Mirubaの カクテル小説 辞典

 

ふたつの手のぬくもり by Miruba
[WINE COBBLER]

啓介は成田から千葉にある自宅に帰った。
会社に戻ろうかと思ったが、既に退社時間は過ぎているし、報告は休日明けの月曜日でいいかと思った。
啓介は冷却装置を販売する会社に勤めている。大きな会社ではないが、販路は世界中にある。
語学に強い啓介は常に海外出張に明け暮れていた。
今回イギリスでの交渉が成立し、達成感があったが、成功をねたんで嫌味を言う同僚や手柄を横取りする上司では酒はまずいし、喜びを共有できる友人も居なかった。
トランクは機内持ち込みの出来る小さな物しか持ち歩かないので旅行といっても身軽だ。
気持ちの良い季節で、啓介は駅から少し回り道をして江戸川の土手を通って帰ることにした。
「黄昏時、この道はよく散歩したなぁ」啓介は昔を思い出していた。
「パパー! マンマン! パ・ボー・・・」ふと声が聞こえたようで振り向いた。
いや・・聞こえるわけがない、啓介は頭を振った。
 
家に入ると、女房は一番忙しい夕方の時間帯で台所から顔を覗かせ「あら、おかえり」と言っただけで鍋に突進している。
上の13才の娘は友達とのLine会話で忙しいらしくスマホ画面から目も離さず「ジャック・ジュナンのチョコ買って来てくれた~」と催促が第一声だ。フランスでしか売っていないというので、ユーロスターでパリまで渡って手に入れた。親バカも甚だしいと思うのだが、留守がちな父親なのでついご機嫌を取ってしまう啓介だった。
11才の次女もテレビ画面に向かってゲームに大忙しで、「・・うっす」とだけ。挨拶のつもりらしい。
「お風呂に入っちゃって」という女房の声を背に書斎に入る。
書斎と言っても、納戸だったところを電源を引いて電話、パソコンやコピー機、机を入れただけの3畳ほどの部屋だ。
仕事の相手が世界中とあって夜中にFAXや電話がかかることもあり、「うるさくて寝られない」と家族のブーイングで部屋が持てた。扉を閉めると自分だけの世界になるのでかえってよかったと啓介は思っている。
早速メールや書類の整理をする。
毎日何百と言うメールの中から必要な物を選ぶのが大変だ。
一旦削除しようとしたメールの中に、ひっかかる名前があった。
今度の商談の時アテンドをしてくれた観光ガイドで、チケットの手配やレストランの世話、スケジュール管理までしてくれた現地秘書のように頼りになる男からだった。
啓介はすっかり気に入り、これからも出張の時は頼もうと思っているのだ。
一通りの挨拶文の後、「・・少し気になることがありました。個人的に楽しんでいるサイトで見たのですが、これは啓介さんがこの前飲んだ時に話してくれた夢の言葉にそっくりなので・・・」
彼の示してくれたサイトに入り、気になったという問題のブログを見て、啓介は茫然とした。ショックが強すぎて体中があつくなり固まった気がする、ブログの文章を追う目だけが高速のように動き何度も何度も文字の上を行き来する。
心臓がその存在を示し、ドックンドックンと耳元で鼓動を感じる。
 
それはパリにあるビストロバーのホームページで、そこで働く「KEI」というバーテンダーが店の紹介をすると共に、自分日記のように書き込むブログも同時記載されていた。フランス語と英語表記になっている。
「・・・子供の時の最初の記憶ですが・・・・僕は叫んでいました。「Papa! ta main! main! ・・pas beau!」(パパ! あなたの手、手を! きれいじゃないよ)
最初「パ・ボーッ」て何だろう? と自分で使った言葉なのにわかりませんでした。
だって2歳半の子供でしたから。
ただ、パパが「KEI! KEI!」と僕を呼んでいるのは記憶にありました。
・・・逃げ惑う人ごみにもまれ一緒にしっかりつないでいたパパの手が僕の手から離れ、僕は必至だったのです。知っている言葉を並べ立てたのだと思うのです。後にパ・ボーとは、フランス語の「Ce n'est pas beau!」スネパボー「(それは綺麗ではありません)の「パ・ボー」ではないかと思いいたりました。パパからはぐれてしまった僕を育ててくれたモロッコの両親から離れパリに来た時、なんだか懐かしい感じがしたので、赤ん坊の頃フランス人が僕の周りにいたのではないか? と思ったのです」
 
啓介は目の前がぱっと明るくなった気がした。
_そうだったのか・・・_
「パパ! タ・マン マン ・・パ・ボー!」
今でも時折夢でうなされ聞こえて来る解らない言葉の意味が、今判ったのだった。
このKEIと言う人物は啓太郎に違いない!!
 
