Mirubaの カクテル小説 辞典

 

クイーン・エリザベスのマダム by Miruba
[ QUEEN-ELIZABETH ]

「元気してる?」
 久しぶりに聞いた日本のマダムの声だった。
 自己中なのは変わっていないのか、電話が鳴ったのはイタリア時間、夜中の3時半だった。緊急ならいざ知らず世間話をする時間ではない。
 
「あぁ、マダムですね? お久しぶりです。お体はもういいのですか?」高橋はあくびを押し殺しながら返事をする。
「もう大丈夫よ、インフルエンザなんか大したことないわ。あのね、カンボジアツアーから戻ったばかりなのだけれど、夏にまた地中海のクルージングに行きたくてね……」
「わかりました。いつものように手配しておきましょう」
 
 高橋はイタリアで主に日本人を相手にする観光ガイドをしている。大学生の頃、イタリア映画に魅了され、ろくにイタリア語もできないままミラノに入った。色々あったが結局はアルバイトで始めたガイドが本業になって現在に至っている。マダムとは15年の付き合いになる。右も左もわからなかった頃、偶々ホテルへの送迎を頼まれたのが縁だった。すっかり気に入ってくれて、それから年に一回必ず高橋を指名してくれた。
 
 マダムは才女で英語もフランス語もイタリア語も、もちろん日本語も堪能な生粋の江戸っ子だ。だから最初の頃はガイドをしている高橋よりもマダムのほうが詳しく、イタリア語しか通じない田舎町の旅行では、マダムが通訳をしてくれて、どちらがガイドかわからない程だった。旦那さんを若い頃になくしていて、子供たちは最初の頃マダムと一緒に旅行に来ていたが、いつの間にか成人して、それも一人はアメリカ、一人は中国と外国暮らしなので、ここ数年はマダムはほとんど一人で旅行をしているようだ。
  ミラノを起点に西欧はもちろん北欧や東欧、北アフリカなどへも高橋をガイドに2週間から1か月の間、旅行をするので、我儘なマダムの相手は時に腹立たしいこともあり大変ではあったが、経ってみると、高橋は本当に色々な勉強をさせてもらった、と思うのだ。
 
 
 地中海クルージングを楽しむ。
 今回はクイーン・エリザべス号がローマの北西に位置するチヴィタヴェッキアに寄港するというので予約を入れた。総トン数は90,400t、客数2000人以上の受け入れと、乗員数は900人という豪華客船だ。
 ローマから同じイタリアのピサの斜塔があるリボルノへ北航し、モナコのモンテカルロ、フランスのトゥーロンからスペインのバルセロナへ、またローマに戻ってくる7泊8日の船旅になる。色々な客船に乗ったが、やはりクイーン・エリザベス号の豪華さは格別だった。マダムの部屋はオーシャン・ビューでテラスもある。高橋の部屋は14平方の窓のない部屋だが、それでも十分快適だった。
 部屋のクラスが違うので、利用できる施設やドレスコードなども違っていて「ガイドだ」というと別室に案内されそうになるが、マダムが「一人で食事をしたくないので一緒のテーブルで」と言ってくれるので、いつも最高の場所のテーブルになる。
 生演奏も入っていて、気分は最高だ。高橋も仕事であることを忘れそうになる。
 
 その夜はドレスコードがあり、マダムはロングドレスを着ている。高橋もタキシードに蝶ネクタイをする。蝶ネクタイは明るいえんじ色にしている、黒にすると東洋人スタッフと間違えられるのだ。似合っていない証拠だろう。初めの頃はよくわからずにノーネクタイでレストランに入ろうとしてマダムにこっぴどく叱られたものだ。
 
 食事が終わってダンスホールに移動した。
 ダンスも高橋は全くダメだったが、マダムに「プロのガイドならダンスぐらい勉強しろ」と言われてスタジオに練習に行ったりした。今ではなんでも踊れるが、マダムのほうが「もう年で動けないわ」とあまり踊らなくなった。それでも、小一時間踊り、疲れたのでテーブルに座った。
 ウエイターが飲み物を聞きに来る。
 マダムが「クイーン・エリザベス号に乗っているのだから、カクテル・クイーン・エリザベスを飲もうかな」と、ウエイターにウインクすると、ウエイターが、「そういうお客様は多いですよ」と笑顔で言った。
 
 運ばれてきたカクテルで、乾杯をした。
「高橋君。クイーン・エリザベス号での世界一周旅行はね、亡くなった主人の夢だったのよ。いつか、高橋君に付き合ってもらおうと思っていたのだけれど、もうそれも無理になったわ」
 高橋が怪訝な顔でいると、
「私ね、癌なんですって。それもステージⅣ、手術もできない転移だらけですって。嫌になるわね。これが最後の外国旅行になるわ。主人の会社を潰さないように必死で働いてきたけれど、あなたとの一年に一度の旅行が私のストレス解消になっていたと思うのよ。今まで私みたいな我儘な女に付き合ってくれて、本当にありがとう。息子も娘もあなたには感謝しているわ」
 
 高橋は言葉に詰まった。世間知らずの高橋に生きていく上での常識を教えてくれたのもマダムだった気がする。
 
「今回このクイーンエリザベス号で地中海クルージングができてよかったわ。何もしゃべれなかったあなたのイタリア語が会うたびに上手になっていくのが楽しみだった。努力家のところも顔も、若い頃の主人にあなたはよく似ているのよ」
 
 最後はマダムの目が潤んでいた。
 高橋は喉まで上がってきた熱いものを飲み込む。
「さ、話は終わり、高橋君、もう少し踊ろう」
 マダムはカクテル・クイーン・エリザベスに少し口を付けただけで、高橋の手を取り、フロアーに向かった。



クイーン・エリザベス【QUEEN-ELIZABETH】 
 

▶【ブランデー・ベース
エリザベス女王と名のついた、まさに大人の味わいのあるカクテルです。スイートベルモットが入るので甘口に仕上がりますが、度数はあるので、食後酒として、語り合いながら時間をかけてじっくり飲むほうがよいでしょう。
 
▶レシピ
★ブランデー・・・・・・・・30ml
★スイートベルモット・・・・30ml
★オレンジキュラソー・・・・1dash 

以上の材料をステアして、カクテルグラスに注ぐ。