小説(三題話作品: 犬 梅 映え)

ネズミ退治 by ショウ

舶来のカードがトランプなら日本のカードに花札がある。一月が松の絵なら二月が梅の絵、三月は桜の花と続いて、月々に四季を表しながら点数をも意味している。何とも情緒あふれるカードなのだが最近はこれで遊ぶ人もめっきり少なくなっている。何しろお天道様の下をまともに歩けないなどという任侠の人が賭け事でオモチャにしていたのがこの花札。そんな所為でやはり庶民には評判も悪く、素人も手を出さなくなって来た。それでもその絵柄の美しさから外国では評判が良く、遊び方を知らなくとも持っている人をたまに見かける。

「お爺ぃちゃんどうして見せてくれないの」
と、五歳になった孫の桐子が幼稚園から帰ってくるなり部屋でお婆ぁちゃんのお下がりでお気に入りの紺のワンピース姿のお爺ぃちゃんに、花札を見たいと今日もせがんだ。
「お婆ぁちゃんがどこかにしまって、分からないんだよ。それより桐子、梅の実が成る頃だから見ておいで」
と、お爺ぃちゃんは言う。玄関先からお母ぁさんの、
「戻りますから」
と、桐子を幼稚園に迎えに行ってパート仕事に戻る声がする。その声に引かれるように桐子は玄関に走っていったが、お母ぁさんの姿はもう見えなかった。庭でお婆ぁちゃんがシカチョンと名付けた柴犬をくすぐってかまっていた。四季折々に咲く花が、来る春を今か今かと待っているように植え込まれた庭の片隅に季節の灯台のような梅の木があり、育ち盛りで未熟な梅の実が成っていた。
桐子はそれを見上げ、手の届きそうな実を一つ取った。それを見ていたお婆ぁちゃんの、シカチョンをかまう手が止まった。
桐子が梅の実を観察するようにじっと見つめる。
シカチョンは手を止めたお婆ぁちゃんの顔を物欲しそうに見上げている。桐子は相変わらず梅の実を見つめ、撫でたり嗅いだりと、梅干しに成る事の不思議さでも考えている風な目をした。その姿を見ていたお婆ぁちゃんが立ち上がって桐子に近づいた。桐子が梅の実を鼻から離しもう一度顔に近づけようとした時、お婆ぁちゃんの手が桐子の手を払った。梅の実が地面に落ちて転がりシカチョンの前で止まると犬はそれを口に入れ、ゴクリと飲み込んだ。

桐子はお婆ぁちゃんを一瞬見つめたが、いつもは優しい大きな目が鋭く細まり、眉間に縦しわを寄せたその形相に驚き、庭を駆け出して自分の部屋にこもった。
いつもは誰よりも優しいお婆ぁちゃんが、なぜあんなに怒ったのか分からないまま悲しくなり、いつの間にか寝入ってしまった。
夕ご飯の時間になり、
「どうしたの、お婆ぁちゃんが心配していたわよ」
と、桐子はエプロン姿の柔らかい声でお母ぁさんに起こされた。桐子は返事も出来ず、ただお母ぁさんの後ろに着いて行き、夕食のテーブルについた。五人はこれといった話もないまま食べ始めた。桐子は食べ終わると、お婆ぁちゃんの顔をちょっとだけ見たが、いつもの優しい顔に安心すると自分の部屋に戻った。

翌朝、いつもならシカチョンが食事をねだる声で、桐子を呼ぶように騒ぐのだが、今朝は静かだった。気になって犬小屋へ行ってみると、シカチョンはピクリとも動かなく、死んでいた。桐子の騒ぐ声で家族も驚きはしたが、父親が保健所に電話をし、処理してもらう事となり、それぞれの一日がはじまった。

桐子を迎えにお母ぁさんが来て、シカチョンの話をした。
「どうしてなのかはまだ分からないけど、元気出してね桐子」
と、言うお母ぁさんの甘い香りと声に桐子はただ俯いて頷くしかなかった。いつものように自転車の後ろに乗り、間もなく家の前に付いた。ここでシカチョンが尻尾を振って出迎えてくるはずだったが、桐子は物静かになったシカチョンと書かれた犬小屋を見つめるしかなかった。
お母さんは桐子を家の中に入れると、お爺ぃちゃんに声をかけ、いつものように仕事へ戻った。
桐子はお爺ぃちゃんの部屋に顔を出すと、ワンピース姿で将棋盤に向かっていた。
「どうだい、やるか?」
と、お爺ぃちゃんに誘われたが、桐子は力なく首を横に振り、自分の部屋に戻った。
壁のあちこちに貼ってあるシカチョンの写真を見つめていると又、悲しさがこみ上げ、目に涙があふれ、頬に一筋、流れた。花柄模様の小さなベッドに座り、何度も写真を眺めていたが、桐子はやがて俯せに寝てしまった。

桐子の部屋の窓のカーテンは引かれていなく、陽は西に大きく傾き、村の家々の陰が長くなっていく。
―― 桐子ぉ ――
と、桐子はお爺ぃちゃんの声を何度か夢の中で聞いたが、何度目かに目が覚め、本当に、
「桐子ぉ」
と、呼ぶお爺ぃちゃんの声に部屋の入口に目を向けた。
「桐子、そろそろお母さんが戻る頃だけど、迎えに出てみるかい」
と、寂しいだろう事を思うお爺ぃちゃんの声に、桐子は起きた。
「お母さんに電話をしておくから、行っといで」
と、お爺ぃちゃんに促されて桐子は表に出た。コンビニ店は家から見えるが一面に広がる家の前の畑道を通り小川を渡り、小さな商店の並ぶ中にあり、歩いても五分ほどでしかなかった。店に付くと、ちょうどお母さんが出てきた。

「きれいな夕日ね、見てごらん」
と、言うお母ぁさんに並んで、桐子が顔を上げると、西空の彼方に黒く聳える奥羽山脈の向こうに向かって太陽が沈みかけ、綿あめのような雲が光っていた。
時折切れる雲間から光の束が漏れ、黒い山脈の肌に光の柱を幾筋も作って映えていた。
桐子の見た事もない光景に、
「あ、お母ぁさん・・・」
と、桐子が叫んだ。
「どうしたの?」
と、怪訝そうに桐子を見るお母ぁさん。桐子は、
「あ、あの光る柱の中をシカチョンが昇っていく」
お母ぁさんにそれは見えなかった。
その日の夕食時。お婆ぁちゃんが、
「それでね、その梅の実がどこへ行ったのか探せなかったのよ。桐子が食べちゃったら大変でしょ」
するとお父さんが、
「まぁ、未熟な青梅は食わん方がいい。保健所の話だと、どうも猫いらず、らしい」


―― 了 ――