童話

……との秘密の3日間 by やぐちけいこ



この冬初めての積雪。ズボンの裾が濡れるのも気にせずザクザクと歩く青年がいた。


中肉中背いたって顔つきも普通。
ただ彼を見た人はなぜか幸せな気分になるという。常にふわんとした雰囲気に微笑んでいるような表情がそうさせるのかもしれない。青年は雪道を歩く。
ザクザクザク。
ザクザクザク。
ザクザクむぎゅザ……。
「おわっ!何か踏んだ??」青年は片足を上げた状態のまま驚くことしばし。上げた足を少し手前に戻し下した。
自分が何かを踏んずけた場所を見るとこんもりと小さな山になっている。
恐る恐るその雪を除けると白黒の小さなぶち猫のような動物がくたっとしていた。
触ってみると温かい。生きていると分かった瞬間、青年が持っていたスポーツバッグの中からタオルを取り出し猫と思われる体を包み再びバッグに入れファスナーを10㎝ほどあけて肩から掛け家路を急いだ。途中のスーパーで猫用のミルクと缶詰の餌を買った。今日が金曜日で良かったと思う。家族の縁が薄い青年は親戚の援助を受けながらも高校入学当時から一人暮らしだ。淋しいと感じることもあるが今回ばかりはその一人暮らしで良かったと思う。気兼ねなく世話が出来る。
自分の住んでいるアパートは決して広くはないが子猫くらいなら一緒に住めるだろう。
部屋に入り暖房を入れクッションの上にタオルを引いて子猫らしき動物を寝かせた。
温かい体を頭から背中と撫でてみるが起きる様子が無い。背中にもう一度触れ折りたたまれているものをそうっと広げるとそこには羽が現れた。手を放すと自然と折りたたまれて元通りになる。
青年は考えた。こいつの名前を考えよう。いろいろ考えるもこれと言って思いつかない。しかし頭にあのメロディが流れてきた。つい最近流行語大賞をもぎ取ったドラマの主題歌だ。目の前が突然明るくなったような気分で青年は叫んだ。「じぇじぇじぇ隊長にしよう」。その声がきっかけだったのかは分からないがじぇじぇじぇ隊長が目を覚ます。青年を見て背中の背を逆立てて威嚇を始めた。うっかり頭を撫でようとしていた青年の指に思いっきり噛みついた。「痛っ」青年は指をどうすることもできずひたすら痛みに耐えその目に涙さえ溜めて今にも零れそうである。その様子に気付いたのか少しだけ噛む力が弱まった時漸く指を抜けば良いことに気づきそっと手を引いた。
その指には窪みができ血が溜まっている。洗面所で手を洗い消毒し薬を塗って絆創膏を二重に貼った。
「酷いよ、じぇじぇじぇ隊長。助けた僕に噛みつくなんて」グスグスと泣きながら正座で訴える青年。それでも買ってきたミルクと餌をじぇじぇじぇ隊長の前に用意した。相変わらず威嚇だけはされるようで仕方なく少しだけ離れて学校の勉強を始めるのだった。そうやって一日目は終わった。
翌朝じぇじぇ隊長を見た青年は驚いた。昨日は確か子猫くらいだったのに今は成猫の大きさになっている。思わず触ろうと手を伸ばした途端威嚇された。
「あぁ~。隊長お腹すいてない?今用意するから。僕これからバイトだから大人しくここで待っててくれる?」
後ろ髪引かれながらもバイト先へ向かい、何とかその日のノルマを果たした。
帰宅後じぇじぇじぇ隊長を見て息をのむ。
「また大きくなってる。仔馬くらいありそう。これ以上大きくなったらどうしよう」
それでもこの不思議な生き物が部屋で待っていてくれたことが嬉しい。
大きな体を小さくなってしまったクッションに乗せて丸くなって寝ている。
そうっと手を伸ばし触ってみた。ふかふかの毛皮が気持ちいい。何だか安心して自分も眠くなりそのまま眠ってしまった。温かい毛皮に寄り添って幸せな寝顔をする青年と少しだけ触ることを許した不思議な生き物。


明け方何かの気配を感じ目を開けた青年は危うく叫ぶ所だった。じぇじぇじぇ隊長の顔が目の前にあり自分を覗きこんでいたのだ。「うわっ。何?どうしたの?」問いかける青年に猫のようにすり寄ってくるじぇじぇじぇ隊長。つい嬉しくて首に抱き付いてふかふかの毛皮を楽しむ。まだ夜明け前で空には月と星が綺麗に見える。空気はぴんと張り冷たい。じぇじぇじぇ隊長に窓を開けろと言われてるような気がして何も考えずに窓を開けた。その途端しまわれていた羽を広げ飛び去っていくじぇじぇじぇ隊長。あ、と思う間もなかった。その姿があまりにも綺麗で幻想的だったから。
我に返った青年は「え?何で?どうして?」と消えていった方角を見つめ泣くしかなかった。
部屋の中を振り返る。ここはこんなに広かっただろうか。自分はただ夢を見ていただけだったのだろうか。
噛まれた指の絆創膏はまだ取れない。これだけがあの生き物と一緒にいた証明。
たった3日間だった。あの温もりに触れたのは一瞬だった。欲しい温もりは自分の手からいつも離れてしまう。それもあっけなく。誰にも言えない3日間だった。そしてそれは自分だけの宝物になった。
不思議な3日間から1年後。
青年は雪道を歩いていた。
ザクザクザク。
ザクザクザク。
ザクザクむぎゅザ……。