小説

東京スカイツリーでの接点 by Miruba

「東京スカイツリー、とうとう出来たのね」
里絵は東京の墨田区押上ある「とうきょうスカイツリー駅」からタワーを見上げた。




<武蔵の国>ということで全高(尖塔の高さ)634mの高さをもち、2012年現存する自立式電波塔としては世界第1位という東京スカイツリーは、2008年から3年半を費やし2012年5月22日に一般公開が始まった。


ツリーの350メートル高さにある、<展望デッキフロア350>は完全予約制で、里絵はオープン初日には抽選にはずれたが、なんとか数日後のこの日に予約が取れたのだった。


16時受付開始のチケットを予約していた。心配していたような混み具合ではなく、発券はすぐに終わり、超高速エレベーター天望シャトルに乗り込んだ。
シャトル内には、春夏秋冬をイメージした装飾がほどこされていて、里絵が乗った、夏をイメージしたシャトルには花火の模様があらわれた。


上昇が始まるとシャトル内の電気が消え、電飾に彩られた花火の模様が浮かび上がり幻想的だった。
「わぁ、きれい」と同乗した子供たちが指をさして口々に歓声を上げる。おとな達も、「ほーっ」という声にならない声を出した。
みんな笑顔だ。模様に見とれていると、アッという間に「天望デッキフロア350」についた。


シャトルの扉が開くと、突然、という感じで景色が目に飛び込んできた。
全面ガラス張りなので、眼下を見下ろすと宙に浮いているようだ。少々高所恐怖症の里絵は、背中がぞくっとする。


地平線のほうは少し霞がかかっていたが、遠くに富士山も見えるし、東京タワーや新宿の高層ビル群など、すべて見渡せる絶景だった。


里絵は、小さな額に入った写真を取り出し、自宅のある地元押上を眺めた。


「みっちゃん、見える?あなたが来たがっていた、東京スカイツリーだよ」
独り言をつぶやいたときだ。


「お姉さんの妹なの?」
と、女の子が写真を覗き込んで言った。


「え?いえ、私の子供よ。1年前に病気で死んじゃったの。12歳だった。スカイツリーに登りたいって言ってたんだけれどね。間に合わなかったの」


「そっか、残念だったね。でも、子供?お姉さん若いのね」と、今の子はお世辞がうまい。


里絵は思わず笑いながら、「あなたは何年生?ひとり?」と聞いたときに、女の子と里絵の足元で携帯が鳴った。


女の子はすぐに携帯を拾い、電話に出た。


「もしもし、どなたですか?


・・・・


人に名前を聞く前に、自分から名乗るのが普通でしょ」女の子は座ったまま携帯に話している。




そのときに、後ろのほうから里絵の耳に話し声が聞こえてきた。




「ったく、餓鬼の声だわ。なんて生意気なのかしら。」と連れの友人らしき女性に言いながら、


「あのね、その携帯私のなのよ。あなたいくつ?」と聞いている。




里絵の隣にいる女の子が電話に向かって言う。


「見ればわかるでしょう?みえないか。人に質問するときは自分が先に言うもんよね。おばさんいくつ?」


今度は後ろのほうから声が聞こえる。


「私はまだハタチよ。失礼ね、おばさんじゃないわよ。いいから、あなたどこにいるの?」




「日本」と、女の子。


里絵は、様子が飲み込めて、あわてた。
後ろのオネエさんの声がとがってきた。そりゃそうだ。




「ふざけないでよ。東京スカイツリーの近くでしょう?どこに落ちてたの?私の携帯」


「床の上」


「ちょっとこの餓鬼めちゃむかつく」とその若いオネエさんは、友達に向かって怒鳴っている。


里絵は、噴出しそうで参ったが、


「展望台350の床よ」と女の子が答えたので、ますますあわてた。


「ここのフロアーにいるんだわ。探してとっちめなくちゃ」と、オネエさんは、当の女の子がすぐそばの足元にいるのに気がつかず、友人とフロアーをキョロキョロして反対方向に歩いていった。
里絵の陰になって、女の子が見えなかったのだろう。


