新作落語

チー姉ちゃんの推理 <雷とナイフ>  by Miruba

甲府に住むおばあちゃんが山梨の大学病院に入院したというので夏休みを利用して見舞いに行った。
お父さんは相変わらず仕事が忙しく、お母さんも去年から始めたパートのシフトで動けないというので、チー姉ちゃんと二人だった。
心配したおばあちゃんはだが、「家に一人でいると熱中症にかかりそうだから、検査入院しただけだよ」とケロリと言うので、拍子抜けした。


病室にはおばあちゃんのお友達たちやご近所の人も見舞いに来ていた。
「ター君もチーちゃんも、ついでだから富士山を観て帰りな」というおばあちゃんの言葉もあって、見舞いに来ていたおばあちゃんの同級生だったという菊さんと一緒のバスに乗ることになった。


そのバスは病院裏から富士吉田まで行く地元のNPOが15年まえから運営している小ぶりの乗り合いバスだ。乗り合いといっても、会員制のバスなので名前を登録しないといけないが手続きは簡単だった。


二本の国道の中間、家屋の少ない山の中を行くバスで一日一本しかないのだという。途中、「高室」とかいうところで一人この暑いのにコートを着た丸刈りの男の人が乗り込んでは来たが、夏休みだというのにほとんど人が乗っておらず、菊さんとチー姉ちゃんと僕のほかは夫婦らしい若い二人が乗っているだけだった。
この乗り合いバスも近々廃止になるらしい。


「バスがなくなっちゃうなんて、山の中に暮らしている私たち年寄りはどこにも行くなって事だよね」
菊さんが運転手さんに散々文句を言った後にも、ろくすっぽ返事もしないチー姉ちゃんに不平を漏らした。
人が聞いていようが聞いていまいが、関係ないのだろうなと思った。
かえってチー姉ちゃんのように、黙して語らず、寝ているのかと勘違いしそうに、ただ時々頭をコクリとするだけで、十分な話し相手になるのだろう。


菊さんは運転手さんとは知り合いらしく、「あの運転手は私と同じ町の出だけどね、愛想は無いし嫌なヤツなんだ」と言って前の席から僕達の近くに席を移動してきていた。


しかし年寄りというのは本当に世話好きなんだな。
僕らのおばあちゃんも一緒だけど、アレを食べろ、コレを飲めと、夏用の編み籠から次から次へ食べ物や飲み物が出てきて、それを遠慮するバスの同乗者や断る僕達にも食べさせたがるので参った。


おまけに途中の山道で「ゴミ袋を捨てようと思ったら入れ歯の箱を一緒に捨てちゃった」といって、バスを停めさせたりした。
まったく、バスの窓からゴミを捨てるなんて言語道断だよな。


最近の年寄りは、自己中で常識を知らないので困る。
運転手さんも年寄りのお客さんを手伝う風でもなく、「まったく、困ったばあさんだ。」とぶつぶつ言うのがウトウトしていた僕にも聞こえていた。もっとも手伝おうとするチー姉ちゃんも、菊さんに断られていたけど。さすがに入れ歯なんか他の人に拾われたくはなかったのだろう。




途中山の一本道の突き当たりにある、喫茶店とレストランが一緒になっているようなひなびた土産物屋へトイレ休憩で入った。バスから降りても、降りなくてもいい、ということだったけれどほとんどの人が降りた。
先ほどから大雨が降っていて、雷も鳴り響いている。


運転手さんが、「車の調子が悪いので一時間ほど時間をください」といった。
「オイルが漏れているような気がします、大した事ありませんので、心配しないでください」


大した事ないとは言うが、山道に差し掛かったころから不完全燃焼なのかタイヤの下のほうから煙が見えるし、どう見ても大丈夫そうじゃない。交替のバスを頼んでくれたらいいのに。


チー姉ちゃんが「お腹空いた」といって、ピザを頼んでいる。
ゲッ!こんなところのピザなんか冷凍に決まっているし、食べられたしろものじゃないんじゃないか?
そっと耳打ちしたけど、「私お腹空いてるもん、一人で食べるからいい」と頬を膨らませる。
そういえば、同乗者や僕はみんな平らげたけど、チー姉ちゃんは菊さんから貰った物をみんなリュックに仕舞っちゃって何一つ食べなかったからな。


僕はアイスコーヒーを頼んだ。バスの窓に吹き付ける雨足が強く富士山どころか景色も良く見えないのでバスの中ではすっかり寝ていたから、眠気覚ましだ。ほかの人もコーヒーを頼んだ。みんな寝ていたらしく、大きなあくびをしていたり、首筋を叩いている人もいる。




