第5回 八大地獄案内2
八大地獄案内の後編です。
4、叫喚地獄
ここでは獄卒(鬼)が牛頭馬頭以上にパワーアップします。
牛頭馬頭ではなく、金色の頭をして、眼の中から火を放つ、赤い衣を着た鬼です。この鬼は手足が長くて、風のような速さで走り、大声で罪人を追い詰めます。罪人は、鉄棒で頭を殴られて、熱い鉄の地面を走りまわらされたり、熱い鍋で繰り返し炙られたり、お茶を煎じるように煮られたりします。また、金はさみ(やっとこみたいの)で口をこじ開けられ、熱く溶けた銅を流し込まれます。内臓が全て焼け爛れて、肛門から銅が流れ出る、とされています。
5、大叫喚地獄
詳細な記述は「往生要集」にはなく、叫喚地獄の十倍の苦しみを受ける、と書かれているだけです。
6、焦熱地獄
名前の通り、凄まじい炎や熱で責められる地獄です。
この地獄で燃えている炎は豆粒ほどの大きさでも人間世界を焼き尽くしてしまうほどの業火で、この地獄の炎を前にした罪人には、等活地獄から大叫喚地獄までの地獄で燃えている炎が、霜や雪にすら感じられる程、とされています。
罪人は、熱した鉄の上に寝かせ、同じく熱した鉄の棒で身体を打ち砕かれたり、熱した鉄の釜やなべの中で焼いたり、煮られたりされます。更には、お尻から頭までを鉄の串で串刺しにされ、業火で満遍なく焼かれる、という刑罰も行われています。
刑罰自体は、叩いたり、焼いたり、と奇抜なものではありませんが、炎の凄まじさが特徴的な地獄です。
7、大焦熱地獄
大叫喚地獄と同じく、「往生要集」に詳細な記述はなく、焦熱地獄の十倍の苦しみを受ける、とされてます。
但し、この地獄に落ちる罪人は、地獄にやってくる前から、恐ろしい姿をした閻魔王の配下の獄卒に連れまわされ、無量百千万億無数という、無限に近い年月の期間、燃え盛る炎と既にこの地獄に落ちた罪人達の苦しむ声を延々と、見せ付けられ、聞かされることになります。その上で、獄卒から「お前は地獄の声を聞いただけで、こんなに恐れているが、実際に地獄で炎に焼かれることはもっと苦しいのだぞ」と脅しつけられてから、実際に大焦熱地獄へと送られます。ホラー映画の予告編で、恐怖心を煽るようなものでしょうか。
8、無間地獄(阿鼻地獄ともいう)
最下層の地獄。先に記した通り、この地獄に落ちるのは他の地獄とは比べ物にならないくらいの罪を犯した罪人です。責め苦や刑罰もとんでもなく苛烈で、この地獄にいる罪人から見ると、他の地獄が天界のような素晴らしい場所に思える、とされています。
罪人は、地下深くにある阿鼻地獄まで、二千年間落下し続けて到達します。そして、落下していくの間にも、地獄から聞こえてくる声を聞かされ続け、恐怖心を煽られます。
阿鼻地獄の中心になるのは阿鼻城、と呼ばれる広大な城です。縦横が8万由旬(約100万〜130万km)もあり、七重の鉄の城壁と、七層の鉄の網で囲まれ、下には十八の隔壁を備え、刀で出来た林が周りを取り巻いています。
城の四隅には、銅の身体を持つ巨大な犬がいます。稲妻のような目、剣のような牙、刀の山のような歯、鉄の棘のような舌を持ち、体中の毛穴から猛火と、悪臭を放つ煙を出す地獄の猛犬です。
他にも、城内には十八人の獄卒がいます。この獄卒は羅刹の頭と、夜叉の口、六十四の目を持ち、鉄の塊を噴き散らしています。鉤のように曲がった牙が上に突き出し、その牙の先端から噴き出す炎が、城内に満ちていて、頭上には、十八本の角を持つ牛の頭が八つ付いていて、角からはやはり炎が吹き出ています。
七重の城壁内には、七つの鉄の旗が立っていて、その先端から迸る炎が城内を満たし、四つの城門の敷居の上には、八十の釜が並べられ、沸騰した銅が湧き出て、城の中に満ちているといいます。
十八の隔壁のひとつひとつの間に、八万四千匹の鉄の大蛇がいて、毒と火を吐き出しながら、城内に溢れています。大蛇達は万雷のような声で吼え、大きな鉄の塊を雨のように城に降らしています。蛇の他にも、虫もいます。その数、五百億匹で、一匹につき、八万四千の嘴があるといいます。嘴の先からは、火が流れ出し、やはり城内に雨のように降りそそいでいます。この虫が降りてくると、地獄の炎が高く燃え上がり、地獄の苦しみが全て集約されるのです。
東の遥か彼方では、広い鉄の地面から業火が吹き上がり、罪人をろうそくのように骨の髄まで燃やしています。炎は東からだけでなく、四方から吹き寄せるので、罪人は常に炎の塊となって、受ける苦痛は休みなく続きます。
また、この場所では、獄卒達が、罪人の口の中から舌を抜き、百の鉄釘で張り伸ばしていたり、溶けた銅や熱い鉄の塊を口から注がれたり等の、他の地獄で行われていたような刑罰も行われています。
おわりに
地獄の案内いかがでしたしょうか?
普通の旅行ガイドと違って、是非行ってみたくなった!と思われた方は少ないかもしれませんね。^^;
昔の人は、死後の世界、とくに地獄については多くの知識を持っていたようです。お寺などに収蔵された地獄絵図が子どもの教育に用いられ、こういう悪いことをすると地獄に堕ちて、こんな酷い目にあうと、事細かに教えられてきたそうです。現在では、そんな残酷な図を小さな子どもに見せるのはいかがなものか、とか、地獄なんて非科学的だ、などの考えもでてきたのでしょう、地獄絵図も一般にはほとんど見られることはなくなりました。
しかし、初七日、四十九日、百箇日の法要などが、いまでもこれらの考えを元に行われていることもご理解いただけたことだと思います。いまでも、日本人の死にあたっての葬儀,法要という儀式にこうした考えがいきているのです。日本人の死生観が育まれて来た土壌として知っておいて損はないでしょう。
では、つぎにお会いする時は、ぜひ天界にて。
合掌。