小説(三題話作品: いのしし 紅白 どん)
昔語り by Miruba
「これでこの土地ともお別れだな」
生まれ育った田舎だが、今は誰もいない古い家と土地を処分し、墓じまいも済ませた。
自分自身もう先はそんなに長くない、そう思い、また子供たちの要望もあり、お墓を今住んでいる都会の霊園に移すことにしたのだ。
亡くなった旦那のほうの先祖もその霊園に眠っている。
雪代は山頂付近に止めた車の中から十年ぶりに戻った故郷の小さな集落を見下ろした。
孫の幸が「おばあちゃん、もう行っていい? なんだか降ってきそうだから、ホテルに戻ろうよ」と聞いてきた。
「悪かったね、付き合わせて。もう車を出しておくれ」今にも降ってきそうなどんよりとした空を雪代も眺めながら言った。
だが、ものの5分としないうちに雨ではなく雪が降り始めた。
カーブの多い山道にどんどんと降ってくる。
「やだぁ、九州ってあったかいんじゃないの? タイヤ、雪用じゃないよ~」孫の幸が不安そうにつぶやく。
「積もりゃしないよ、にわか雪だろうよ」雪代は呑気にそんなことをいう。
ゲリラ豪雨で被害の多い最近だが、雪も例外ではなく、パラパラとしか降らなかった昔からすると、連山のある山付近では、突然雪国のようにどかどかと雪が降る事があるのだ。
急な坂道で少しハンドルを取られそうになった幸が「おばあちゃん、やばいわ、その先の横道に入って雪がやむのを待とう」
しかし、雪は一向に止む気配はなかった。人も車も全く通らなかった。
携帯は圏外になっている。
車のナビも辺鄙な山なので大まかな道筋しか出てこない。
横道の先に行ってみることにした。ゆっくりゆっくりと車を走らせる。
重い雲のせいですっかり暗くなりかけてきたのに、雪の反射でぼーっとした景色が不安を誘う。
「おばあちゃん、ここら辺は知らないの?」
「山を越えたからね。わかんないよ」そう困った顔をした雪代が、「あっ」と声を出した。
「あぁ、ここは同級生のえっちゃんが嫁いでいった村だわ、この先に大きな木があるよ。お地蔵さんが置いてあるの。
そこからまっすぐ行くと、えっちゃんの家があるから、行ってみよう」
雪代の言う通り、大きな栗の木があって、その幹の根元のところに頭巾とよだれかけのお地蔵さんが見えた。
よく見ると帽子やよだれかけに木々の雨だれがかかり赤い色が脱色されて紅白の縞々に見える。
お地蔵さんの足元には何本もの鎌が置いてあった。
錆びてボロボロになったものや比較的新しいものまで何本も積んでる。鎌の御利益があるのだろうか?
苔むしていて古くからあるお地蔵さんのようだ。
そこを通り過ぎて、しばらくなだらかな坂を行くと、大きな田舎家があった。そのさらに先の遠くには車の通る道も見える。
「やった、車の通りだ、これで安心」
幸は、ほっと胸をなでおろした。
雪代は80をいくつも過ぎているのに、滑りそうな雪道を踏みしめながらもちょこちょこと急ぎ足で田舎家に入っていった。
「えっちゃ~ん、こんばんはぁ、元気しとった?」
「え~~?! ゆきちゃんじゃなかね~ほんなこつ懐かしかぁ!!」
女学生の頃に戻ったかのように二人で抱きあわんばかりに喜んでいる。
幸は自己紹介をし、雪で動けなくなった状況を説明した。
「ホテルに電話して、よかったらうちに泊まってくれたらよか」
明日には溶けるかもしれんばってん、今動くのは危なかよ」
そういわれて、えっちゃんのお言葉に甘えることにした二人だった。
雪は小降りにはなったが、止む気配はないのだ。
勤め先から帰ってきたえっちゃんの息子さん(と言っても幸からしたら60を過ぎたお爺さんだが)と、4人で鍋を囲んだ。体が温まる。
雪代はえっちゃんと昔話に花が咲いた。
えっちゃんの息子さんがお酒ですっかり赤い顔になって会話に参加して、賑やかだった。
「で、あっちの山から下りてきたってか? イノシシに遭わなくてよかったな。この間も農協の田助さんちゅう人の車に、イノシシがぶつかってきて、廃車寸前って。相手は保険に入っとらんもんでね。泣き寝入りたいな。たまらん」
えっちゃんも、
「それに地蔵さんのところは<雪おんな>がでるけん、気をつけんといけんよ」
「え~? イノシシに<雪おんな>なんか出るんですかぁ? あはは」
