新作噺(三題話作品: 生 入道雲 ウイルス)

お勉強 by 網焼亭田楽

 

「おい、よたろう」
 「なんでございましょう、だんな様」
 「今年の梅雨は長いねえ」
 「いえいえ、長いのは麺の方でございまして、つゆは長いとか短いとかは言いません」
 「誰がソーメンの話してんだよ。違うよ違う。梅雨だよ梅雨」
 「あたいは濃縮タイプよりも、ストレートタイプの方がお好きです」
 「だから違うって言ってんだろ。季節の話だよ。ほら、春と夏の間にあるのはなんだい」
 「ええと、春と夏?」
 「そうだよ。その間にあるのは」
 「『と』の字でございますか」
 「どんどんややこしくなっちゃってるね。いいかい。もう少しシンプルに考えよう。寒い冬から桜の咲く暖かい春が来るだろう」
 「あー、そう言えば今年は花見をやっておりません」
 「そうだな。いつもなら桜の咲く季節、おっきな桜の木の下で、生ビールをこうグイッと……違う違う。そうじゃないんだよ、よたろう」
 「というと、熱燗の方で?」
 「違う違う」
 「あっ、冷酒!」
 「だから違うんだよ」
 「いやあ、だんな様」
 「やっとわかったかい」
 「花見にワインは合いません」
 「いいから、一度お酒から離れなさい。春が来ると次に来るのは暑い暑い夏だ。でもその前に、ジトジト長く雨の降る季節があるだろう」
 「ああ、ああ。うめあめ!」
 「そうかい、そうかい。よたろうは梅雨のことをうめあめって読んでたんだな。それじゃあわからなくても仕方がないね。梅に雨と書いてつゆと読むんだよ」
 「いやあ、そんなこととはつゆ知らず」
 「何言ってんだい」
 「では、梅が『つ』で雨が『ゆ』ですね。あたいもつぼしは好きですし、きりゆなんてのも風情がありますよね」
 「なんだい、つぼしって」
 「おにぎりに入れる酸っぱいやつ」
 「そりゃウメボシだよ」
 「えっ? 梅干しは、つぼしではなく、ウメボシなんですね。じゃ、きりゆは?」
 「お茶か何かなのかい」
 「いえ、霧の雨と書くやつですよ」
 「霧雨のことかい」
 「今度は、『ゆ』じゃぬくて『さめ』と読むんですね。あたいにはちょっと難しすぎます」
 「そうだな。漢字にはいろんな読み方があるからな。よし、今日は漢字の勉強をしようじゃないか」
 「誰が?」
 「おまえさんだよ」
 「いつ?」
 「今からだよ」
 「なぜ?」
 「今時、梅雨って漢字も知らないようでは、バカにされちまうだろう」
 「はい。あたいは結構な頻度でバカにされております」
 「何だよ。難しい言葉も知ってるじゃないかい。しかし、自覚があるなら、少しは勉強しようじゃないか」
 「わかりました、だんな様」
 「よし。それじゃあ、梅雨つながりではじめようか。『梅雨前線』と書いて何て読む?」
 「つゆまえせん」
 「惜しいがちょっと違う」
 「うめさめぜんせん」
 「おっ、近づいて来た。そうだよ、何かの線なんだよ。天気予報で聞いたことないかい」
 「全然わかりません」
 「そっちのせんになっちまったかい。ちょっとむずかしかったな。これは『ばいうぜんせん』と読むんだ」
 「だんな様」
 「どうした、よたろう」
 「頭の中に入道雲が湧いて来ました」
 「ちょいと難しかったかなあ」
 「では、漢字の勉強はこれでお開きということで」
 「何勝手にやめようとしてるんだい。でも、よたろうに難しい漢字は似合わないかもしれないね。じゃ、いっそ外国語の勉強でもしてみるかい」
 「イエス、オーケー」
 「ほほう。漢字よりは興味がありそうだね。それでは手始めに各国の『はい』を勉強しようじゃないか」
 「イエス」
 「そうそう、英語ではイエスだね。じゃ、中国語では何て言うか知ってるかい?」
 「お知りになりません」
 「いいかい。中国語では『是』と書いてシーと読む」
 「だんな様」 
「なんだい、よたろう」
 「漢字はご勘弁を」
 「そうかい。じゃ読み方だけでいこうじゃないか」
 「助かります」
 「韓国語ではイエ」
 「はいがイイエなんですか」
 「違う違う。短くイエだ。わかったかい、よたろう」
 「イエ」
 「何だかわかったんだかわかってないんだか微妙な雰囲気だな」
 「イエ」
 「いいよ、いいよ。じゃ次はフランス語だ。フランス語ではウィ」
 「ウィ」
 「おっ、うまいじゃないか、よたろう」
 「ウィそれほどでも」
 「いやいや、なかなか良い発音だ。こらから返事をするときはフランス語にするかい」
 「ウィそうすることにします」
 「そうだな。勉強には遊び心も必要だ。ちょっと遊んでみようか」
 「ウィどうするんで?」
 「たとえば、好きな飲み物は何かと聞かれたら?」
 「ウィ好きー」
 「おっ、いいね。じゃ、パソコン勧めるなら」
 「ウィ、どうぞ(Windows)」
 「虫食いだらけの木というのを調べたければ?」
 「ウィ木ひでえや(Wikipedia)」
 「なかなか、やるねえ。それでは、最後の質問だ。良く考えて答えなよ。よたろうは何考えているかわからないところがある。それは、きっと頭の中がみんなと違ってるからだよな」
 「ウィ」
 「問題は、どう違っているかだ」
 「ウィ」
 「まさか、脳みそさんがどこかへ出かけちまってるってんじゃあるまいしな」
 「ウィ」
 「どこかにいっちゃってるなら。不在だよな」
 「ウィ」
 「ほらほら、誰もいないんだよな」
 「ウィ」
 「そういうの、何て言うんだい?」
 「ウィ?」
 「何だい。ちょっと難しかったかな。ひょっとすると、よたろうの頭ん中は誰かに乗っ取られちまってるのかもしれないな」
 「ウィルス!」
 「こりゃ、PCR検査が必要だ」
 
 お後がよろしいようで……
 
皆さま、どうぞ新型コロナにはお気をつけて、落語はリモートでお楽しみいただければと存じます。