ショートショート三題話作品: くも かき氷 背後)

博士の発明  by 暁焰



発明家のクモ博士は失意のどん底にあった。
「新型カキ氷機」が全く売れないのである。
ボタン一つで、10秒で美味しいカキ氷が作れるという画期的な発明であるにも関わらず、だ。
それだけではない、このカキ氷機は氷を必要としない。
水を入れて、ボタンを押すと急速冷凍装置が働いて、5秒で氷を作り、更に、残りの5秒でカキ氷ができる、と言うわけだ(博士は水なしでもカキ氷ができるようにしたかったのだが、流石にそれは無理だった)。
「やはり天才の考えたものは世間には理解されないのか」
博士は腹を立てながら、カキ氷機に水を注いだ。
あんまりにひどく怒っているので、水がお湯になりそうなほどである。
博士が腹を立てるのも無理はない。
というのも、博士はこの新型カキ氷機の開発の為に、全財産をつぎ込んだのだ。
このままカキ氷機が売れなければ、博士の許に残るのは、カキ氷機の在庫だけ、となってしまう。
「困った。このカキ氷機が売れたら、次の発明の資金にできると思っていたのに」
ぶつぶつ言いながら、博士はカキ氷機のボタンを押す。
軽やかな音を立てて、カキ氷が作られていく。
「どうしてこんな優秀な発明が売れないのだ。やっぱり世間はどうかしているぞ」
残念ながら、どうかしているのは世間ではなく、博士の方だった。
カキ氷機が売れないのも当然。博士が売り込みに言ったのは、年中雪が降っているような寒い所だったのだから。
ボタンを押してから、きっかり10秒後。ちーんと音がして、カキ氷ができあがった。
だが、博士は氷を受ける器を忘れていたので、正確には、机の上に削られた氷の塊が出来上がった、というのが正しい。
「しまった。器を忘れるとは。ええい、くそっ」
カキ氷を食べたかった博士は、またこれで腹を立てた。
ちなみに、先程カキ氷機に注いだ水は汲み置きの最後の一杯である。勿論、水道は昨日止められている。
「ああ、もう駄目だ。カキ氷も食べられない。このままでは、私は破滅してしまう。どうにかならないものか」
どうにもなりそうにない。敢えてどうにかするとしたら、机の上の氷の山に蜜をかけて食べるくらいであろうか。しかし、残念な事に蜜もない。
「破滅を待つくらいなら、いっそ首をくくろうか。あるいは、ビルから飛び降りるか。いや、駅のホームから飛び降りるか…」
物騒なことを考え始めた博士の前で、早くもカキ氷、もとい、机の上の氷の山は溶け始めている。
ぽたぽたと滴る水が博士の足元を濡らしていく。賢明な読者諸氏であれば、この溶けて流れる雫を器に溜めて、もう一度カキ氷機に入れればよいのではないか、と思うかもしれない。
しかし、読者諸氏よりもはるかに賢明で聡明で天才である、と自負している博士はこのことに気づかない。この点からも博士がいかに追い詰められていたか、ということがお分かりになるだろう。
追い詰められた余り、物騒なことを考えていた博士はこんなことを口走った
「ああ。世間が理解してくれなくてもいい。神様か仏様かは私を見ていてはくれないのだろうか。見ていてくれるなら、私のような天才をこのままにしておくはずがないのに。それとも、神様も仏様もいないのか。なら、悪魔だっていい。誰か、助けてはくれないのか」
「お呼びになりましたか?」
突然、背後から声をかけられて、クモ博士は飛び上がった。
飛び上がっただけではない。飛び上がりながら、背後を見る、という器用なこともやってのけた。
「わっ。なんだ。君は。どこから入ってきた。借金取りか。金ならないぞ」
飛び上がって、床に着地して、ついでに背後を振り返った博士の前には、見知らぬ若い男が立っていた。
ぴしりと折り目の入ったスーツ、髪の毛は一筋の狂いもなく撫で付けられ、眼鏡がきらりと光る、どこからどう見ても借金取りには見えない、人品卑しからぬ紳士である。
「借金取りじゃありませんよ。今、お呼びになったじゃありませんか。『悪魔だっていい。助けてくれ』って」
「なんだと。何を言っているんだ。悪魔だと、頭がおかしいのか」
「借金取りだの、頭がおかしいだの、散々な言われようですな」
