その10 乙支文徳(ウルチ・ムンドク)と成功者の基準

西暦612年、113万の兵で高句麗を攻めようとしていた隋(中国)軍を、圧倒的劣勢にも拘わらず多彩な知略で撃退したことで韓国三大英雄の一人とされているウルチ・ムンドクは、この戦いの最中に敵将へ以下の詩を送ったことでも有名だ。
 
   神策究天文 (神のような策略は天の決まりごとを究め)
   妙算窮地理 (絶妙に計算された地の理をも窮め)
   戦勝功既高 (あなたの戦勝の功績は既に高いので)
   知足願云止 (足りるを知って止めることを願います)
 
この詩を送るに先立ってウルチ・ムンドクは高句麗王の命を受け隋軍に投降したと見せかけて、食料が乏しいことを探った後に脱出し、敵軍にわざと7戦7敗して自分達に都合の良い場所までおびき寄せていた。この戦略をある歴史家は「ウルチ・ムンドク主義」と呼ぶ。
 
「ウルチ・ムンドクよ。隋軍が113万で攻めて来たら
我が国はひとたまりもない」
「殿下、敵は王か私を引き渡すように言っております」
「人質ということか、私が行ってもお前が行っても我が国は終わりだ」
「私を行かせてください。名案がございます」
「分かった、お前を信じよう。好きにするがよい」
 
と言ったかどうかは分からないが、ウルチ・ムンドクの名はソウル市の中心部でウルチ路という大通りや駅の名前に使われたり、戦艦の名前や軍事作戦の名に使われたりと人気が高く、韓国に現存する最古の歴史書「三国史記」の偉人伝の中で2番目に出てくるほどの人物なのだ。
 
日本人から見たら、だまし討ちとも言える方法で戦いに勝った人物を、個人的には英雄だとは思えないのだが、韓国ではどのような手を使って成功しようとも、あまり悪く言われないのは確かだ。ちなみに現代の韓国における成功とは金持ちになること以外の何ものでもない。
 
 


乙支文徳(ウルチムンドク)