小説(三題話作品: いのしし 紅白 どん)

足跡 by Miruba

「奥様、ご主人様のこと、まことにご愁傷様でございます。これから葬儀の準備のほうに移らせていただきますが、その前に役所のほうに死亡届を出さないといけません。お医者様からは死亡診断書をいただいていますので、ご主人の住民票を取り寄せいていただけますか?」

「あの……住民票はないのです」
 葬儀屋は表情を変えず、
「そうですか、では戸籍謄本でも抄本でも運転免許証でも結構ですが」
「いえ……あの……どこなのかわからないのです。運転もしませんから」
 さすがに眉根を寄せた。すぐに警察がやってきた。
 葬儀屋から連絡がいったのだろう。


  15年ほど前、私の経営する小料理屋にふらりとやってきた彼と、最初から気が合った。漂う哀愁のようなものに共感ができた。彼も私と出会った頃の私の印象を同じように例えたりした。
 しばらくして、彼は私の部屋にころがり込んできた。店の表には出なかったが、裏方としてはとてもよく働いてくれた。だが、時々昔のことを聞くと、「仕事に行くから」と言っては、数か月家を留守にした。
 そんなことが数回続いて、私は彼に何も聞かなくなった。2度結婚に失敗している私は、結婚願望はすでになく、それでも寂しいので誰か傍にいてくれればそれでいいと思っていたのだ。
 その後も時々数か月いなくなるのだが、「仕事に行ってきた」と言っては生活費のお金はまとめて入れてくれた。仕事の内容が気にはなったが、犯罪の臭いはしなかった。……と思うのだが……。

 普段は健康な人で、病院にかかったこともなかったのだが、脳溢血であっという間に死んでしまった。

 「奥さん、まったく知らないってことないでしょう? おかしいでしょう? 普通聞きますよね? どこの誰だかわからないって、変でしょう。ご主人、というか内縁の夫というか、お名前本当の名前だったんですか? それだって怪しいですよね?」

 何度警察に責められても、わからないものはわからなかった。
 「主人は、どこの誰だったのでしょう? 私のほうが聞きたいのです」

 結局行方不明者のリストをあたっても見つからず、死亡に関して事件性はないというので、主人は無縁仏として扱われ、私は無罪放免となった。15年も前から、裏方とはいえ、私の店にいることを常連さんはみんな知っていたし、「仲が良かったみたいだ」と店の従業員も言ってくれたのだ。

  遺影の写真に語り掛ける。「あなたはいったいどこの誰?」
 私は主人の荷物をひっくり返してみたが、彼の身分を示す、手掛かりになるようなものはなかった。着ているものも持っているものも、みんな私が知っているものばかりだ。

 財布の中に、前回3,4か月ほどいなくなった時の切符が入っていた。
_倉吉?_ えっと、倉吉ってどこだった? 私はネットで検索をした。鳥取県か……。
 行ってみたくなった。主人は倉吉で何をしていたのだろう? 誰かと会っていたのだろうか? 私の知らない女性と暮らしていたのなら、その人にも彼の死を教えてあげなくてはいけないだろう。

 倉吉の駅に降り立った。だが、どこに行けばいいのかわからない。とりあえず街中を歩いてみる。
 市内には打吹玉川地区というところがあって土蔵が多く、白壁土蔵の街として知られているようだ。紅白の垂れ幕があり、なにかイベントが催されていてたくさんの観光客であふれていた。


 赤瓦という土蔵の並び『南総里見八犬伝』のモデルの地ともいわれているらしい。雑貨屋さんで主人の写真を何枚か見せてみたが、知っているという人には出会えなかった。


 尋ね歩いても無駄に時間が過ぎるばかりだ。すると一軒の雑貨屋のおばあさんが、「あ、高橋さんに似てるね。そう、高橋さんだ。確か足美術館の庭師をしているんじゃなかったかね」という。
 主人は高橋という名前ではないが、私の店にいるときも時々造園会社のアルバイトに行っていたことがある。足立美術館か……。

 花や紅葉のない季節だが、美しい庭園の足美術館。まさに庭が芸術だ。
 

 ここで主人は働いていたのだろうか? 庭の手入れをしている人に聞いてみたが、足美術館に入る庭師は身分のしっかりとした人だけだという。だが、「そうだ、山下造園さんの下請けの人の中に、似た人がいたような気がする」と主人の写真を手に取って話してくれた。

