ホテルの外に出ると、すでに陽は落ちて暗くなり始めていた。
「明日にでも当社の者からご連絡させるわね」そういいながら車に乗り込んだ女性に私も返事をする。
「こちらこそ、よろしくお願いします」
車から手を振った彼女の笑顔は、昔の面影を残し、子供にかえったような愛らしさに見えた。
あるイベント会の招待を受け、仕事は忙しかったが足を運んだ。
「招待」ともなればお祝いを包まなくてはならず、チケットを買った方が安上がりだが、お付き合いだから仕方が無い。
イベント後の懇親会も流れで付き合う。
地元なので知り合いも多く挨拶して回らなければならなかった。
一通り挨拶が終わってやっと自分のテーブルに戻った。
同じテーブルの人と会話を交わす。
名刺交換をしたら、
「あら、あなたは里建設の社長さんなの?お宅に仕事断られたことがあるのよ。元気な営業の子だったけれど」
言葉に皮肉が感じられた。
相手は手広くビルのオーナーをしているやり手の女社長だった。
同じ女社長でも、夫の残した小さな建設会社を四苦八苦で経営している私とは大違いだ。
「そうでしたか、それは失礼しました。その子ならもう辞めましたが、ご無礼を申したのでしょうか。すみませんでした」
どういうことだったのか、私のところまで報告が挙がっていないのか、はたまた私がぼけて忘れたのか、記憶に無かったので、とにかく謝ることにした。
「いいのよ、もう何年も前の話だもの」
と言いながら、それでもチクチクと言葉に針が見え隠れ。
辞めたあの若い子は一体何をやらかしたんだ、と思いながら、その場を離れたいが離れられず、バイキングの料理を持ってきたり、飲み物を持ってきたりしてサービス係に徹した。
「若い子と違ってあなたは感じいいわね。相手をね、思いやる気持ちが大切だと思うのよ」
「そうですよねぇ」
と私は適当に返事をする。_あなた様にもその言葉お返ししたい_と心では思いながら。
「私は裸一貫からここまで来たけれど、子供の頃はとんでもなく貧乏だったのよ」
と、少しシャンパンが回ってきたのか、女社長の昔話が始まってしまった。
一通り自分のサクセスを話し終えたら、「あなたはどうだったの?」と促されて、子供の頃それほど困った暮らしを経験してこなかった私は返事に詰まる。
だが、ふと思い出して、
「私の実家は酒蒸しのお饅頭屋をしていたのです。もう半世紀以上も前のことですがいつも店の前を私と同じくらいの二人の女の子が、佇んでいました。何か買うのかと思い、店のものが声を掛けるけれど直ぐに逃げてしまう。でも次の日また店先のところにいるのです。見かねた父が、私に『あの子達はお饅頭を買うお金が無いのだろう、これをもっていってやりなさい。大人からでは受け取らないかもしれない、少し遊んだあと渡してあげなさい』というのです。気乗りはしなかったのですが、ちょうど長ゴムを持っていたので、ゴム飛びしない?と誘って遊んだあと、お饅頭をあげました。とても喜んでくれた笑顔を忘れることは出来ません。あの頃はまだまだ苦しい人が多かったけれども、そうやってお互いを思い、助け合ってきましたよね」
「で、その後その二人の女の子はどうしたの?」黙って聞いてくれていた女社長が尋ねてきた。
「そんなことが数回あってから、そのうち父が二人のうちのお姉ちゃんに裏庭を掃除させたあと、『夕飯も食べていきなさい』というので、裏庭にあったテーブルで何度かうどんやそばやおにぎりを私も一緒に食べたりしたものです。商売で忙しい両親でしたからいつも1人で夕飯を食べる私には嬉しい時間でした。今思うと、父は掃除を子供にさせることで、夕飯を遠慮なく食べられるよう仕向けていたのかもしれません。ですけれど、ある日突然いなくなってしまって、後から父に聞いたのですが、なんでも母子家庭の子供達で母親の再婚でこの地を離れたのだろうとのことでした。可愛い子でしたが、今はどうしているのでしょうと、時々思いますよ。元気でいてくれたら嬉しいですけれどね」
突然、目の前の女社長が私の手を握り締め、涙をポロポロと流し始めた。
「女の子、その女の子、私よ、もう1人は姉なの」
_あの時はほんとうにありがとう_その言葉が、嗚咽で震え聞き取れないほどだった。
その会場からバーラウンジに移動をしてシャンパンしか飲まないという彼女と、キールロワイヤルで再会を祝う乾杯のしなおしをした。
苦しかった時代も、それはそれで良い思い出になるのだねと、昔話に花が咲いた。
彼女の乗ったタクシーのテールランプを見ながら、私は人を思いやるとはどういうことか、少しわかった気がした。
故郷