小説

暗躍  by 御美子

 1944年11月7日、巣鴨拘置所。


「時間だ、ゾルゲ。」


「・・・。」


「何か言い残すことはないのか。」


「私の最後の言葉です。ソビエト赤軍、国際共産主義万歳!」


「今日はロシアの革命記念日だそうだな。」


(これで家族はモスクワで幸せに暮らせるはずだ。祖国の独立はいつになるのだろう)




 1935年、ソビエト赤軍同盟に所属していたドイツ人無線技師マックス・クラウゼンは、ドイツ・日本との2面戦争を避けたいソ連のために、日本へ行くよう打診された。


「日本って、あの中国の東にある国ですか?」


「そうだ、ファシズム台頭の兆しがある。」


「日本語も話せませんし、お役に立てるかどうか・・・」


「上海でお前の上司だったゾルゲのたっての頼みだ。お前の通信技術の腕を見込んでのことだ。」


「アンナが一緒でなければ行きません。その為に前回のウクライナ行きも断っているのです。」


「今回は、その方が好都合だ。奥さんには上海と日本をクーリエとして行き来してもらうことになる。」


「無線機に必要な物は揃ってるんですか?」


「軍事政権下で物資が不足している。電解コンデンサ等必要な部品を分散して持って行け。」


「分かりました。」


 日本でアメリカ共産主義者の宮城や尾崎の協力もあり、ドイツ大使館付私設情報官に収まっていたりゾルゲとクラウゼン夫妻達の活動は特高警察の捜査網を掻い潜って成果を上げていた。しかし、宮城から足がつき、太平洋戦争勃発直前の1941年10月18日に逮捕される。
 機密情報のフィルムや文書を運んだアンナは、上海ー博多間を船で往復したこともあっただろう。中洲の屋台では、その頃とんこつラーメンを出す店が現れたそうだが、空腹でもただでさえ目立つ外国人が、そんな所で食事をする訳にもいかなかったに違いない。
 1945年10月18日、クラウゼン夫妻はGHQによって釈放され、東ドイツに戻ることが出来た。




「こんな日が来るなんて、思ってもみなかったわマックス。」


「そうだね、アンナ。僕達がリヒャルト・ゾルゲ像の除幕をするなんて。」


「あれから何年経つのかしら。」


「日本から追われるように戻ってから20年以上になるよ。」




 1978年アンナ死去。翌年後を追うようにマックス・クラウゼンも死去した。2人が暮らした通りはリヒャルト・ゾルゲ通りと改名され、夫妻もソ連をファシズムから救った闘士として尊敬されている。
 1991年、ゾルゲの祖国アゼルバイジャンは旧ソビエト連邦から独立した。






参考資料:スパイ・ゾルゲに関するノンフィクション。