ショートショート(三題話作品: いのしし 紅白 どん)

声 by 夢野来人


「頑張れ~」
その声はどこからともなく聞こえてきた。
振り返るが、誰もいない。そう、いるはずはない。こんな秘境に人などいるはずがないのだ。
そもそも、なぜ俺はここにいるんだ。それに秘境と感じるのはなぜだ。
「頑張れ~」
まただ。いったい俺に何を頑張れというのだ。
まずは、整理しよう。俺は誰だ。何言ってるんだ、俺は俺に決まってるじゃないか。じゃ、名前は?
ちょっと待てよ、俺の名前はなんだ。文雄だったような気もするが、久志だったような気もする。西郷どんでないのは確かだ。
では、ここはどこだ?
俺はここを秘境と感じている。とにかく暗い。暗過ぎて、まわりの景色がほとんど見えない。
いやいや、ほとんどというか、何も見えないじゃないか。
しかし、寒くはない。ということは、標高の高いところではないな。
かといって暑いわけでもない。赤道直下でもなさそうだ。
「頑張れ~」
まただ。もうやめてくれ。と、その時であった。やめろ、やめろ、俺を引っ張るのはやめろ。強力な力が、俺を吸い込もうとしているようだ。
ダメだ、抵抗することができない。吸い込まれていく~
 
「よく頑張りましたね。可愛い女の赤ちゃんですよ」
産湯に浸かり、用意されていた紅白のリボンのついた肌着を着せられた。どうやら俺は女だったようだ。
病院の外は賑やかだ。正月らしく獅子舞の音が聞こえてくる。
「正月に生まれるなんて、めでたい子だな」
「そうね。きっと獅子舞の大好きな女の子になるわ」
「獅子舞?」
「そうよ。そしてこう言うの」
「何て言うんだい?」
「楽しいのししまい…」
 
おしまい