「当たり前だ。悪魔などいる訳がない」
「いるんですよ。だからこうしてやってきたんです。ほら、これで信じますか?」
自称悪魔と言う、人品卑しからぬ、本人の言葉に従えば魔品卑しからぬ男が、ぱちんと伊達な仕草で指を鳴らした。すると、テーブルの上にあった溶けかけの氷の塊が、なんと砂金に変ってしまった。
床に流れていった水滴まで砂金になって、きらきらと輝いている。
「ふーむ。これは不思議だ。私は夢でも見ているのか、それとも、困り果てて頭がおかしくなったのだろうか」
「どっちでもありませんよ、クモ博士」
「なんで私の名前を知っているんだ?」
「クライアントのお名前くらい、事前に存じ上げておかなければ。一流の悪魔とは言えませんから」
「ビジネスマンのような口を利くのだな」
「ような、じゃなくて、ビジネスマンなんですよ。我々は。望みを叶える。それと引き換えに…」
「わかっている。どうせ魂を寄越せと言うのだろう」
「まあ、そうですな」
「いいだろう」
「即決ですな。いいんですか、そんな簡単に決めてしまって。魂を頂くことになるんですよ」
「構わん。君が本当に悪魔で、私の願いを叶えてくれるなら、魂くらいくれてやる。どうせ、このままでは、私の運命は決まっている。遠からず餓死するか、自殺か、だ。後に残るのはカキ氷機の在庫と、死後の名声だけだよ」
悪魔を前にしても、博士の天才であるという自負は全く揺らいでいなかった。だが、自負だけでは腹が膨れないのが、世間の世知辛い所でもある。
「わかりました。では、契約成立ですな。あ、その砂金は契約成立の手付金です。どうぞお納めください」
「砂金なんか、どうでもいい。私はカキ氷機が売れてくれたらいいんだよ」
「それも承知しております。クライアントのご要望くらい事前に…」
「それはもういい。要望くらい事前に知っておかなければ、一流の悪魔とはいえない、と言うのだろう」
「仰る通りです」
「で、契約はどうすればいいんだ。ガチョウの羽のペンで、自分の血をインクにして契約書にサインするのか」
「そんな古臭い事はしませんよ。契約書にサインは頂きますが」
博士の言葉に、悪魔と名乗る男は如何にも心外だ、と言わんばかりの表情を浮かべ、再び指を鳴らした。宙から、ひらり、と一枚の書類が現れた。
「これが契約書です。内容をご確認の上、一番下の欄に御署名を」
差し出された契約書とペンを手に取った博士は、書かれている文章に目を通した。
「なになに。『私は願いを叶えて貰う代償として、魂を差し出します。願いを叶えてもらえるならば、魂がどうなろうと構いません』だと。なんだか、適当な文章だな」
「はあ、申し訳ございません。細かく条項に分かれているものもありますが、そちらの方が宜しいですかね?」
「いや。どうせ、書いてある事は変らんのだろう」
「まあ…。そうですな。多少、細かい部分が変わりますが。魂の取り扱いだとか…。後、願いを叶える方法なども、色々オプションがございます」
「随分と細かいのだな。だが、魂を差し出せば、願いを叶えてもらえることには変らんのだろう」
「それは変りません」
「なら、これでいい」
「恐れ入ります」
頭を下げる悪魔の前で、博士は契約書にサインをして差し出した。
「ありがとうございます。これで契約は成立です。確認ですが、願い事は『カキ氷機が売れること』でしたね」
「ああ、そうだ。カキ氷機が売れれば、その資金を元手に新しい発明に取り掛かることができる。これがまたすごいものでね…」
「存じ上げてます。クライアントの情報は何でも…」
「知っていなければ、一流ではない、と言うのだろう」
「仰るとおりで。では、たった今より、カキ氷機が売れるように致しますので」
「本当か。随分気軽に言うのだな」
「悪魔は嘘を…つきますが、契約の時にはつきませんよ。それがルールなので」
「そんなものか」
博士が疑わし気な視線を悪魔に向けた瞬間、突然、部屋の電話がなった。
「おかしいな。電話も止められているはずなんだが」
「直しておきました。それも手付です。それより、早く出た方がいいですよ」
悪魔の言葉に不思議そうな表情を浮かべて、博士が電話に出る。