里絵は、女の子から携帯を取り上げスイッチを切り、<見えるところの床>に携帯を置き、女の子の手を取って下りエレベーターのほうに急いだ。








里絵は、女の子と東京ソラマチ、プラネタリウム、水族館などがある「東京スカイツリータウン」をしばらくひやかして、押上スカイツリー前駅のほうへ歩いていた。
押上業平あたりは平らで坂がなく散歩がてらブラブラ歩くにはうってつけだ。
商店街まで歩き、イメージキャラの『おしなり君』のストラップを買った。






女の子は「芽衣」といった。5月生まれだからだという。小学4年生だった。
父親はいないらしい。


「ね、やっぱり戻ったほうがよくない?お母さん心配しているかも」里絵は言ってみた。




「ううん、お姉さんと会ったとき、もう2時間もあそこにいたの」


「芽衣ちゃん、おばちゃんでいいよ。恥ずかしいよ」


「そう?じゃ、おばちゃんと会ったとき、ママは、私だけ展望台450に行かせて、戻ったら展望台350には待っていなかったの。
それに、もう3回目なんだ。一回目は2歳のとき東京タワーに置き去りにされたんだって。施設長さんに聞いたの。
2回目はディズニーランド。あれは5歳だったかな。育児放棄なんだって」


「そんな・・・」里絵は、子供を置き去りにする親がいることが信じられず。腹立たしかった。
芽衣が淡々と話すので、余計にその胸の内を思うと、身につまされた。


「だけどママっていったい私をいくつだと思っているんだろ。もう一人でアパートまで帰れるのに。でもまたしばらく施設に行くんだろうなぁ」とつぶやく。




「ね、もう夕方よ。お母さんに電話して、よかったらうちに来ない?」と里絵が誘うと、芽衣はうなづいた。








自宅に帰ったら、仕事から帰った夫が薄暗くなった部屋に電気もつけず、庭を見るともなく見ていた。
最愛の娘の美津子を、血液の病気で亡くしたときに、私達は怒りをどこにもぶつけることが出来ずに、娘の病気の根源が相手の血統の中にあると、まったく科学的根拠の不確定なことで言い争い、夫婦としての関係をお互いに絶ってしまっていた。
かといってお互いを支えるものを見つけられず、仕方がなく一緒にいるといったところだった。






夫は芽衣を見たとたん、満面の笑みを見せて、世話をはじめる。
里絵に「早く夕飯の支度をしてあげなよ」とせっつく。


里絵は、手早くできるからと蕎麦を茹でることにする。信州にいる母が送ってくれていたものだ。
つゆは市販のもので間に合わせよう。そうだ、子供って揚げ物が好きだよね。里絵は急いでかき揚げも作った。


その間も夫は芽衣にりんごを切ってあげたり、話しかけたり、話を聞いてあげたりして、里絵が準備し終わったころには、ふたりともすっかり仲良くなっていた。


同じテーブルに3人で座っていると、心が安らぐのがわかる。
芽衣の心の中は複雑だろうが、少なくともこの時間は、笑顔がウソではないと里絵には感じられた。


里絵は話に加わり、東京スカイツリーの話や、例の携帯事件の話をした。
夫は声を上げて笑う。


夫の笑い顔など何ヶ月ぶりに見ただろうか。その笑顔を見るだけで里絵は目頭があつくなる。


芽衣が、蕎麦を食べながら里絵に聞いた。
「ね、おばちゃん、この湯のみに入った濁ったお湯はなあに?」
「あ、それはね、そば湯というの」と、飲み方を説明すると、


「へーー『そんなこととはつゆしらず』」
と、芽衣はとぼけた顔をして見せた。国語の授業で習ったのだという。


主人がまた笑い転げる。




里絵は、お茶をいれに台所へ立ちながら、仏壇の美津子の写真に、微笑みかけた。











この国に生まれてよかった  村下孝蔵