しばらくして、雨の中で車の修理をするために着ていた合羽から、たくさんの水滴をしたたらせて、バスの運転手が血相を変えてレストランに入ってきた。




「お客さんが・・・死んでる」




その声が終わらないうちに、チー姉ちゃんと僕はバスに向かっていた。


バスに乗り込んでみると、僕達の座っていた席と同じ列の窓際に座っていたコートを着た丸刈りのおじさんが手をだらりとさせて眠るように冷たくなって死んでいた。コートの襟のところに一本の紫っぽい横線がみえ隠れしている。
後ろの窓がほんの5ミリほど空いていてそこから湿気を含んだ空気がひんやりと流れてきていた。若葉のようなかおりがする。窓のほんの隙間に葉っぱが数枚半分に折れて引っかかっていた。


そこは菊さんが座っていたところで、たぶん入れ歯の箱を落としたときに葉が挟まってしっかり閉まらなかったのだろう。


殺された男の人はまぶたに斑点がでていて、合さったコートを広げるとわき腹あたりに万能ナイフが刺さっていて、血が染みていた。


突然激しい落雷があった。まるで花火のように閃光が走った。
ナイフがきらりと光った。






「コラコラッ子供の見るもんじゃない、早くレストランに戻りなさい」
レストランの主人が言うと一緒に来ていた他の人達もしぶしぶ戻った。だけどレストランの中は停電で真っ暗だ。主人がキャンドルをあちこちのテーブルに置いてくれてやっとほっとする。


警察に電話しようとしたけど繋がらない。近くの電波中継搭に雷が落ちたのだろう。乗客の持っている携帯はどれも圏外になっていた。




「おまけに交替のバスが、この先の一本道ががけ崩れを越していてこちらに来ることが出来ないと連絡が入ったきり、電波が途切れて音信不通になりました」と運転手が濡れた合羽を脱ぎながら言った。


「ということは、殺人者と閉じ込められたことになるんだね?」
菊さんが入れ歯をフガフガさせながら言った。


蝋燭の明かりが不安をかりたてるのか、「早く何とかしろよ!」と若夫婦の旦那がイライラして叫ぶ。


そのときだ。
チー姉ちゃんが若い旦那につぶやいた。


「おじさん、バスに乗って来た時、ベルトをしていませんでしたよね。
今、ベルトしているけど、そのベルトはあの殺された人のベルトですよね。
あの人が乗った時にしていたベルト、さっき見たらしていなかったんですよ」


運転手さんが大きな声を出した。
「思い出した!客のリストを見たとき、名前も顔もどっかで見たと思ったんだ。お前はあの殺された男と強盗をして逃げた男だな、いや、子供か?」
若夫婦の旦那を指差して言った。


「ああそうだよ、俺は息子だよ。親父は死んだけど、あの男が刑務所から出てくるときに分け前をもらえっていわれたんだ。
何とか在り処を探ろうと思ったんだが財布は持っていないようだし、
高級そうなベルトだったから売ろうと思ったんだ。このくらいいいだろ」


主人や運転手さんがベルトを返せというのに、若い旦那は必死になって抵抗した。


若い奥さんは驚いた顔をして旦那さんを見ていたけど、「あなたいい加減にしてよ!」と叫ぶと、若い旦那は渋々ベルトをはずし床に放り投げた。




「それでベルトの皮と皮の間に入れ込んであったこの鍵を奪うために殺したの?これ金庫の鍵だろうね〜」
ベルトを拾い上げさわっていたチー姉ちゃんが、鍵を見せながら言った。


若い旦那はあわてたように、
「えっ!ち、違うよ!ベルトを取るときはもうヤツはくたばってたんだ。ほんとだよ。


それより、この運転手、あの殺された男が昔襲って殺した女の婚約者だったんだぞ」
バスの運転手に向かって言った。「地元だから知ってんだ。車を修理する振りしてこいつが殺したに決まってるよ」


運転手は訴えるように言った。
「私は一時間も、雨の中で車を修理していたんですよ。みんなだってトイレに行っているでしょう?ここのトイレは裏口から出て駐車場までいけるんだから、
道具箱のなかの道具なんか外においてあったんだ。誰だって持ち去ること出来ますよ。第一万能ナイフなんか誰だって持っているでしょう」


そのときまたチー姉ちゃんがつぶやいた。
「万能ナイフの指紋を取ればすぐにわかることですけど、運転手さん、修理途中であの男の傍に行っていましたよね。ここでピザ食べているときに窓越しに見えました」




運転手は観念した様に椅子に座り込んだ。


「あの男はね、私の大切な婚約者を、無残にも殺したのですよ。助けて欲しいと何度も懇願する彼女をなぶり殺しにしたんだそうです。なのに、たった10年でもう刑務所から出てきた。許せなかった。・・・申し訳ない、私が刺しました」


チー姉ちゃんが聞いた。


「刺して殺しちゃったの?」


「ああ、そうだよ」


「ふうん」




僕は変だと思った。


「またまたぁ、運転手さんは自分が犯人だと思われないことを知っていてそんなこと言っているでしょう?
あの殺された丸刈りの男の人のわき腹すれすれにナイフが刺さっていたよね。
コートの上には少しの血のあと、だからコートをめくってみたんだけど、
コートの上からじゃなく、めくって刺すなんて、変だよ。返り血を浴びたくなかったとかいうかな?