幸はつい、疑わしそうな笑い声を出した。
「でるとよ」
息子さんが急に真面目な顔をして話をつづけた。
「大昔からこの地で伝え聞いとる話やけんね、おまけにうちのひー爺ちゃんは実際<雪おんな>ば見たことがあるとよ。あれは何時頃だったかな? 母ちゃん」
するとえっちゃんがいやいやと首を振りながら、
「私が嫁に来るウンと前けんね、10歳か・・・いや14,5の頃の話って聞いとる。どっちにしてももう70年以上も前の話たい。ここら辺では有名な話ばってん、雪ちゃんは、知らんかもしれん。山むこうやったしね、私たち。それにほら、雪ちゃん、中学3年の時東京に転校したたい」
えっちゃんの息子さんのひー爺ちゃんとなると、つまりはえっちゃんの義祖父にあたる喜助さんの話だという。
珍しく降り続いた雪に、畑の隅の小屋に保存していた野菜が心配になった。小屋が壊れていたからだ。
朝から小屋を修理して、自宅に帰るところだった。
思いのほか時間がかかりすっかりあたりが暗くなってきた。
暗いのだが雪明りで森がぼーーっと陰影をつけて見える。
雪がシンシンと降り続き、お地蔵さんの横を通った時だった。
白いものがゆらゆらと動いていた。
喜助さんは、昔語りの<雪おんな>のことは子供の頃から聞いてはいたが、そんなもの迷信だと思っていた。
だから、白兎かな? と思って目を凝らした途端、その白いものがぱっと振り向き、白い顔をチラリと見せ、何かつぶやいた。
雪景色の中、頭から真っ白の翻る着物の中にさらに真っ白の透き通る顔がありこの世の者とは思えなかった。
「出た!」喜助さんは、驚きのあまり後ろに倒れ、腰を抜かしそうになったが、やっとの思いで立ち上がり一目散に逃げた。
えっちゃんの旦那さんが、その時のひー爺さんの形相をおぼえていて、生前何度も話してくれたという。
「いやはや、上着がはだけてどん腹だして、道具も放り出してすっ飛んで帰ってきたって、大騒ぎになったらしか」
<雪おんな>を目撃した次の日はもういくらか暖かくなり雪も緩んだので、喜助爺さんとえっちゃんの旦那さんがお地蔵さんのところに行った。
本当は行きたくなかったそうだが、倒れた時に、喜助さんは買ったばかりの鎌を落としてしまっていたからだ。
「すると、ひー爺ちゃんが落とした鎌がな、お地蔵さんの足元にちゃ~んと置いてあったげな。それからここらでは、毎年新しい鎌をお供えすることになったとよ」
「へ~~そうなんだ」と幸が感心していると、祖母の雪代が息を殺して笑っている。そして、あえぐように言った。
「それ、それ、その<雪おんな>私よ!」
「えええぇ!!」今度はみんなで驚いた。
雪代には年の離れた弟がいた。病気がちで結局7つの時に亡くなったが、その弟が度々ひきつけを起こした。
病院に行っても芳しくなく。大人たちが「西洋の薬は大したことなか、てんかんにはユキノシタの生葉のしぼり汁が一番たい」
とぼそぼそ話しているのを耳にした。
山の向こうのお地蔵さんの裏山には良いユキノシタがある、というのを学校で隣村の同級生から聞いて、いてもたってもいられず取りに行くことにした。
ところがあいにく雪が降ってきて、寒くて仕方がない。
コートを着てくればよかった、と思ったが学校帰りにそのまま来たので何もない。
たまたま家庭科の授業で使うテーブルクロスを数枚、班長だった雪代が預かって持っていたので、それを頭からかぶった。
お地蔵様の裏には大きく奇麗なユキノシタの葉があり、必死に集めた。
ふと、人の気配を感じ、振り返ったら、お爺さんがすごい顔をして立っている。
雪代はその顔に驚き、無断で採ったらいけないのかと謝ろうとした。
「あの・・ごめんなさ・・・」雪代が言いかけたが、
お爺さんがすごい形相のままひっくり返り、急いで飛び上がったかと思ったら、慌てて走り去った。
「私がテーブルクロスを頭からかぶってたもんで、お爺ちゃん、勘違いしたとかもしれんね。鎌が落ちていたけん、お地蔵さんの足元にわかるように置いておいたとたい」
雪代はときどき笑いながら話した。
「なんてこった! ひー爺ちゃんが聞いたら、またひっくり返るごたる話したいな」
えっちゃんもえっちゃんの息子さんも、大笑いしていた。
昔語りの<雪おんな>の話は、それからもその地方に伝わったままだという。