Mirubaの カクテル小説 辞典

 

パーティーの後に by Miruba
[Piña Colada]

「あー踊った踊った〜」
「疲れたわね〜足が棒よ〜」

ダンスパーティー会場から更衣室にどっとなだれ込んだ女性たちが口々に話し始める。
疲れたといいながら健康的な汗で下着まで濡れた体をタオルで拭いて心地よい疲労に満足した顔がある。
パーティー会場を華やかにしていた色とりどりの美しいドレスたちが床に脱ぎ捨てられ、更衣室の湿度が一気に上がった。


「でもさ〜あの<やっくん>とかいうハンネ(ハンドルネーム)のひと、掲示板ではおっかない感じなのに踊りが優しいのね〜」
「ほんとほんと、それにひきかえ、<モーリス>とかいう人、掲示板では先生みたいなこと書くのにステップが今一つでびっくりよ」
「踊ってみないとわかんないものよね〜」

裕子はそんな女性たちの噂話に――人のこと言えないわ、自分の踊りだって大したことないくせに――とクスッと笑いながら濡れた下着をさっさと脱いで裸になり新しい下着に着替えた。
周りの人たちが胸もあらわにした裕子をギョッとした風に、でも見なかったふりをして、自分は濡れたままの下着の上からシャツを着ている。
「濡れたまま着ちゃうと風邪ひくわね。私も今度は下着をもってこよう」裕子に聞こえるように言う。

裕子は「お先でーす」と言って更衣室から出た。汗と終りかけた香水の香りが混ざり合い、むっとする場所から早く解放されたい。
「ユーちゃんお疲れ様〜またね〜」何人かの声が閉まる扉から追いかけてきた。

受付の女性が「あら、ユーちゃん打ち上げ出てくれないの?」と声をかけてきた。「ユーちゃん」というのは裕子のハンドルネームだ。
「すみません、踊るだけ踊って、お手伝いもしないで……ちょっと用があって……」と裕子は申し訳なさそうに言い訳をする。
「いいのよ、気にしないで。オフ会に参加してくれるだけでうれしいわ、秋にはまたやるから、参加してね」
優しい笑顔で送ってくれた。


裕子がオフ会に参加するのは、ただ、踊りたいという理由からだった。
普段裕子は決まったパートナーがいるわけではない。ダンス教室の先生からレッスンを受けているのだ。でも、先生とだけ踊っていると自分が本当に踊れているのかわからない。
お勉強を離れた「ダンス」を心から楽しんでみたいと、常々思っていた。

そこで、数年前からネットで遊ぶダンスサイトのオフ会に参加しはじめた。
ネットサイト内でダンスのことを投稿したり会話したりするのが「オン」で、そこで遊んでいる人たちがネットを離れリアルで会うことを「オフ会」という。

指定された日時にパーティー会場に行けばオフ会のグループで踊ることができる。
ハンドルネームだけのバーチャルな付き合いなので、リアルな付き合いをする必要もなく気が楽だった。
だから、懇親会やお茶会などに参加してバーチャルをリアルにする気はなかったのだ。

だが、裕子が「リアルに付き合う気はない」と勝手に思っているだけで実際は、知らない同士が社交ダンスという手をつなぎ体を合わせて踊るオフ会に参加するということだけで、お茶を飲んだりして親交を深めることとの違いに対して差はないといえる。


10時から始まったダンスパーティーがおつまみタイムのお昼を挟んで午後4時まで、踊りに踊った6時間。
履いている靴がスカスカになり、足が中で泳いでしまうくらい、体中から汗が出てしまう。
こめかみあたりを触るとザラッとして潮を吹いているのがわかるくらいだ。
急いで帰ってシャワーを浴びたいが、その前にのどを潤したい。

駅前のホテルに入った。
確かこのホテルには仕事帰りの人をターゲットにして、早くから開いているバーがあったはず。
裕子がエレベーターの最上階のボタンを押そうとしたとき、急いで後から入ってくる人がいた。
お互い何となく軽く会釈をする。
その人から何か話しかけられそうな雰囲気を感じて、裕子は素知らぬ顔をした。全身で「話しかけるなオーラ」を発する。

