Mirubaのワルツィングストーリー

ラストワルツ by Miruba

♪ラストワルツ <このページの下のyoutubeでお聴きいただけます>



兄の優悟がシャルル・ド・ゴール空港の到着出口から姿を現すのを、純は今か今かとソワソワしながら待っていた。


_あ、出てきた_純は両手を振って「ユーゴ!こっちよ!」と声は出さず口だけを大きく動かした。


ジャンプしながら体中を使った派手なジェスチャーなので、大声で叫んだと同じだけ周りの人たちが振り向いておかしそうに見ている。


「純!元気だったか?」優悟も急く様な大股で純の傍までやってきた。
二人は飛びつくようなハグをして、その親愛の情間違いなく最高ランクの4回頬にキスをし合う。まだ足りなくてさらに四回!


5年ぶりの再会だった。


優悟も純も、なんとなく心の奥に小さなわだかまりがあるような気がしたが、お互いの顔を見たら、そんな危惧は無用だった。


「ユーゴすごく元気そうじゃん。焼けているね」
「純も元気そうだな。パパは施設から出られなかったの?」
「うん、どこにだって行っちゃうからね、『空港で迷子になったら困るでしょう』ってドクターに言われたのよ」


二人は父の入所している養護老人施設に直行した。


すっかり白髪の増えた父を見て、優悟は一瞬悲しそうな顔をしたが、軽快に声を掛けた。
「Bonjour papa!Ca va? ボンジュールパパ!元気?」


「どちらさんかな?お会いしたことがあるような気はしますが」
ハグをしようとする優悟に、握手をしようと手を差し出す父。
厳しかった父しか記憶にない優悟にとって、すぐには現実を受け止められそうに無い。


優悟が言葉に詰まっているので、あわてて純が言った。


「いやね、パパッたら、優悟兄さんじゃないの。ほら見て家族で写った写真、これがユーゴ!」


「ああお嬢さん、来てたのか。あなたはあれだ、いつも入れ歯を欲しがるお人だったかな?」


ヤダーッと言うと、大きな声で純は笑い出した。
父親が食事の度に入れ歯を探すというので、「入れ歯はあるの?」「入れ歯は洗った?」
と毎回顔を合わせるたびに入れ歯の事を問うので、「娘純のことを入れ歯を欲しがっている女の人とでも思ったのだろうか」と笑いながら優悟に説明していると、父は自分のことなのに、「そんな変な人が居るのか?」と一緒に笑っている。
優悟も悲しい思いを振り払うように共に笑い声をあげた。


「Mon gai お若いの、また遊びにいらっしゃい。狭いアパートだが遠慮は要らないよ」
父と握手を交わす優悟は、ありがとう、と言いながら潤んだ目をそむけた。


施設を出て、二人は少し重い足取りで自宅に戻った。


「ああ、やっぱり家は落ち着くなぁ」優悟がソファーに寝転んだ。


「パパも帰って来たいのだろうね」優悟がつぶやく。
「うん、いつも、『家に帰る、小さな子供が二人も待っているから』って介護士さんに言うらしいわ」
「僕達がまだ小さい子だと思っているんだろうな」
「認知症は心が昔に帰っちゃうっていうからね。でも、私一人じゃ仕事しながらは見られないのよ、ごめんね」
「何言っているんだよ。純はよくやってる。5年の間にこれほど酷くなるなんて、俺は何をやっていたんだ」




優悟は大学を卒業したあと海外協力支援団体に入り、諸外国の貧困層の生活自立支援を行っている部署に所属して世界中を移動していた。主にカンボジアの人身売買の阻止に向けて活動していた。
貧困がゆえに、売春をさせられると判っていてもまとまったお金と交換に娘を外国に働きに出す親がいまだに居て、説得するのに苦労していた。
それでも、一人また一人と助け出すことができて、子供達の笑顔を見ると、その達成感は何にも変えられなかった。
任期が切れたこともあったが、父の状態が良くないと純の電話で聞いていたので戻ってきたのだった。




「ユーゴ、踊ろう!」純が屈託なく言った。
優悟が切ない思いで立ち上がったことなど気が付くはずも無い。




優悟と純は、フランスでダンス教師だった父母の影響を受けて、小さいころから社交ダンスを踊っていた。
この世の記憶の一番最初は踊っている場面だった、と純が言うほどだ。


最初は別の女の子と組んでいた優悟だったが、純が7歳になったときから二人は兄妹でカップルを組むようになった。
練習も競技会も何時も二人で練習できるからと、両親が薦めたのだ。
遊ぶ感覚で二人は楽しくダンスを踊っていた。
常によい成績を収め優悟が高校を卒業するころには世界選手権にまで出るようになっていた。
だがそのころから「愛の踊り」を兄妹で表現することへのかすかな抵抗を感じるようになっていた。


優悟も純もお互いを必要としていたし、兄妹以上に愛し合っていたことは確かだと思えた。
純は素直に深い愛情を示してくれるが、しかしそれは兄妹としての愛を超えるものか優悟には確かめる勇気は無かったし、自分の気持ちも揺れていて、一人悶々としていた。


そんな時、父の言った言葉が優悟を驚かせた。


「純は私達の子供ではないのだよ。つまりお前達は兄妹ではない。
そんなに純のことが好きなら結婚だって出来る。ダンスを続けて行くんだ。死んだママも望んでいただろう」


その前の年、母が事故で突然亡くなった後、ダンスで表彰台に立つ子供達だけが支えなのか、ダンスレッスンがさらに激しさを増して、日々特に純に厳しくあたる父を見ていたし、言われてみれば2つ違いの妹なのに、純の生まれたときの写真が無いことを不思議に思ってはいたのだった。




