小説(三題話作品: おぼん ライン ほし)

盆の十五日 by 暁焔

 
 地球を離れる事、何千光年の彼方。
 宇宙の闇に浮かぶ人工の星。その辺境に作られた人工の街。
 そこでは、流れ、移ろう時さえも作り物。プログラムされた機械の太陽が、日毎に日照時間を変化させ、一年を通して四季を作り出している。
 故郷の星から測りきれぬ距離を隔て、数え切れぬ時を経た場所で作られる偽りの季節であっても、名称は変わらない。
 夏——。
 人工太陽の白い光は一年で最も強くなる。淀んだ色の海からは潮風が吹きつけ、打ち捨てられ、積み上げられた機械達に新たな錆の層を刻む。
 合金製の地面が強い陽光に、油を流した様な七色に反射を見せる。熱気は澱の様に淀み、暑気は物憂げに大気の中を漂う。
 行きかう開拓者たちの流れは、途切れる事も、果てる事もない。埃を舞い上げ、靴音を高く響かせる人の流れは、大地に開いた裂け目を前にして方向を変える。
 大地にぽっかりと開いた裂け目からは、宇宙船の船体が突き出している。黒灰色の塔を思わせる船体の表面では、火花と共に金属音が上がる。耳障りな軋むような音に、雑踏からの声が混ざり合って聞えた。
「あれが、例の?」
「ラインメタル社の……ねえ……。気の毒に」
「全員、墜落で死んだ。即死だったって言うじゃねえか」
「違うよ。墜落で死んだんじゃない。落ちてきた時には皆死んでたんだって」
「船内事故か?」
「いいや、襲われたんだと」
「地球じゃ名うての武器メーカーなんだろ? 武装はしてなかったのか?」
「ケチったんじゃないのか? 辺境宙域運搬船だしな」
 行き過ぎる者達の口に上る噂は、おおむね正しい。
 底のない裂け目から聳える黒い塔と見えたは、その実、長大な長さを誇る宇宙船だった。地表へと衝突し、金属の大地に大穴を開けたものの、船体自体の傷は少ない。
 胴体部の横腹に描かれた「Rheinmetall」のロゴは、製造元である地球の重工業メーカーのもの。ドイツと呼ばれる国で、まだ人が星を見上げるだけだった時代から銃器を製造してきた老舗である。
 裂け目の左側、第二宇宙港へのゲート側には、担架が並べられている。それぞれに、白く厚い布地がかけられ、およそ十数名ほどの乗員を襲った運命を如実に物語っていた。
 だが、船体に残る傷は大小多々あるものの、その全ては墜落時に出来たもの。
 通り過ぎる者達からは、宇宙船本体の陰になって見えないが、船体上部には駆逐艦クラスの重武装ユニットが搭載されている。直方体が幾つも組み合わさったユニットの内部の記録を調べれば、数発の空間歪曲弾が発射されている事も明らかになるだろう。
 小型のブラックホールを生み出し、着弾した対象を消し去る超兵器は、開拓資材の運搬を主要任務とする船には『ケチった』どころか『過ぎた』代物だ。
 武器を使った記録はあっても、船体には墜落時以外の傷はない。
 下から届く噂話が聞えたのか、船体の中程、ちょうどラインメタルのロゴのある位置で作業をしていた若い男が顔を上げた。
「なあ、おやっさん。何でこの船落ちたんだ?」
 問いかける声に応じる様に、上方でモーターが耳障りな音を立てる。
 落下防止の黄色いハーネスに身体を預けた壮年の男が、少しだけ作業位置をずらして左に動いた。
「事故だよ。わかんねえのか」
 額から左頬にかけて傷が走る皺深い顔を、見上げる様に問いかける相手に向けようともしない。
 そっけない言葉に、若い——まだ幼さも残る——男の顔が不満そうな表情を浮かべた。
「事故で武器使うのかよ? 誰に襲われたんだと思う? 海賊か? それとも……」
「うるせえ野郎だな。墜落ん時の傷以外に、船に損傷あるか?」
「でも……おかしいじゃねえか。この船、外壁は傷いってるけど、フレームは歪んでねえよ? 発見された時はシステムも生きてたんだろ? じゃあ……対ショック制御もできた筈だ。なのに……」