それでも、感じ悪い女にはなりたくないので、降りるときまた軽く会釈はしておいた。

バーは大きな窓から入る光で明るかった。夏の夕方はまだ真昼のように太陽がビル街を照らしている。
夜ならば夜景を楽しめる雰囲気あるバーラウンジが、まるで開放的な喫茶店のようだ。
カウンターに立って、ビールを頼んだ。
このカウンターバーはヨーロッパの人がオーナーなのか、パリあたりにあるカフェスタイルになっていて、もちろんテーブル席も沢山あるが、カウンターで立ったままでも飲めるのだ。
ヨーロッパ版立ち飲み屋といってもいいかも。

生ビールを一気に飲み干す。
「あ〜っ! おいしいっ!」思わず声が出てしまう。

「ダンスの後のビールはたまりませんよね」横で声がした。

「えっ?!」と思ってみると、そこには先ほどエレベーターで一緒になった男性がいた。
「ユーさんですよね? オフ会で踊っていただきました」

なんと、オフ会の踊った中のお一人だった。

「あ! あ〜えーっとお名前は……」
「ハンネですか? アノニマスです」
「そうそう、匿名さんでしたねぇ」
「無視されちゃったのでお声かけるのは止めようと思ったのですが、あまりに美味しそうにビールを飲んでいらっしゃるので、ついね」
いたずらっ子のような顔をして言う。
「あらやだ、無視だなんて、私は近視がひどいので、よく見えないのですよ。気が付かず失礼しました。先ほどは踊ってくださってありがとうございました。2,3回は踊りましたよね?」
「あなたはお上手だから次々に男性たちから誘われていて、僕の出番は本当になくて1回だけでしたよ」
「上手だなんて、それこそお上手! そうでしたっけ、ごめんなさい」
踊っているときはこちらもドレスだし、男性たちもワイシャツにベスト姿で粋に装っているから、いったんパーティー会場を後にすると、ただのおじさんおばさんとなってしまって気が付きにくく、うっかりする。

「よかったら一杯ごちそうさせてください。バーテンさん、夏らしいお薦めのカクテルありますか? あまり強くないほうがいいですよね? 運動後だから回っちゃうといけない」とアノニマスさん。

出てきたのはトロピカルな感じのピニャコラーダという甘口のカクテルだった。
パイナップルの薄切りが添えてあり、若いころ行ったハワイの海を思い起こさせる。

「なんか、お子様みたいなカクテルですね、よかったかな?」
「いえ、今なんか昔懐かしいカクテルだなって思ってました。若いころを思い出します」と裕子が笑顔を浮かべると、

「そうですか。よかった。僕はビールで通させてください」と言い、2杯目もビールを頼んだアノニマスさんと裕子は乾杯をした。

ついつい、ダンスの話になる。
「……女性はナチュラルターンの5歩目をどうやってます?……」
「……男性がね、その前にまっすぐに出てくれないとだめなのよね……」
立って飲んでいるので、おもむろに疑問の箇所を組んでみたりする。
恋人でもない二人が恥ずかしげもなく手を取り合って、あーでもないこーでもないと熱弁をふるっているところなど傍から見たら滑稽な図だろうが、本人たちはいたって真剣な論議になる。

「……ですよね〜」
「なるほどね〜聞いてみるもんだな、いや、勉強になりました」

「ダンスの話になると、時間を忘れますね」
「ほんとね」

裕子と一緒で、アノニマスさんも、ダンスを楽しみにオフ会に来ているので、打ち上げには参加したことがないという。
そんな二人が、偶然にあったとはいえオフ会の打ち上げをしているのは、おかしいね、と笑いあう。

裕子はピニャコラーダの薄くなった氷を飲み干し、アノニマスさんはすっかり泡のなくなったビールを飲み干した。

「また、どこかのオフ会で」
「次は、きっと2回は踊ってくださいね」

夜景の美しくなったカウンターバーの窓を後にし、右と左に笑顔で別れた。
裕子はオフ会の打ち上げにも、今度は参加してみようかな、と思った。



ピニャコラーダ [Piña Colada]



▶︎【ラムベース】
甘酸っぱさがハワイアンな感じの、夏にぴったりのカクテル。ピニャコラーダとは、スペイン語で「裏ごししたパイナップル」のこと。その名の通り、パイナップルジュースをメインとしたトロピカルカクテルで、ココナッツミルクの優しい味もまた際立つ。アルコールが弱い人にもおすすめ。
 
▶︎レシピ
ホワイトラム・・・・・・30㎖
パイナップルジュース・・80mℓ
ココナッツミルク・・・・30mℓ
 
以上をクラッシュドアイスとともにミキサーにかける。ロンググラスに注ぎ入れ、マラスキーノチェリーとパイナップルを飾る。