_そうだったのか_なんとドラマチックな「物語」にありがちな展開なのだと、優悟は思った。
ほっとするかと思ったのに、むしろそれが二人を離してしまったのだった。


禁断だと思ったから心が燃えたのか、それとも、父にとって子供達二人の心の葛藤よりダンスで優勝することのほうが大切なのだろう、と感じたからなのか、優悟は、何も知らず泣いて止める純に心を残しながらも、フランス国外に逃げてしまったのだ。






純に其の生い立ちを説明できなかった父母の思いも理解できた。
父母は日本からフランスの世界選手権に出場し、そのままこの地住みついてしまったという変わり者だった。
二人が数年後アジア大会に出場するべく日本経由でシンガポールにわたったとき、偶々迷い込んだ繁華街で日本人の親を亡くした赤ちゃんが売られそうになっているところに出くわした。
この現代おいて人身売買など在り得るのかと父母は驚愕すると同時に、これも何かの縁だと、養子にすると申し出て、赤ちゃんだった純を引き取ったという。


優悟が支援の仕事を選んでいたのも、心の奥に、純のような子供を救いたいという思いがあったのかもしれなかった。








「純、パパに二人の踊る姿を見せてあげようか。少しは気が休まるかもしれない」
「ユーゴ、それって、私にとってもいい考えだわ。ユーゴと久しぶりに踊りたいもの」
茶目っ気たっぷりにウインクしてみせる純を、優悟は心から愛おしいと思った。


5年ぶりに自宅地下にあるレッスン室へ入った。
磨き上げられた床。壁に貼ったたくさんの子供達の踊る写真、棚に飾られた優勝カップや縦も輝いている。


「え?ここは普段から使っているの?」優悟は、驚いて純に聞く。


「うん、私小さい子にダンスを教えているのよ。今度メダルテストがあってね、私の生徒が6人出場するのよ」


僕が居なくなろうと、純がダンスを止められる筈がないな、と優悟は思った。
どんなに父や母のレッスンが厳しくとも、泣きながらでさえ踊ることをやめなかった純を思い出していた。


部屋の中にあふれる軽快な音楽、二人は手を取り合った。
フロアーに進み出る。
はじけるように踊り始めた、チャチャチャのリズム。
5年間のブランクなど、少しも感じさせない息とタイミングの妙。
体の奥底から湧き出る感情。
それを表現するステップと表情。


「キャー!」「ステキー」「かっこいい!」とピクチャーポーズの度に喜びの声を上げる純に苦笑いしながら、優悟はもっと純を楽しませて共に踊りたいと思うのだった。




数ヵ月後、施設に居る父を引き取って自宅で二人で介護しようと話し合い、施設の皆へのお礼として、ダンスのデモンストレーションを行うことにした。


施設に入所している老人達のほかその家族、先生やスタッフ達など沢山の人が体育室に集まってくれていた。


徘徊して階段から落ち足を挫いて車椅子に乗っていた父を、介護士さんが部屋から連れてくる。


「パパ、見ててね」と言っても、目はどこか別の世界を見ているようで心もとなかった。
「あの人は、どこのひと?」と隣の人に聞いたりしている。




曲が始まり、優悟と純はフロアーの真ん中に進み出る。
会場は大きな拍手であふれた。
燕尾服の尻尾がはねて、ドレスの裾がヒラヒラと羽のように空を舞う。


会場の皆が二人の踊りにうっとりとしていたとき、突然激しい声が聞こえた。


「優悟!その背中はなんだ!もっとまっすぐ」
「純!遅れているぞ!」


なんと、優悟の顔や純の名前さえも忘れたはずの父の声だった。


皆一瞬ストップモーションのようにゆるゆると観客の動作が止まり、声のするほうへ顔を向ける。


会場に流れる美しい曲だけがそのドラマを包み込んでいた。


「パパ、私がわかるの?!」純の声は、叫ぶような泣き声に変わる。


父は車椅子から立ち上がり、挫いた足で不自由に歩きながら純に近寄ると、
「ほら、こうやるんだ。何度言ったら純は覚えるんだ、しょうのない子だ。
un deux trois,un deux trois, アンドゥトロワ、アンドゥトロワ. そうだ、出来るじゃないか。お前は勘がいい。パパの自慢の大切な娘だからな、そら、un deux trois,un deux trois」


どうみても父の踊りはただの足踏みで、支えているのは純だったが、素直に父親の言うとおりに純はステップを踏んでいる。
一緒に「アン・ドゥ・トロワ」と言いながら。頬の涙を拭おうともせずに。嗚咽にも似たun deux troisが、切なく会場に流れた。
純は変わり者の父に『自慢の娘』などと言われたのは初めてだったろう。
ラストワルツで本当の父の心が伝わってよかったと、優悟は思った。
いや、純はすべてをわかっているのかもしれなかった。




「優悟!何突っ立っている。お前もやれ!」昔のままの父の厳しい声が飛ぶ。


優悟は音楽に乗せ、二人の周りを踊ってみせた。


周りがかすんでよく見えなかったが、会場に居る観客も涙を拭っているのがぼやけて見えた。






だが、喜びに満ちた父の覚醒はそのほんの一時だった。
程なくなにも識別できなくなり、自宅に戻ったがいくらもせずに脳溢血で帰らぬ人となった。






優悟と純は、父を目覚めさせたあの奇跡を忘れることが出来なかった。


父と母のように、二人でダンスを踊っていこうと思った。


「純、子供達のメダルテスト僕も手伝うよ」




「きゃーうれしい!!と大げさにジャンプして、首に手を回す純を、優しく抱きしめる優悟だった。