 1925年に松江で最初に建てられた鉄筋コンクリートのビルと言われる大正レトロの出雲ビル。 現在は、カフェや革製品の店などが入るテナントビルとなっている。このビルの裏通りに、山下造園さんの下請けの花屋菜園という会社があった。
「ああ、高橋さんだね。一時期応援に来てもらっていたけれどね。腕もいいからね。社員寮に入ってもらって、随分長い間来てもらったが、身分証明書の提出がなくてね。臨時っていっても、大きいところは身分証がいるからね。で、結局来なくなったよ。確か松江に行くとか言っていたね」


 ……住まいが社員寮では女性の姿はなさそうだ……松江か……。 
 ここまできたのだ、神頼みではないが、出雲大社に行ってみることにした。
 大国主大神(おおくにぬしのおおかみ)がまつられ 神在月(神無月)には全国から八百万の神々が集まって神議が行われるという。そのような神集への信仰から、江戸時代以降は出雲の縁結びの神様として全国的な信仰を集めるようになったといわれる。しめ縄が本当に立派だ。外国人も沢山参拝していた。主人もここには来たのだろうか? 主人と私も縁結びの神が引き合わせてくれたのかもしれないが、気まぐれな幻の縁だったのかもしれない。


 一日中歩き回り移動して、疲れた私は有名だという出雲そばを頼んだ、白玉のぜんざいも頼む。主人が好きだったのだ。陰膳だが、お店の人にはあとで連れが来ると言って、悪いが二人分用意をしてもらい、食事後、仕事で来れなくなったみたいと言って謝った。


 15年、いったい私は彼の何を見ていたのだろうか? 笑顔や寂しそうな顔や頼りになる顔など、その時々の顔をふと思い出していまさらながら涙が出る。嫌がられても、もう少し聞いてあげればよかった。



 そういえば財布の中に他にも切符があった事を思い出した、川跡から松江まで行く『しまねっこ号』だ。乗ってみる。ピンク色の可愛い列車だ。松江に向かった形跡が確かにあるのだ。電車の中にはあみだくじのような線がある。この旅が「当たり」なら良いのに。
 

 松江城は、島根県松江市殿町に築かれた江戸時代の城。別名・千鳥城ともいうそうだ。天守は国宝、城跡は国の史跡に指定されている。桜の季節が最高だとのことだが、その時期に主人と来たかったなとつぶやく。
 

 松江城の堀川めぐりをした。


武家街「塩見縄手」


小泉八雲が通ったという城山稲荷神社


耳のない狐
 

 その日の夜はホテルで泊まり、有名だというイノシシ丼を頼む。美味しかった。彼も食べただろうか? つい考えてしまう。
 

 次の日、武家街を再度歩いていたら、なかに小泉八雲記念館があったので寄ってみる。主人の遺品の中に、パトリック・ラフカディオ・ハーン=小泉八雲の『和解』という本があった事を思いだしたからだ。
 

 記念館の中には来客用の記念帳があった。私は記念帳をペラペラとめくってみる。そこに、主人の名前を見つけたのだ。

 鳥取にある養護施設の名前があった。なにを思ったのか住所まで書いてある。そして、そこには私の名前も連名で書いてあったのだ。

「なんで……私と_和解_できないじゃないの。ばか」
 私は主人の字を見つめ、涙した。

 すぐに鳥取のその養護施設を訪ねてみたが、主人が定期的に施設に手伝いをしに来ることと、庭師のアルバイトをしたお金を寄付をしていることが判かった。
 施設長さんやスタッフの人たち、そして居合わせた子供たちもともに、主人が亡くなったことをとても悲しんでくれた。子供たちが泣くのにつられ、私はまた悲しさがこみ上げた。
 だが、施設長さんも、主人の本当の名前も住所も知らなかった。おそらくどこかの施設育ちなのだろう、そして無戸籍だったのではないかと教えてくれた。

 主人の足跡をたどったが、結局彼がどこの誰なのかはわからなかった。他の女の姿も見つけられなかった。
 それでも、私のところを最後に選んだことだけは間違いのないことだ。

 今でも、主人がふらりと戻ってくるのではないかと思ったり、逆に、あの主人との15年間は小泉八雲の世界のように、私の夢の中の出来事ではなかったのかと思ったりするのだ。