小説

夢の花火  by  k.m. joe

俺は、他人から優しい性格だと思われている。確かに好戦的ではない。だが、実際は流れに逆らわないだけの話だ。来る者拒まず去る者追わず。深く考えずに生きている。 顔が強面なので、騙そうとか馬鹿にしようと思わないのか、ひどい目に遇った経験はない。その代わり、オイシイ思いもした憶えがない。中年に至っても伴侶なし。では、金が貯まったかというと、定職に就いてないのでカツカツである。それでも結構気楽に暮らしている。 今は夜間専門の道路工事に携わっている。その仕事帰り。マンションの前で、悪ガキ小学生どもがたむろしていた。一羽のカラスを囲んでいる。よく見ると脚にヒモが結び着けられ、ヤツらはそれを引っ張って遊んでいた。カラスは抵抗する力も喪っている様子だ。 たまには強面も役に立つ。「こらーっ!」と一喝。もの凄い速さでガキどもは消えていった。カラスのヒモをほどくと、結ばれていた左脚が傷ついたのか、歩き出すと右にやや傾く。 「どうだ。飛べるか?」まさか返事ではないだろうが、アーッとひと声カラスは鳴いた。その後、不恰好に助走したが、一旦大きく羽を拡げると、鳴き声と共に一息に飛んで行った。 安心して殺風景な部屋に帰り着く。風呂に入り、買い置きのパンと牛乳を飲み食いしながら、テレビを眺めていた時。ベランダの引き戸のガラスがコツコツと音を立てた。レースのカーテン越しに見えるのは鳥のようだ。咄嗟に先ほどのカラスを思い出す。戸を開けると、たしかに脚を引き摺るカラスがいた。 「おお、珍しい事もあるな。まあ入れよ」カラスは警戒もせず、自分のねぐらに帰ったかのように自然と振る舞い、俺の定位置傍でジッとしていた。「食うか?」パンをちぎって差し出すと、慣れた様子で口にした。コイツら、頭が良いらしいから助けて貰った事が判るんだろうな、と勝手に納得した。 ふと、カラスが好い匂いをさせているのに気が付く。花の香りや石鹸の香りではない。草木の匂いに少し土が混じった、そう、深い森の空気のような香りだった。きっと、山育ちなんだなと一人合点。「お前の名前、カオリにするか」大人しいとはいえ、野性的な風貌のカラスには似つかわしくない名前かも知れないが、カオリはアーと鳴き、首を縦に二、三度振った。


それから毎日、カオリは遊びに来てくれた。俺が仕事の時も来られるよう、ベランダに巣箱を作ってはいたが、立ち寄った形跡はない。いつも、昼寝前のひと時顔を見せ、俺が眠たそうにし始めた頃、帰って行った。 やがて、夜間工事の仕事が終わった。ヒマになった俺は、テレビで富士山が世界文化遺産に選ばれたニュースを見て、無性に富士山を見たくなった。「カオリ、しばらく留守にするぞ」無言の相手にそう告げて、気楽な旅に出た。 駅前からタクシーに乗った。黒塗りの個人タクシーで「黒尾タクシー」と書いてある。カオリに愛着を持つようになってから、黒色の物に妙に惹かれる傾向にあった。運転手は、帽子を目深に被り表情が掴みにくかったが、愛想は悪くない。 「富士山ですか?それじゃ、絶好の穴場にご案内しますよ」来る者拒まずの精神。どうせヒマ暮らしだから運転手に任せた。夜勤暮らしの生活パターンに慣れ切ったせいか、途中で眠ってしまい、目的地に着くと運転手に肩を叩かれた。 車を降りて見渡しても、施設らしい建物は一切なかった。前方は鬱蒼とした森。入り口に当たるのか、一部サッカーゴールぐらいの大きさに空間が開いている。奥まではよく見えない。 「まさか、樹海?」運転手はにこやかに否定する。「もうバラしてしまいますが、貴方をお待ちの方が居られます」 気持ちの奥の方では、何となく判っていた。それが今、気持ちの表面に出て来た。一度自分自身を落ち着かせ、料金を精算しようと振り返るとタクシーは居なかった。 他人は不思議な現象というだろう。だが、俺は、全てを現実として捉えていた。森に入るとカオリの匂いがした。樹々は天高く聳え、青空が細く見え、川の流れのようだった。道らしい道はなかったが、迷わず前進した。 やや広い空間に出たら、右手の方から、黒い貫頭衣の様な服を着た女性が歩いてきた。左足を引き摺りながら・・・。浅黒い肌に唇も黒かった。20代ぐらいの感じだ。 彼女は近くまで来て微笑んだ。名前は聞かなくても判っている。「カオリ・・・」「こんにちは。ビックリしたでしょう」「どっちが本当なの?人間?カラス?」「カラスです。これは仮の姿です。カラスの格好ではアナタと会話できませんから」カオリは屈託なく笑った。


