小説(三題話作品: 海 花びら スローモーション)

タンタンの息子  by Miruba

夏のグランド・ヴァカンスが始まった。
休暇があればお金を使うことと直結するため大した稼ぎもない私は休みたくもないが、制度として決まっているので休日を取らないわけには行かない。
2週間も3週間も良く休めると思ってしまう。


それでも最低の2週間を同僚のステファニーと調整して休むことにした。
残りの休暇は、子供が小さいから病気などで休みを消化するしかないだろう。


息子は5歳だ。
私の生んだ子ではない。
主人が半年前に連れて来た。
彼の付き合っていたフランス女との子供なのだ。
婚約不履行で訴えるといわれて、不倫相手の子供を押し付けられたという、バカバカしいったらないが、何故だか馬鹿主人と共に私が育てている。


おまけに彼は出張が多いので比重は私へかかることが多い。
「すまない」と言いながら、平気で「ヴァカンス中10日間はなんとか面倒を見てやってくれよ、後は僕がディズニーランドにでも連れて行くから」なんて言う。
冗談じゃないわ、と思う。


それもなつくのならいざ知らず、軽い失語症で口も利かないのだ。
精神的に弱いのか時々ベットをオネショで汚す。
ホルモンの関係だとわかっても、つい口調がきつくなる。


マテルネル(幼稚園)の先生にも「口を利かないし泣いているばかりなので迎えに来てくれ」といわれることもしばしば。
母親に捨てられて可哀想だと思うから優しくしても、時におびえたような目で私を見る。
半年ですでにクタクタの私だった。
だから、ヴァカンスは私にとっても必要だったのだ。


「明日から海に行くわよ、タンタンが連れて行くけれど、パパは後から来てくれるからね。レオ君判った?」


tantanタンタンとはフランス語の幼児語で「おばちゃん」と言う意味のtataタタからきている。ママンだなんて呼んでほしくない。最もレオ君も「タンタン」さえ言いたくないらしいが。


海の話をしたら、レオ君は、明るい顔で軽くうなづいた。
これだって珍しいことだった。
余程海に行くことが楽しみなのだろう。
その嬉しそうな顔を見ると、少しほっとする。単純なのよね私って。




フランスの北部にあるノルマンディー地方。
パリ、サン・ラザール駅から列車で約2時間半。
映画【男と女】で有名になったリゾート地ドーヴィルという街がある。
映画祭りや馬の競売会やカジノもあり、南のニース、北のドーヴィルといわれるほどのリゾート地だ。


2週間家具付きのリゾートマンションを借りる。
いつも部屋の隅っこで突っ立っているレオ君がソワソワしている。
_仕方がないな_私は荷物を適当に片付けて、海に出かけることにした。


「レオ君、プランシュ(木の散歩道)をいくわよ」




海は意外に穏やかだった。
板張りの道が海岸沿いにずっと繋がっている。


暫く歩いて、波打ち際で海水に足を浸けたりした後、ビーチのテーブルに陣取る。
パラソルがあるから午後の強い日差しも避けられる。
どこからかギャルソンが現れる。
私は椅子に座りビールを頼んだ。
「レオ君はアイスクリーム?オランジナ?」
たったこれだけの言葉にもまともに返事をしない。面倒なので返事を待たずアイスを頼んだ。


パリを出たのが朝早かったので、私はついウトウトとした。
「Regardez! 」誰かが叫ぶ声にはっとして目が覚めた。


あら、レオ君は?目に入ったアイスが皿の中ですっかり溶けている。


「見てごらんよ!アレ子供が溺れてるんじゃないか?」誰かがまた叫んだ。


え?椅子から立ち上がりかけて私は指差すほうを見た。
海の上、小さい手が空を切っている。


その光景がまるでストップモーションのように目に映る。
一瞬私の心を悪魔が通り過ぎた。
どうしたのだ。
体が動こうとしない。


ああ、いけない!
私は地面を強く蹴って走った。
先に助けに向かってくれていたフランス人の男性を追い越す。


夢中だった。レオ君!海に飛び込む。
レオ君が振り向き私に強くしがみついた。
やばい、私はビールを飲んでいる。
浮き輪持って来るんだった・・・
レオ君が抱きつくので一緒に海に引きずりこまれていく。
海の水をしこたま飲んでしまう。息が苦しい。


