小説(三題話作品: いのしし 紅白 どん)
初詣に出会った男 by Miruba
「今年ももう終わるわね」
NHKの紅白歌合戦を見ながら、好美がつぶやいた。
年越し用の趣味のそば打ちをしながら、オープンカウンター続きの台所で大輔が大きめの声を出す。
「なぁに? 聞こえないよ」
「なんでもないわよ~」
好美は3個目の蜜柑に手を出して、好きな歌手の歌に聞き惚れた。
「そば食べたらさ~初詣行かない?」
紅白歌合戦が終わり、大輔の作ったそばを食べながら『ゆく年くる年』のお寺の鐘をきいていた好美が思いついたように言い出した。
「そうだね、去年は好美が風邪ひいたし、おととしは俺がインフルエンザやったし、ここの所寝正月だものね」
二人は厚着をして、背中にホッカロンを貼って、出かけた。
好美は実家がキリスト教で幼児洗礼だが、教会には復活祭とクリスマスの時にしか行かないし、大輔は結婚式の時に、好美両親の希望に合わせて教会に行ったが、実家は仏教の真言宗だ。
しかし、初詣と言ったら、やっぱり神社だろう。節操がないと言えばいえるかもしれないが、八百万の神を信仰する文化を持った日本人の宗教感覚は元来リーズナブルなものなのだ。
近くの神社をお参りし、参道を埋め尽くす屋台をひやかして、社務所のはずれを歩いていた。表の参道は賑やかなのに、裏通りはぐっと静かだ。
「帰ろうか」
どちらともなく話していたら、鳥居の足元の石にしがみついている男がいる。変な人だと、通り過ぎようとして、その男の荒い息遣いが聞こえてきた。
「大丈夫ですか?」
好美が声をかけたが、苦しそうにするだけで返事をする余裕もないようだ。二人はただならない様子に救急車を呼ぶことにした。
救急隊員に一緒に来てくれと言われたが「通りすがりの者なので」と断った。後で話を伺うかもしれないからと名前と携帯の番号を聞かれた。
「新年早々人助けしちゃったね」
と好美がいう。
「後で電話なんかされても困っちゃうけれど、あのひと、なんともなければいいね」
と大輔。
緊張が解けたせいか小腹のすいた二人は参道の屋台に戻って、たこ焼きやらトウモロコシなどを買って食べた。
鳥居をでて、公園通りを歩き、林にさしかかったとき、二人の前にひょっと人影が現れた。
「お会いできてよかった、先ほどはありがとうございました」
と言うではないか。
街灯の明かりに現れたのは、救急車に乗せられた男だった。
「え? もう大丈夫なんですか?」
二人は同時に聞いていた。男が言うには、貧血を起こしやすい体質で、一年に数回だか倒れてしまう。心臓も弱く声も出せなくなるので、大抵周りの人が心配して救急車を呼んでくれるが、救急車に乗って病院に着くかつかないかで収まってしまうという厄介な病気を持っているとのことだった。
「でも用心なさったほうがいいですよ」
という好美に、
「お二人にお礼をしたいので、是非家に寄ってください。自宅はこのすぐ近くなので」
と男が、屋台で買ったアニメキャラクターの絵の描かれた大きな袋に入った綿飴を好美に差し出しながら、にこやかな顔で言う。断るのだが、どうしてもお礼をしたいと言ってきかないので、「では少しだけ」と、その男の後について行った。
林のはずれにある細い道に入っていく。
_こんなところに道あったかなぁ_大輔はちょっと首を傾げた。
男の言う通り、5分もしないで大きな門構えの家に辿り着いた。
「大きなお家ですね。この市に赴任して3年になるんですが、林に隠れていて、ちっとも気が付きませんでした」
と大輔が言うと、男が、
「大きいだけで古い家でね、住みにくいですよ。皆さん、ここに家があることは気が付かないことが多いですよ、ただ、気づく人は気づきますけれどね」
と、ニヤッと笑った気がした。
好美はちょっと気持ち悪くなって
「あの~すみません。せっかくですが、私の両親が来る時間なので失礼していいですか」
大輔は_なにいってるの?_と怪訝な顔をしたが、すぐに察知して、
「あぁ、そうだったね。うっかりした。すみません、お礼なんて頂いた綿飴だけで十分です。もう深夜だし、失礼します」
男が「ちょっと……まって……」と呼び止める声を背中に受けて、二人はそそくさとその場を立ち去った。
ところが、たった5分足らずだった来た道が、いくらたっても出口がないのだ。
「ねえ、まだあの林の道の出口がみえない、変じゃない?」
好美の声が震えてきた。
「おっかしいな~間違えようもないよね」
