい熟練の作品を私が書けるわけがないでしょう。
第一物語でしかないわ、テレビに出ている悪人役の人が悪人だとどうして決め付けるのよ。ばかばかしい。」


そういってもわかろうとしない明。彼の疑心暗鬼が、私の説明の邪魔をする。
私も、自分が楽しんでいる「コラムサイト」から、少しでも彼を遠ざけようと、言葉を選ぶ。それが益々、彼の猜疑を誘う。


「いったい、何時間も何の用があってパソコンに向かってるんだよ。メル友の男といちゃいちゃしてんだろ」
「なんて下品な言い方をするのよ、ダンスサイトで遊んでいるだけよ」
「金にもならないことに、無駄な時間使ってるんじゃないよ。踊りは理屈じゃない踊りこむのが一番なんだ」
「そんなこと判ってるわよ。だけれどいろんなダンスの楽しみ方があってもいいでしょう。趣味の世界にまで入り込まないでよね」


口論がエスカレートすることで、私は益々パソコンの世界に入り込んでいった。
「コラムサイト」への参加だけが、私の心の拠り所となってしまっていた。


心がすれ違う明と私。
もう、二人でいても、全く楽しくなかった。むしろ、拒絶反応すら起きた。


そんな時、明のスーツをクリーニングに出すためポケットを探っていて、手紙を見つけたのだった。




「Monsieurへ後片付けをしていると、何もかもムッシューの想い出がいっぱいでした。何もかも、ムッシューに買ってもらったものばかりで、ムッシューといっしょに使ったものばかりでした。
ムッシューとすごした半年間、ダンスをしたり、ドライブに連れて行ってもらったり、
フランス料理に舌鼓を打ったり、ムッシューのために料理をしたり、お世話をすることが私の喜びでした。
日本に帰っても、決して忘れません。愛するムッシューへEmiko」




 私は、一瞬気が遠くなってしまった。
なんと言うことだ。
忙しくしているのかと思えば、こんなことだったのか。
そういえば、半年間、競技の勉強をしたいのだと、熱心に通ってくる女性がいたっけ。


私は彼女の手紙を、元に戻しておいた。
明には、何も言わなかった。真実を突きつけられるのはごめんだ。知らないままがいい。恐らく、今度の帰国も彼女に会いに行っているに違いない。


あんなに愛し合った明と私だったのに、
人間の歴史とともに言い尽くされた「恋の終わり」を実践するなどと、出会ったときになんでわからないのだろう。


巴里の生活、私の大切なお客様。
何もかも捨てて、日本に帰ろうかな。
ふと、サロンを出る帰り際に、待合椅子に座っていたMadameを思い出す。・・・そうもいかないか。




私は、ベランダ越しに灯りのともり始めたパリの街を眺めながら、
奪った恋の終焉は、奪取の連鎖によって終わりを告げるのかもしれないと、思わず身震いをした。


写真:TechnophotoTAKAO テクノフォト高尾
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