でもね血は出ていたけど、大した量じゃなかったし。おまけにあんなに短いナイフなのに、雷の閃光で光って見えたということはいくらも刺さっちゃいないよね。


自分が捕まっても真犯人じゃないことが証明されるように、わざと不審な刺し方にしたんだよね。


第一もし、生きていたのなら、黙って刺されている訳ないし、両手にはナイフを掴んで抵抗しただろう傷があるはずなのに殺された男の両手は綺麗だったよ。


ただね〜・・・運転手さんしか殺せないよね。みんなバスから降りていたし、トイレの時間も短かったと思うよ。


つまりこうだ。
運転手さんはなにか細い紐のようなもので一回首を絞めて殺しておいて、その後、車の修理をするふりをしてもう一度時間を置いてからナイフで刺したんだ。本当は犯人なのに証拠不十分で逃げられるように仕組んだんだね」




チー姉ちゃんがカチカチに干からびたピザの残りを頬張りながらいった。
こんなときに良く食えるなと僕は思ったが。


「惜しいな〜ター君」
「え?違うの、チー姉ちゃん」
「死んで随分たっているもの、首を締められた時間には、運転手さんにはそんな暇は無かった、運転していたからね。だから、犯人ではありえないと後で証明される手はずなんでしょうね」


「あぁ、そうか!」僕はがっかりだ。


「犯人は菊さんよ」まっすぐ菊さんを見ながらチー姉ちゃんが言った。


乗客が一斉にブーイングだった。
「無理だよ、年寄りのおばあさんに首を絞める力なんかないだろう」
当の菊さんは、顔を小さいタオルで覆った。




「ター君寝ていたから気がつかなかったでしょうけど、菊さんから食べ物をもらった人みんな寝ていたのよ。強くないのだとは思うけれど、きっとなにか軽い催眠作用のあるものが入っていたはず。


ゴミを捨てるふりをして入れ歯のケースを落としたときは覚えている?
あの時バスの外に入れ歯を探しに行った菊さんは『ゴミを外に捨てないでくれ』と怒鳴った運転手の言うとおり、外から窓にゴミ袋を放り入れたのよ。


おそらくそこに用意されてあった紐と一緒にね。みんな眠くてあまり注意していなかった。多分ある決めた場所で車を止める手はずが整っていたのよ。


きっと森の中の一本の木に強力なピアノ線のようなものが括り付けてあって、その端を輪にし、窓から入れこんで、菊さんの渡した食べ物か飲み物のせいでうたたねしていた丸刈り男の首にかけたんじゃないかな。




そのままバスが走れば、年取った菊さんの力では首を絞められなくとも、難なく車の勢いが殺人をやってくれる。
レストランに着くずっと前、とっくに死んでいたから、発見されたときすでにチアノーゼが出ていたのよ。


当然殺された男の首と木に糸は残るけれど、回収するのは運転手さん。
そして、回収した透明の糸は、菊さんの編み籠にすでにこの1,2時間で編まれているかもね。その木はすぐにわかるはずよ、葉っぱが糸に引きづられて窓枠に付いていたもん」




菊さんは、男が出所する大まかな日を弁護士の口からそれとなく聞き出していた。
若い夫婦の旦那のほうは刑務所仲間から知らされていた。
運転手は、男が出所すると必ず自宅のある山に行くこのバスに乗ることを推理して仕事に就いたのだという。


運転手の婚約者だった殺害された女性は、菊さんの孫だったのだ。若いときに離婚して離れていた息子の、一人娘だった。親に隠れておばあちゃんである菊さんにずっと会いに来てくれていたらしい。
「心根の優しい子でした。寂しい私をいつも慰めてくれる大切な私の宝だったんです」
大切な孫を殺されて、身内のいなくなった菊さんは死のうと思ったけれど、その孫と婚約者だった運転手とお墓の前で知り合い、裁判時犯人に反省の色が全く無かったことを聞き、犯人の出所を今日か明日かと待っていたのだった。






共犯に思われないよう仲の悪いふりをしていたが、計画的な二人の復讐だった。


偶然だったが、病院で知り合った僕とチー姉ちゃんを巻き添えにすれば、証人になってくれて都合がいいと思ったようだが、そうは問屋がおろさなかったわけだ。強盗されたお金はその後犯人の家の裏山から発見された金庫の中から見つかっていたが、中は水が入り込んでいて腐食していたという。馬鹿な犯人だ。




「ター君。ピザ作って」チー姉ちゃんが家に着いたとたんつぶやいた。


「あは、口直し?」僕はピザ用の粉を取り出した。


あ、そうそう、富士山はほんと、綺麗だった。


<了>


写真:高尾清延