大輔も不安な声になった。
さっきの分かれ道で間違ったのだと思い、引き返して戻ったつもりだったが、林独特の木々の間に漏れる光のようなものが、今や森のように真っ暗となり、全く視界がきかなくなってきた。不安から小走りになった二人だったが、あわてて木の枝に足を取られ、ドンっと二人して倒れこんでしまった。
「好美大丈夫か?」
大輔が起き上がりながら、好美の手を引っ張った。
「大丈夫よ。草の上でよかった。全然痛くないよ。でも、綿飴の袋、つぶれちゃったわ」
腐葉土なのか、発酵したような臭いがするが全体に柔らかい地面だ。ふわふわとした腐葉土に足を取られそうになりながら道を急いだ。
ふと、周りが明るくなってきたのを感じた。新年の朝日が昇ろうとしているのかもしれない。
「ああ、よかった、これで道がわかるわね」
好美が笑顔で大輔のほうを見ると、大輔は口をあんぐりと開けて、一瞬呆けたように見えた。
「どうしたの?」
「ここ、とんでもないところだ」
とつぶやいたと思ったら、好美の手をぎゅっと握り強く引っ張った。
「なによ、痛いよ!」
と、その手を離そうと一歩後退したとたん、好美はまた倒れた。そして、地面についた手の感触で、気が付いてしまった。
大輔と好美が腐葉土だと思ったふわふわした地面は、累々と横たわるイノシシの死骸だったのだ。二人はその上を歩いていたのだった。
「ぎゃーーーっ!!」
二人は身の毛のよだつ思いを振り払うように走った。気が付くと、またあの大きな家の前に立っていた。男が笑顔で迎えてくれる。
「戻ってきてくれたんですね、うれしいな」
違うのだと説明しようとする二人に構わず、
「まあまあ、落ち着いて、コーヒーでも飲んでいってください」
男は聞いているのかいないのか、二人の訴えには興味を示さず、玄関を入っていった。
大輔も好美も、とにかく明るい部屋の中に居たくて、男に続いた。明るすぎるほどのシャンデリアの照明が広々とした居間を照らし、ヨーロッパの田舎を思わせる暖炉には、暖かな炎と薪のはじける音が心地よい。つきっぱなしのテレビから、新年のバラエティーの賑やかな声が聞こえるだけで、二人は安心できた。男の出してくれたコーヒーが美味しく、ほっと息をついたのだった。
少しして、改めて、森での出来事を話したとき、男の言葉に二人は再びぞっとした。
「私がみんな殺したんですよ。おそらくそのせいで祟りに遭っているのですよ。なんとか慰霊碑でも建てたいんですがね」
好美は何時炬燵からソファーに座ったのか覚えていなかったが、体中が痛くて目が覚めた。横を見ると、大輔も隣で眠っている。つけっぱなしのテレビから新年のご挨拶とバラエティーの声が賑やかだ。
「いやだ! あなたまで、こんなとこで転寝して……なんだか嫌な夢みちゃったわ」
と好美が言うと、眼をこすりながら大輔も
「え? 俺もだよ。当分牡丹鍋食べられないな」
と言って立ち上がると、そこに潰れた綿飴の袋があった。
「ヤッダーッ有り得ない、ありえない!」
と好美が真っ青になって騒ぐ。
その後二人はイノシシの死骸が大量に遺棄されている場所を探したが、林のすぐ傍と思ったその場所は実際は15kmも先の山の中だったことが分かった。市役所と警察に届けた。不法投棄で調べているという。警察には、夢の話はしなかった、どうせ信用されないだろうと思ったから。
驚いたことにあの時見た大きな家も形はあったがすでに廃墟になりかけていた。そこの主人が狩猟を趣味にしていて、猟友会に入っていたわけではなく、ただ殺すために猪猟を勝手にしていたようだ。ここ数年で家族が次々に事故や病気で亡くなり、まったく人づきあいがなかったという。その男はすでに昨年病院で突然死していたことが分かった。
「じゃあさ、あの初詣の時会った男の人は死んでたってわけ? じゃぁさ、暖炉の炎やシャンデリアの光って、なんだったわけ? ね、あなたもコーヒー飲んだよね? あれなに?」
好美はまたも恐ろしがるので、大輔は、ネットで賛同者を募り、あの夢の男の望んだイノシシの慰霊碑を建てることにした。
携帯が鳴った。大輔が出ると、あの男の声だった。
「本当に何から何まで、ありがとうございました。これで私も安心して眠ることができます。さようなら」
好美は教会に行くし、大輔も親戚の法事などでお寺に行く。お正月には神社にも参拝する。そして今では、イノシシの慰霊碑にも年一回はお参りするようになった。