 ちら、と視線が遺体を乗せた担架へと向けられる。
 明日から始まる事故の処理に先立ち、宇宙船の解体工程の目安を付ける為、事前調査を行うのが二人の任務でだった。船外の破損調査に先立ち、船体内部の調査は既に終えている。墜落時に相当のショックはあったようだが、船室も操縦室もほぼ無傷だった
 船体が余程頑丈なのか、それとも、ぶつかり具合が良かったのか。どちらにせよ、彼が言う通り、乗員員全員が衝突の際に死亡した、とは思えない状況である。
「……墜落で死んだんじゃねえよ」
「じゃあ、余計にわかんねえよ」
 ふう、と小さな溜息、ついでまたハーネスが緩められるモーター音が上方から響く。壮年の男の小柄な体躯が、疑問を浮かべる相手に少し近づいた。
「お前、日系……いや、日本人だよな?」
「なんだよ、いきなり。見りゃわかるだろ。この肌とこの眼……」
「だったら、親から聞かなかったのか。『盆に船出すな』って」
「はあ? なんだそれ?」
「ニッポンって国がお前ら日系移民の故郷……ルーツなんだろ?」
「そうだけど……。それ、地球の上での話だろ?」
 遥か遠い昔に先祖が飛び立って後にした星と、その上にある国家をルーツ、と言われた所で実感など湧く筈もない。不審そうな相手を、壮年の男の灰色の瞳が射抜く様に見据えた。
「いいから聞け。お前らの国にはな、『盆』とか『お盆』って言われる行事があったんだ。丁度……この8月にな」
「行事……って、どんな?」
「お前と同じ日本人の男から聞いた話だ。8月の13日から15日の間、死者があの世から此の世に戻ってくるんだとよ。その霊を迎えるのにあれこれ祭りをしたっていうぜ?」
「死者……? 霊?」
 男の言葉を、相手がもう一度繰り返す。唐突に出てきた単語の違和感を口の中で転がして消そうとしているかの様で。
「ああ、そうだ。『盆』には死者が戻ってくる。それだけじゃねえ。色々と怪しい事が起こるって信じられてた。あれをしちゃいけない、これは控えろってタブーが幾つもあったんだとよ。その一つが……『船を出すな』ってことだ」
「へえ……でも、それって海の船の事じゃねえのか?」
「元々はそうだったんだろうな」
「今は違うのか?」
 じろ、と灰色の瞳が再び相手の顔の上に向けられた後、眼下に広がる宇宙港の雑踏へと向けられた。
「海に船を出すなんてのは、もうずっと昔から、どの星でもやってねえ。それでも…」
 空行く船でも、船は船だ、と呟きながら、目の前の船体を工具で叩く。ハンマー状の工具が外壁の金属と打ちあう澄んだ音が、眼下に広がる雑踏と海に向けて落ちていく様に響いた。
「盆に船を出すと、亡者が乗った船と行き逢う。『船幽霊』って言ったらしいがな。そいつに行き逢った船は、海に沈められるんだ」
「幽霊が船を? どうやって?」
「夜の海で突然、船が動かなくなるらしい。そこへ亡者を乗せた船が近づいてくるんだ。その頃の船には……柄杓っていう道具があってな。なんていうか……コップに長い棒が付いた様な形で、水を汲むのに使ったらしいが。幽霊船の亡霊は、その……柄杓を寄越せって言うんだとよ。おっかねえからって言われた通りに渡しちまうと、もういけねえ。その柄杓で船の中に海の水を汲み入れられて、沈められる。だから、その頃の船は底の抜けた……穴の空いた柄杓を用意しといたんだ。『船幽霊』に行きあったら、その穴空き柄杓を渡して、難を逃れた。この『船幽霊』ってのが……盆の終わりの日には必ず出る。だから、8月15日には、絶対に船を出しちゃいけなかったんだ。この船……落ちたのがいつか、覚えてるか?」
 あ、と男が小さな声を上げる。船が此処に落ちたのが二日前。まさに8月15日の夜だった。
「待てよ、おやっさん。じゃあ、この船……」
「行きあったんだろうな、死者の載った船……『船幽霊』ってやつに」
