その5 歴代王好感度№1 世宗(セジョン)大王の偉業

15年程前、仕事で韓国を訪れる機会があり、ワークショップ会場と宿舎の往復をする送迎バスが必ず通る道があった。
ソウルに2年以上住んでから分かったのだが、その道とは光化門とその前の広場との間にある道だ。当時、光化門は撤去した旧朝鮮総督府跡に建設中で、工事中の大きな壁が見えるだけだった。
あの大きな壁が取り払われた今なら見える青瓦台(チョンワデ:大統領官邸)や、その後ろにそびえる美しい北漢山(プッカンサン)が見えなかったのは、ソウル市や韓国そのものにとって大きな損失だったろうに、朝鮮総督府への積年の恨みの方がそれに勝っていたようだ。
 
光化門が工事中の頃から前の広場には威風堂々とした銅像があることは知っていたが、有名な王様だということくらいで、特に印象には残っていなかった。
 
今なら知らないと恥をかくことになるのだが、この銅像こそ韓国で最も尊敬され1万ウォン札の肖像でもあるセジョン大王だったのだ。セジョン王の肖像は一枚も現存せず、銅像やお札の肖像は空想で描かれたものであるという。
 
セジョン王は三男で比較的温厚な性格だったとされるが、父のデジョン王は朝鮮王朝の初代王イ・ソンゲの五男で、八男を跡継ぎにしようとした父王に反乱を起こして腹違いの弟である八男を殺したり、野心を抱いていた四男を退けたりと、武勇伝に事欠かない人物だった。
 幼少の頃から本を読むことが最大の楽しみだったセジョン王は、兄王子達が自ら失脚した為22歳で王として即位した。
 即位2年後には集賢殿を作って若くて優秀な人材を集め、保守派の反対を押し切って新進派に訓民正音(現在のハングル)を作らせ、1446年に公布したことが最大の功績と言われている。
 
その他の功績として挙げられるのは、王立天文台・日時計・自動水時計・測雨器・火薬や火器の製造開発などだ。
 
当時の朝鮮王朝は高麗王朝の残存勢力がスパイとして入り込んだり、事大主義と言って大国に従属することで国を存続させようという空気があり、明(中国)の顔色を常に伺わなければならない状況で、ハングルの発明は明の支配から離れることを意味するため、他の発明品同様、極秘で開発せざるを得ないという事情があった。
 
文字に関して言えば、支配層の両班(ヤンバン)達だけが漢文を読み書きし、中下級官僚達は吏読(イドウ)という方法で漢字を朝鮮語として読んでいた。
 
当時吏読で使われていた漢字には、漢文を和読するために使っていたカタカナの原型と同じ字を始め、現在も日本で使われている漢字が在ることは興味深い。
 
例えば、「阿」「伊」「加」「多」「也」は、日本語のカタカナの原型漢字表にあるものと同じであり、この他万葉仮名やカタカナの原型漢字表にはないが、「家・可・佳・歌・価・暇(か)」「各・角・覚・閣(かく)」「羅(ら)」「卵(らん)」「略(りゃく)」「路・露(ろ)」「理・利・里・離・履(り)」「馬・麻(ま)」「幕(まく)」「萬・満・漫(まん)」(教育用基礎漢字一覧から)等は、韓国人が読んでも日本語の発音とほぼ同じになる。


セジョン大王:1万ウォンのデザインにも使われている