傍らでは悪魔が契約書を丁寧に折りたたみ、スーツのポケットに仕舞っていた。
「…信じられん」
「どうしました」
「町の電気屋からだったんだ。カキ氷機が欲しいというお客が殺到して、在庫が全部売れたそうだ。まだまだ欲しがるお客が並んでいるから、今からトラックでこの研究所にある在庫を取りに来る、と言っていた」
「ほら、ごらんなさい。言った通りでしょう」
「本当だな。流石、悪魔だ」
「恐れ入ります。では、契約書も頂きましたし、私はこれで」
「なんだ、随分そっけないな」
「ビジネスですから。ああ、そうだ。名刺をお渡ししておきますよ。何かありましたら、この名刺を手に取って、私の名を呼んでくだされば、現れますので」
「ありがとう。何々…。悪魔:アクモデウス、だと。変った名前なんだな」
「はあ、魔王アスモデウスの従兄弟の愛人の息子のボーイフレンドが通っている学校の先生が使っているチョークの製造元に入り婿に入ったもので。地獄ではチョーク屋をやっております」
「随分、遠い関係だな」
「悪魔の世界ではかなり近いつながりですよ」
「そんなものか。まあ、いい。では、何かあったらまた呼ばせてもらうよ」
「はい、御世話になります。では…これにて失礼致します」
アクモデウスは丁寧に一礼すると、現れた時と同様にぱっと姿を消した。


アクモデウスの言ったことは本当だった。
この日を境に、クモ博士の発明したカキ氷機は世界中で飛ぶように売れた。
1時間で在庫がなくなり、1日で人を雇って作るようになり、1週間後には専用の工場までできるほどだった。
「悪魔の言う事は本当だったな。おかげで、私は金持ちになった。これで次の発明に取り掛かることができるぞ」
金持ちになった博士は、次の発明品の開発に取り掛かろうと、研究室の机に次の発明品の設計図を広げようとした。
が、どうも様子がおかしい。
頭がずきずきと痛むし、目の奥もちかちかと眩む。設計図を広げようとする手もぶるぶると震えている。お腹もしくしくとしっくりこない。
「どうもおかしいな。昨日辺りからなんだか体のあちこちが痛んでいるようだ。幾ら私が天才でも、こんなに体の調子が悪くては、実力が発揮できないぞ」
机に広げられた設計図を前にしてクモ博士は考え込む。と、その時、机の上に置いた侭にしていたアクモデウスの名刺が目に入った。
「そうだ。あの悪魔は『何かあれば呼び出せ』と言っていたぞ。確か、名刺を手に取って、名前を呼べと…。おい、アクモデウス」
「お呼びになりましたか」
再び背後から声をかけられて、クモ博士はまた飛び上がる所だった。
だが、残念ながら、今の博士には飛び上がる元気がなかった。飛び上がろうとして失敗し、背後を振り向くのが精いっぱいだった。
「なんだ。一体、どうしていつも背後に現れるんだ」
「申し訳ございません。悪魔のルールでして。クライアントの前に現れる時は常に背後に、と」
博士の、いつもの聡明な頭脳であれば、ここで「では、クライアントが壁を背にしていたらどうするのか」と疑問の一つも持ったかもしれない。
しかし、残念なことに、今の博士はそんな事を考え付く程の元気もなかった。賢明な読者諸氏であれば、この点からも博士が如何に具合が悪かったかをお察しいただけるだろう。前回と同様ぴしりとしたスーツに身を包んで現れたアクモデウスに、博士は、青白い顔をしてぜえぜえと息を切らして言った。
「そんなルールなんかどうでもいい。叶えて欲しい願いがあるのだ」
「存じ上げております。体調が悪いのでしょう。クライアントの御希望は事前に…」
「それもどうでもいい。わかっているなら、早く治してくれ」
いらいらとしている博士の前で、アクモデウスは上品に首を横に振った。
「できません。その御依頼には沿いかねます」
「なんだと。魂をやるのだぞ。何でも願いを叶えてくれるんじゃないのか」
「博士の場合、願いを叶えるのは一度きり、という御契約になっております」
「そんな話は聞いていない。さては私を騙したのか。この嘘つきめ」
「嘘はついておりませんよ。先日も申し上げましたが、悪魔は契約の際には嘘をついてはいけないのです」
嘘つき、と非難されても、アクモデウスは眉一つ動かさず、懐から書類を取り出した。
