エッセイ

信じる心  by Miruba



島にかかった橋を渡り、大橋公園を左に見て二つの大きなホテルを過ぎると、長い海岸線が見える。
砂浜が永遠と続く遠浅の内海だ。



波は穏やかだったが、空はどんよりとして、海を渡る風は、亜熱帯系植物のソテツの木々を、震え上がらせているように小刻みに揺らしていた。
パラパラと小さな雪が降ってきた。


砂浜で幼馴染の辰夫が馬を走らせている。
この寒空では馬がかわいそうに思えるが、今日は乗馬の練習の日なのだろう。
海岸線を馬に乗って走ることが出来る!というキャッチフレーズで観光客を集め乗馬教室を夫婦で主催している辰夫は、馬具をフランスまで買いに行くというほど馬に熱心だ。むしろ逆にフランスから観光客が馬に乗りに来ていた。


タクシーを降り、海に面したテラスを抜け少し奥まったところにある店の鍵を開けていたら、後ろから辰夫の声がした。馬は繋いできたようだ。


「おい悠子、アランから連絡あったか?」
「ないわよ、あるわけないじゃない」
「そうか?男嫌いのお前がぞっこんに見えたけどな」
「バカなこと言わないでよ。私は男嫌いじゃないし、アランにぞっこんでもないわ」
「俺が乗馬のお知らせ案内でも送ってみるか?パリ暮らしのアランは、砂浜でのエキタシオン(乗馬)を気にっていたから喜ぶだろうし」
「なにそれ、おもてなしの一環ってやつ?私にとっては大きなお世話だけれどね。」
「おもいやりだろうが、そう、とがるなよ」
辰夫は外人がやるみたいに、大げさに肩をすくめて「悠子、コーヒー飲ませてくれよ」と私の後から店に入ってきた。


人の心にまで土足で入ってくるのがおもいやり?
大体この町はタクシーに乗っただけで、私がどこに行きたいのか探って、個人のプライバシーも何もありゃしない。


私はそれでも部屋に暖房を入れ、カウンターの中に入ってエスプレッソマシンのスイッチを入れた。


自宅から私の店まで車で15分かかる。
昨日車検に出したのだが、代車が新車の上、ギアがフロント部分についている最新のエコカータイプで、粗忽者の私がうっかり操作を誤りその車を何処かにぶつけたらいけないので借りるのをやめた。


店の従業員が迎えに来てくれると言ってくれたのだが、隣り町に住んでいる遅番のサービス係の彼とは出勤時間が3時間は違うのでそれも遠慮する。


5時にタクシーを呼んだ、外はまだ真っ暗だった。


「悠子ちゃん久しぶりだね、新鮮市場に行くかい?それともお店に?」
私が何も言わないのに、タクシーの運転手さんは気を利かして聞いてくれる。
狭い町なので、タクシーのドライバーは地元警察官と同じくらい住民の生活状況を把握しているのだ。
個人情報保護など小さな町では何の意味ももたない。
この町に私は生まれた時から暮らしているのだから。


漁師だった曽祖父が始めた民宿を、祖父が当時珍しかったペンションにして潰し、父と母がスナック喫茶にして昼夜働き、祖父の借金を返済し、それを私が洋食の店にして継いだのだ。


ペンションの時の名残で店の2階は客室だったものを両親と私が住まいにしていたのだが、両親が亡くなってからは、観光客相手のウィークリーの貸部屋にしていた。
部屋が古いし、ホテルというわけではないのでシーズンオフにはそれほど泊まる客はなかったが、時々釣り客や、夏の間は学生などが多く、最近増えてきた旅行好きのフリーの外国人などがネットで探し出して借りてくれている。


店は【ラヴァンドゥ】という名前だ。なんでもフランスの田舎町で、海の景色がこの町に似ているのだと、外国航路の船員だった曽祖父が付けた名前だと聞いていた。
当時としてはハイカラではあっても海辺の小さい田舎では異質な名前だったろう。
ペンションの時代は名前負けだったし、スナックの頃はむしろ安っぽく感じたものだが、今は店にぴったりの名前だといわれるから不思議だ。


私が出す料理は主に味噌汁付の日本風洋食だが、コック・オー・ヴァンやブルギニョンなどの煮込み料理、ラタトゥイユやキッシュロレーヌ、おかずクレープなどフランスの田舎料理やカフェで出すような料理もメニューに載せている。


実際には外国に料理の勉強をしになど一度も行ったことのない、全くの自己流だ。
今の料理本は、至れり尽くせりの解説入りだから日々忙しくて食べ歩きのできない私には助かっている。
それでも、貸部屋に入ってくる外国人が店で食事をすると、ママンの料理を食べているみたいで懐かしいといって喜んでくれるのだ。


その中にアランがいた。
台湾の旅行中にネットで見つけたといって辰夫の乗馬教室に来て、私の店で食事をしたのがきっかけで部屋も貸すことになったのだった。
店の名前を聞いて、自分は南仏にあるラ・ラヴァンドゥで生まれたのだと、興奮して私の手を握ったアランの熱い目を昨日のことのように覚えている。
小さいころ両親が離婚して、父親に引き取られたアランは、母親の作ってくれた料理の味と私の作る料理が重なるといって涙を浮かべた。


その海のように青い瞳に私は引き込まれてしまったのだ。
アランは高級ブランドの馬具を作る職人だった。
毎日私の料理を「美味しい」と言って食べてくれる。
お礼にと、【ラヴァンドゥ】の店内装飾も、器用に作ってくれたりした。
フランス風のリンゴタルトなども作ってくれて、デザートのメニューが増え、お客さんの評判も良かった。
サイフォンで作っていたコーヒーも、アランがエスプレッソが飲みたいというので、機械を思い切って購入したのだ。


お祭りにも参加してくれてすっかり地元に馴染んでくれた。
二人で夜の海を眺め、アランが教えてくれたミュゼットダンス(ウインナワルツ)をいつまでも踊ったものだった。


だが、所詮、観光客など気まぐれだ。
この地は気に入った、あなたのことが好きだ。きっとまた逢いに来る。
仕事を片付けてくるといったが、高級ブランドの店から離れられるわけもない。
恋人だっているに違いないのだ。


確かに、私に囁いた言葉、その時の心は本当だったかもしれない。本当だったと思いたい。
でも、ヴァカンスで過ごした一時の自然な景色への憧憬やそこで芽生えた恋心など現実社会に戻れば、跡形もなく消え去るのが常だ。


そんな恋は散々やって、懲り懲りしたはずなのに、今度だけは違うと、ばかみたいに思ってしまったのだ。
「私って、懲りない女よね〜」ため息が出てしまう。


太陽が顔をだし、空が青くなり海がその藍を増してきた。
波は白く砂浜に寄せる。
午後の乗馬練習が始まったのだろうか、砂浜を手綱を引く姿が見えた。


「え?」
テラスの手すりにつかまって身を乗り出し、じっと海のほうを見た。
アランが馬に乗っていた。
「うそ!いつ戻ってきたの?」
辰夫に馬を引き渡すと、砂に足を取られながら小走りにやってくるアランがいた。
来ることを秘密にしていたのね。ひどい。
私は、トック(コック帽)を外し、急いでテラスから海にでられる階段を駆け下りた。




Fin