 壮年の男の声が海からの風に乗った。その沈んだ調子とは裏腹に、聞いている若い男からは笑い声が上がった。
「参ったな……。おやっさんはリアリストだと思ってたのに。そんな迷信を信じてるとは思わなかったぜ」
「おめえは信じねえって言うのか?」
「だから……いつの時代の迷信だよ、それ。船は船でも、これ、ラインメタル社の最新鋭運搬船だぜ? 水なんかどっから入れるんだ。第一、宇宙空間にゃ水どころか、空気もねえのに。そもそも……柄杓だっけ? そんな道具、地球でも博物館にしかないだろ?」
「信じねえなら信じねえでいい。だがな、オレにこの話を教えてくれたのは、他でもねえ宇宙船乗りだ。そいつだけじゃねえ、この星の周りの宙域を飛ぶ船に乗るヤツは皆『船幽霊』を信じてるんだ」
 先程から少しずつ傾き始めていた太陽は、更に高度を下げている。もうしばらくすれば、陽光は暮光へと色を変えていくだろう。
 話している間に作業を終えたのか、年かさの男の方は、話しながら工具を腰のベルトへと片づけ始めている。
「宇宙船乗りの連中が……?その『船幽霊』ってのを……?まさか、だろ』
 迷信、と一蹴しかけたものの、それでも実際に宙域を飛ぶ船乗り達も信じている、と聞かされば、半信半疑ながらまだ話を聞こうと言う気になったらしい。
「おめえの言う通り、柄杓なんて道具はもう使ってねえ……どころか、残ってもないだろう。あった所で、宇宙には水もねえしな。だが、宇宙に出る『船幽霊』はそんなもん寄越せとは言わねえ。その代わり……『通信ラインを繋げ』って言いやがるんだ」
「通信ライン?」
「何もない、星しか見えない真っ暗な宇宙を飛んでるとな。ぼろぼろの船が近づいてくる。何年、どころじゃねえ。何百年、ひょっとすると千年は経とうかっていう古い船だ。そいつが近づいてくると、こっちの船が動かなくなる。エンジンにも、システムにも何の異常もないのにな。で……近づいてくるボロ船から通信が入るんだ。『ラインを繋げ、ラインを繋げ』ってな。それを聞いて、通信用のラインを繋いだら……それで終わりだ。船は亡者にやられるのさ。だから、もし宇宙で『船幽霊』に行き逢ったら、『空(から)の通信ライン』を使って返事をするんだ」
「なんだ、その『空の通信ライン』って」
「船に積んでる通信システムは予め、送信と受信の両方が可能な周波数帯が決めてあるだろ? 『空のライン』ってのはな、システムから送信はできるが、受信はできない周波数の事だ。大概は超超短波の光か、超超長波の電波だ。勿論、最初からシステムにそんなもんが設定されてる訳じゃねえ。通信を改造して、用意するんだよ。これなら、こっちからのメッセージ送信と、向こうからのメッセージ受信は別々の通信ラインでする事になるからな」
「……もし、同じラインを使って通信したら?」
「どうなるかって? 見せた方が早い」
 ハーネスに支えられた男の身体がゆっくりと、下へと降りていく。裂け目の上方へ突き出されていた作業テーブルに足を付けた後、ハーネスが外れる。階段を下りて行く小さな背中の後に、もう一人の若い男が続いた。
「見てみろ。これでも……。与太話だって思うか?」
 乗組員たちの遺体を乗せた担架は、作業場から30mほど離れた場所に並べられている。一番右端の担架の傍らに膝を突いた男が、かけられていた白い布をゆっくりと取り払う。
 背後で、もう一人が短く息を呑む音が響いた。
「宇宙には水はねえ、ってさっきお前が言ったよな? じゃあ……これはなんだ?」
 夕方の暑気を含んだ空気に、塩水と腐敗臭が立ち上る。
 男が捲り上げた白い布の下から覗く遺体の顔は、真っ白にふやけ、膨れ上がっていた。まるで、溺死した後、死後何日間も水の中に浸かっていたかの様に。
「『船幽霊』とラインを繋いだらな。こうなるんだよ。あいつらは……どこだろうと、溺れさせて沈めるんだ」
 そう呟く男の声が、風に乗り、空へと運ばれた。