 
会社に入りたての頃パリに転勤となった啓介は、学生結婚していた妻と2才の啓太郎を連れていたが、妻は病気がちで子供を保育園に預けていた。
啓太郎を預けていた保育園のフランス人の先生たちが、子供たちが遊んで汚れた手を洗うとき、手が汚いわ」と言っていたのだろう。
「パ・ボー」と言う言葉、文章にはなっていなかったがその音を真似ていたのに違いない。
妻が入院することになり、啓介はパリから飛行機で4時間ほどの北アフリカのモロッコでの商談に仕方がなく子供を連れて行ったのだ。商談を終えカサブランカの街中を散歩していた。メディナ(旧市街)のスーク(市場)が立ち並んでいるところで事件が起こった。
過激派の自爆テロに巻き込まれてしまったのだ。
逃げ惑う人々。
啓介もまだ2歳半の息子啓太郎の手を取り抱きかかえようとしたとき、2回目の爆破音が鳴り吹き飛ばされた。
「パパ! パパ! タ・マン! マン! パ・ボー!」
啓太郎の声が何度も聞こえた。啓! 啓! 離れるな。パパはここだよ。
 
そう叫んだつもりだったが・・・
気が付いた時は病院のベットの上だった。
息子は? 啓太郎は?!
啓介はどれほど息子を探したかわからなかった。
だが、見つからなかったのだ。
おそらくその時メディナの中に迷い込んだ啓太郎は誰かに連れ去られていたのだ。
なんという事だろう。育ててくれたという両親が犯人だろうが、善意の第三者だろうが、啓介はもうどうでもよかった。
生きていてくれた。その感動が心を支配した。
啓介は探す努力をしなかった自分が恨めしかった。
100人以上の死者がいて、2度目の爆発で死んだとされた。
現地の警察の言う事を鵜吞みにした自分が情けない。
妻は息子の死が受け止められず、悲嘆が彼女の生気を奪い、パリの病院で半年後に死んだ。
啓介はその後、寂しさを紛らわすためにも必死に働いた。
社長が薦める見合いで結婚した今の女房との間に子供を二人授かり、日々幸せなのだと思う啓介だが、
その一方で心の奥底に常に啓太郎の声が響くのだった。
 
 
「啓太郎! お前はやっぱり生きていてくれたんだね。KEIと呼んでいた名まえも覚えていてくれたなんて・・」
啓介はパソコンの前であふれる涙をぬぐうこともできなかった。
いつの間にか女房が背後に立っていた。
風呂に入らない夫をたしなめに来て、背後から画面のブログを読んだのだろう。
 
「あなたが言っていた息子さんのことね。こんなに符号のぴったりくる言葉なんかあるわけないわ。きっとこの人あなたの息子よ。よかったわねあなた」彼女の目にも涙が光った。
娘たちは夢の兄貴が出来るとはしゃいでくれる。
「それも、英語もフランス語もペラペラの兄さんが出来るのでしょう? かっこいい~」
 
啓介は次の日にはパリに旅立った。
運命の糸に手繰り寄せられたブログの主を訪ねるために。
オルセー近くのビストロバーは直ぐに判った。
息子啓太郎は25才になっていた。
二人は会っただけで親子だとわかった。
感動の時、二人は一生その時を忘れない。
カウンターの向こうに立ち「パパ、何か作るよ」と言う啓太郎に、啓介は言った。
「君のママが大好きだったワインコブラ―を頼むよ」
「そうだったの? 僕もワインコブラ―は好きなんだ、カクテルの始まりって感じがするんだ。なんだか嬉しいね」
啓介は今からを始まりにしよう、と思った。
カフェテラスからセーヌ川が見える。
 
夕暮れ時のセーヌ川沿いを親子は二人長い空白の時間を埋めるように話ながら歩いた。
2才の時夕暮れの江戸川沿いを散歩したときのように。

 

ワインコブラー [WINE COBBLER]

 


▶︎【ワインベース】
春から夏にかけて少し暑くなってきたころ、のどを潤すのにピッタリ。コブラーとは、中型のゴブレットやワイングラスに砕いた氷を入れて季節のフルーツやミントを飾ってストローとともに出される夏のカクテルのこと。
ハリー・ジョンソンの『バーテンダーズ・マニュアル』1888年版によると、コブラーは当時アメリカ国内で大流行し、男性にも女性にも最も人気のある飲み物だったということです。 ストローで飲まれた最初の飲み物はコブラーであったであろう、とも言われています。

なお、シェイカーにはボストン、バロンなどいろいろな形があるのですが、われわれがよく目にするスタンダードな3つに別れるもののまたの名をコブラーシェイカーといいます。元々、コブラーを作るために生まれたものなのです。最近ではプロテインシェイカーなるものもありますが、新しく美味しいカクテルのためだけに新たな道具も発明されていくのですね。

 
▶︎レシピ
赤ワイン・・・・・・90ml
キュラソー・・・・・1tsp.
シュガーシロップ・・1tsp.
 
細かく砕いた氷をグラスに入れてから注いで軽くステア(軽くかき混ぜる)すれば出来上がり。レモンやオレンジの薄切りチェリーを入れてもよい。赤ワンを白ワインにしても爽やか。