「こちらが、先日博士に頂いた契約書です。で、こちらが…本来の契約に用いるものです」
アクモデウスが取り出した2枚目の書類には、蟻よりも小さな字で細かな文章が並んでいる。
「こちらですと、願いごとの回数等もオプションで希望できたのです。1回、3回、10回…と、色々プランがございまして。博士の場合は特にご指定がなかったので、デフォルトの1回にさせて頂きました」
「ひどいな。どうして、そんなオプションがあると教えてくれなかったんだ」
「聞かれませんでしたから。それに、こちらの簡易版の契約書で構わないと仰ったのは博士ですよ」
「確かにそう言ったが…。くそっ、では、もう私の願い事はきけないと言うのだな。この役立たずめ。それならもうおまえなんかに用はない。さっさと帰れ」
願いを叶えて貰えないと分かって腹を立ててている博士の前で、アクモデウスは再び上品な仕草で首を横に振った。
「残念ですが、そうは参りません。博士に御用がなくとも、こちらにはございますので
「なんだと。一体何の用だ」
「順を追ってお話致しますよ。実は、カキ氷機を売るために、呪いを使わせて頂きました」
「呪い?どんな呪いだ」
「簡単なものですよ。時間を取り替える呪いでしてね。カキ氷機が動く時間と博士の寿命の時間を引き換えにしたんです」
「どういうことだ」
「つまり、こうです。一台のカキ氷機のスイッチが押されると、10秒間でカキ氷ができますね。そうすると、10秒、博士の寿命が縮むのです」
「な、なんだと。どうしてそんな呪いを…」
「人間の中には、他人の命を削るのが好きな者が多いですからね。呪いをかけたから、そんな連中が飛びついたんですよ」
「じゃあ、カキ氷機を買った連中は私の寿命を縮めようとして、買ったのか」
「そうじゃありません。呪いがかかっている事は人間には分かりませんから。でも、そういう人間は、分からなくても、惹きつけられるんです。しかも、それが自分の知らない相手の命、となったら、余計に遠慮しなくなる」
そういう連中のおかげで私どもの商売は繁盛するんです、と澄ました顔をしているアクモデウスの前で、博士の青い顔が更に青くなった。
「じゃあ、今、私の体がおかしいのは…」
「そろそろ、寿命がつきかけているからでしょうな。ですから、契約通り、魂を頂きに上がったような次第で」
「何が契約通りだ。そんな呪いをかけるなんて、一言も言わなかったではないか」
「聞かれませんでしたから。でも、申し上げましたよ?こちらの契約書なら『願いを叶える方法にもオプションがございます』、と。何もご指定がなかったので、こちらもデフォルトで呪いを使う事に…。ああ、もう意識が霞んできましたか。博士?」
片手で2枚の契約書をひらひらさせているアクモデウスの前で、とうとう博士は机の上へと倒れてしまった。
「くそ…。私はまだ死ねない…。私は天才なのだぞ…。次の発明だって…」
死の間際にあっても、自分が天才であるという博士の自負も、発明への熱意も全く揺るいでいない。
悔しそうに、次の発明品の設計書を見つめる博士の瞳から光が消えると、背中から、博士の魂が小さな人魂になってふわふわと浮んできた。
アクモデウスは、ポケットからハンカチを取り出すと、博士の魂をそっと包み、溜息を付いた。
「博士、貴方は確かに天才でしたよ。こんな物を考え付くんですからね」
手にした博士の魂に話しかけながら、アクモデウスは倒れた博士の体の下から、博士が次に製作に取り掛かるはずだった新発明の設計図を取り出した。
「『不老不死マシン』だなんてね…。これが作られていたら、誰も死ななくなってしまう。人間が死ななくては魂が取れませんから。危うく、我々のビジネスが成り立たなくなる所でした」
博士の魂と「不老不死マシン」の設計図を懐へと仕舞った後、アクモデウスは冷たくなった博士に向かって丁寧にお辞儀をした。
「呼び出してくださって、助かりました。その頭脳に敬意を表して、博士の魂は飛び切り上等のチョークに変えてあげましょう。アスモデウス様に明日までにチョーク100本を頼まれているのでね…」
お辞儀を終えた後、アクモデウスの姿は煙のように消え去った。