1965年頃のことです。ブラジルに移住し農場を経営していた古本隆寿さんが現地の人達が好んで食べるキノコを食べてみたところ「これは旨い。何とか量産できないものだろうか」と考えました。栽培方法知るために手にしたのが「キノコ類の栽培方法」という本で、古本さんは筆者の岩出博士に手紙と共にそのキノコを送りました。博士が見たところ、それはハラタケの一種のようでしたが、食べてみると、既存のキノコより味もよく香りも強いことが分かりました。
岩出博士の専門は菌学で、研究当初の目的は日本の農家の副業としてキノコ栽培が有望だと考え、フランスから持ち帰ったキノコを人工培養することに日本人として初めて成功していました。ところが、ブラジルから送られたキノコの培養には予想以上の困難が待ち受けていました。
研究費も底をつき、研究員の日雇いや博士の年金を研究費に当てなければいけないほどでした。ある時、栽培用棚の材料に研究員のアルバイト先から竹を譲り受けたところ、雑菌や寄生虫が発生し、肝心のキノコの菌が全滅したこともありました。
人工培養を始めて10年経過したある朝、研究員の一人が「教授!小指の大きさほどのキノコが頭を出しています」と報告しました。他の研究員達は手を取り合って泣きましたが。「まだ、泣くのは早い」と叱る教授の声も震えていたことは誰にも分かりました。
教授の言葉通り、実際の人工栽培までには、それから3年を要しましたが、苦労の甲斐あって、後にこのキノコには抗癌作用や免疫力強化の働きがあることが証明されました。アガリクス ブラゼイ ムリル、正式和名「姫マツタケ」は出荷前日に小さな女の子から「まあ、可愛い。お姫様みたい」と言われたのが名前の由来だということです。マツタケに比べ色白の茎が、薄化粧をしたようで、その可憐な姿からも容易に想像ができる名前です。
-10月4日、癌で逝った孝子叔母に捧ぐ-