「足は大丈夫なの?」 「これは実は古傷なんです。あの時より前のものです。飛べるから問題ないです」 「なるほど。ところで、カオリというのは俺が付けた名前だ。カラス界では何か呼び名はあるの?」カオリは悪戯っぽく笑った。 「カオリはアナタが付けた名前ではなく、私がアナタに伝えた名前です」 驚きはしたが、理解もした。人間の姿になれるぐらいだからテレパシーみたいなものも使えるのだろう。 俺の気持ちを察してか、カオリは言った。 「人間の世界では、人間が動物の中で至高の存在とされています。でも、実は、人間は動物の中でも下等な方なんです。知能の発達や文明の構築は、必ずしも動物レベルの高低には関係ないんです。ごめんなさいね。でも、アナタなら解るでしょう」 どんなに歴史を重ねても、醜さや卑しさが払拭されない人間は、確かに下等動物なのかも知れない・・・。


「こんな話は止めましょう。今日はアナタに素敵な体験をして頂きたくてお呼びしました。私たちは時々、この人なら大丈夫という方にお礼の意味を込めて、ご招待するんです。私たちにとっても、滅多に開けないお祭りみたいなものなんですよ」 「どういうこと?」 「アナタに花火になって頂きます」説明を求めたのに余計混乱してきた。これも下等動物ゆえか?とにかく、カオリを信頼しているので、大人しく、より奥地に向かう彼女に従いていった。 ・・・こんな数のカラスを見た事がない。今後も二度と見ないだろう。次に向かった空間の、樹々も草地も地面も、カラスで真っ黒だった。中央に、5メートルほどの櫓が組まれているが、そこにも無数のカラスがいた。よく見ると、彼らは一様に働いていた。下に居るものは、発射装置のような機器に屯していた。周囲を清掃しているものもいる。上には、櫓を金具で補強したり、発射位置なのか、突端から垂直に試験飛行している一群もいた。 やがて準備が出来たのか、三々五々、周囲の樹木に止まり始めた。深い緑が黒々と変化していくと、青空も黒味を帯びはじめ、夜の世界が訪れた。


完全に暗くなるかと思いきや、おそらくホタルだろう、鈍い光りが無数に瞬き、真っ暗闇に包まれはしなかった。ボオッとした灯りの中、カオリに付き添われ、櫓の頂上まで登った。 「怖くないですか?」暗さが、高所に立つ不安を消していた。 「うん。なんだか物凄く落ち着いた気分だ」 「これからが凄いですよ」黒ずくめのカオリの姿は殆ど見えなかったが、例の好い匂いは一段と強く感じられた。数匹のカラスが俺の手足を固定した。 「また逢えるかな」 「大丈夫ですよ」答えながらカオリは俺の胸ポケットに何かを差し入れた。 「何だい?」 「お守り。それでは私は降ります」 暫く時間を措いて、発射装置が赤らむのが分かった。かなりの熱が下から迫って来た。しかし不思議な事に自分が焼かれているような暑さは感じなかった。足元で点火音がすると、身体中が炎に包まれた。でも温もり程度の熱量しか感じなかった。 突然、身体を引っ張り上げられた。手足の軛が外れ、自由になった。次の瞬間、俺の身体は腹這いになり、ひと筋の煙の下に広大な森林を見た。一羽のカラスが俺の目の前で大きく羽を拡げた。俺も真似をして、両手をいっぱいに拡げる。カラスが羽を上下する。俺も。何の違和感もなく我々は飛んでいた。ただ、こちらは素人?なので、向こうが動くように動く。右に旋回。右に旋回。左に旋回。左に旋回。降下したり上昇したり。降下したり上昇したり・・・。 やがて街の灯りが眼下に見えてきた。怖いどころか深く感動し、知らず知らず涙を流していた。胸が熱くなり、幸福感に満たされ飛び続けた。 次第に、涙のせいか景色がぼやけ始めた。いや、少し違う。たしかに視界が歪んでいる。空間全体があちらこちらと、自由奔放に、融けるように捻れている。 いつの間にか前を飛んでいたカラスはいない。俺は、自分の位置がかなり低くなっているのに気が付いた。建物に急接近!ガラス戸にぶつかる寸前、部屋で寝転んでいる自分自身を見た。 金縛りが解けたかのように、身体が大きく動き目が覚めた。寝汗を相当かいている。そばにカオリが居てこちらを視ている。


長い夢だった。しかし、俺は富士山に向かって出発した記憶が・・・いやどうもハッキリとしていない。 「カオリ、お前が人間の格好してたぞ」カオリは興味無さげにヨソを見ている。身体中がベタついていたので、シャワーを浴びようと浴室へ向かった。洗濯機にポロシャツを入れようと脱いだ時、何かが落ちた。拾い上げると一枚の葉っぱだった。榊の葉のように深く艶々した緑色。ふと、俺の記憶が弾けた。


「カオリ!これ!」


カオリは一度こちらを見たが、すぐに向こう向きになり、何かを啄むように顔を落とした。肩の部分が小刻みに上下している。それは、笑いを堪えているような仕草だった。