ああ、もうだめか・・・


そう思ったら・・・背中が海底に着いた。
え?!肘もつく?なんと膝ほどしかない水深だったのだ。


愛しい空気に再会した肺が喉に入った海水を押し出す。
激しくむせ返っていると、レオ君が言った。
「タンタン、大丈夫?」
大きな目をクリクリさせて、心配そうに私の顔を覗き込んでいた。
ウソでしょ~溺れてたんじゃなくて遊んでたのか?


気が抜けたと同時に、
初めて言葉をはっきりと出してくれたことが嬉しくて、私は海の中でレオ君を強く抱きしめたのだった。




レオ君は毎日言葉の量が増えて、私を驚かせた。
オネショもしなくなり、タンタンタンタンと私から離れなくなった。
庭に咲いている花をちぎって、花びらを散らしながら私に差し出す。
「あら、採っちゃダメじゃない。でも、ありがと」
単純な私は嬉しくて、「レオ君のおしゃべり、パパが来たら喜ぶよ」と
出張を終えた主人が来るのを2人で首を長くして待っていた。


10日過ぎ、主人がパリから合流した。
レオ君が話せる様になっていることに感激し、私へなつく様子を見て喜んでくれた。


数日を過ごしてパリに戻ろうとしたときに、主人がつぶやいた。


「実はレオの母親からレオを返してと言って来た」
「え?何をいまさら。あなた、ちゃんと断ったんでしょうね?」
「いや、その・・・レオがなつかなかったから、OKしてきたんだ」


・・・なんてこと。


そうよね。
私は海で溺れていると思ったレオ君を助けに行こうとして、ほんの一瞬逡巡した自分が許せなかった。
寝ぼけ眼だったからと自分への言い訳もやっぱり納得できない。


そうよね。
母親の元に行ったほうがいいのよ。


パリの自宅に帰ってからレオ君の物をまとめはじめた。
「タンタン、何でお片づけしているの?」レオ君が聞く。


なんとなく言い辛い。
「パパに聞いてきて」


主人が顔をだし、レオ君に説明を始めた。
「On va aller chez ta maman」


レオ君が走ってきて、私の片付けている手をつかんで邪魔をする。
目から大粒の涙を流している。
声を出さないようにこらえているのがいじらしい。
思わず抱きしめた。
私も涙が出てとまらなかった。






「タンタン、来たよ」
インターフォンから久しぶりにレオ君の声がした。
レオ君は18歳になっていた。


グランバカンスを一緒にドーヴィルで過ごすことにしてあった。
定年を秋に迎える同僚のステファニーが、ヴァカンスは短くていい、というので今回は3週間休むことにしている。
レオ君が海辺のカフェでのアルバイトを決めていて、ゆっくり一緒に過ごす時間が限られている。
2週間や3週間では休みが足りない。
昔はきちんと1ヶ月休みがあったというのに、フランス人の休暇も変わったものだ。






レオ君はあの後母親の元に帰ったが、失語症が再発したのか、再び声が出なくなった。
後に母親から、交代で育てたいとの提案が主人にあったのだ。
勝手な親だ。


1ヶ月交代で預かることにしたら、レオ君はすっかり元気になってくれた。
彼なりに母親を愛し、父親の伴侶である私への愛情も示してくれた。


「タンタン、僕アルバイト行って来るから4時には浜辺に来てね、一緒に夕飯食べよう。今日パパが来るでしょう?」




私はすっかり大きくなったレオ君にハグをしながら、笑顔をみせた。




FIN


photo by Mr. Takao