小説 カルチェラタンの思い出 by Miruba
「おはよう、朝だよ起きなさい」
耳元でムッシューのささやく声が聞こえた。
私は布団の中でまどろみながら、体の手足を伸ばす。
でも、急に力いっぱい伸ばしてはいけない。若い時と違ってすぐに筋をおかしくしてしまうのだ。
「今足を伸ばすからね、腰の筋肉と背中の筋肉、伸びてね。それから今度は腕よ」
全部の筋肉に声をかけてからぐっと背伸びをする。最後に手首足首をぐるぐる回して、指を広げたり丸めたりするのだ。
「あ? 気持ちがいい」そう声を出して布団を思い切り撥ね退けてベットに起き上る。
古いベットがギシギシと音を立てた。
中央暖房なので冬でも部屋は暖かいが、ベットから降ろした足の裏が、フローリングの床でヒヤッと感じる。
私はベットメークをしてから急いで着替え、洗面所に行き、歯を磨いて顔を洗い髪をとかし、少しだけリップを付けた。
キッチンに向かう。
「Bonjour、Monsieur!」私は声をかける。
冷凍庫からパンを出してオーブンで焼き、コーヒー専用の機械でカプチーノを作る。
焼きたてのバゲットが食べたいな、と思うが、朝出かけるのが億劫になっている。
「ムッシュー、私も年なのかしらね。いやになるわ」
ラジオのノスタルジージャポンの音楽を聴きながら、テレビのアンテンヌ2(ドゥ)にもスイッチを入れる。
両方を適当に流し聴きしているのだ。
トーストを食べ終わらないうちに玄関インターフォンのベルが鳴った。
インターフォンの向こうから声がする。
「おはようマダム。井藤ですよ、お願いします」
「え? 今日は水曜日ですよ、予約は明日ではなかったですか?」
「あらやだ、間違っちゃった。でも、せっかく出てきたからお願いできない?」
全くこのひとはいつも強引なんだからなぁ。仕方がない。「どうぞ」と言ってしまう。
彼女を誘い入れるためにマンション玄関扉のロックを外すスイッチを押す。「ガチャ」っとインターフォンから音が聞こえる。
井藤さんは玄関を入ったようだ、50世帯はあるこのアパートに2台しかないエレベーターで、出入りの激しい朝の時間帯に私の部屋がある16階まで来るには、少し時間がかかるだろう。
私は、朝食のテーブルをそのままに、サロンに行く。
居間をマッサージ室にしているのだ。
マッサージ台に新しい大ぶりのタオルを敷く。
アロマを炊いて部屋に微かな木の香りを漂わせる。
クラッシックが好きな井藤さんのためにCDをかける、ボリュウムは小さく。
玄関のベルが鳴った。
「ごめんなさいね?」ちっとも悪びれる様子はなく部屋に入りながら、一応言う。
「いいえ、今日はどのようになさいますか?」
「全身をお願い。エステもお願いできる?」
「はい、わかりました、ではお着替えを」
井藤さんはうつぶせになって私のマッサージを受けている。あー最高などと言いながら、自分の会社の話などをしていた。
「まったくフランス人ってどうしてあーなんだろ・・・・」
たいして興味はないが、話を聞いてあげるのも仕事の内だ、適当に相槌をうつが、時には的確な意見を言わないとご機嫌斜めになるので、少しも気を抜けない人ではある。それでも私がマッサージの仕事を始めた最初からのお客さんなのでもう10年の付き合いだ。
「ねえ、ムッシューが死んでから何年になる?」
「3年ですね」
「早いわね? あなた日本に帰らないの?」
「帰っても遠い親戚だけですから」
「今度、いい人紹介するわよ。ほんといい人なのよ。あなたにも損はないと思うわ」
「いえ、私はもう年ですから、それに・・」
「何言っているのよ、まだ人生半分でしょうよ。これからよ」
井藤さんが何かをやろうと思ったら必ずやり遂げるのだ。拒絶しても、無理だろうな、と私はため息をついた。
井藤さんが帰って、予定していたもう一人のお客さんの足マッサージをしたら、お昼を過ぎてしまった。
私は朝食の時のままのキッチンに戻り、焼きそばを作って食べた。
お昼はいつも焼きそばかラーメンだったムッシューの好みがいつの間にか私にも移っていた。
午後になって日差しが暖かくなってきた。
私はメトロで3駅離れたガンベッタ駅を降り、ペールラシェーズ墓地に出かける。
ペールラシェーズは世界で最も有名な墓地の一つかもしれない。
年間20万とも30万ともいわれる人々が、フランスの文化や歴史に名を残した人々の墓に参るために訪れるというのだから。
俳優のイヴ・モンタン、サラ・ベルナール
歌手のエディット・ピアフ、マリア・カラス
作家のオスカー・ワイルド、バルザック、詩人のアポリネール
画家のコロー、スーラ、ダヴィッド、アングル、ドラクロワ
作曲家ではショパン、ビゼー、ロッシーニ
などなど、数えきれないほどの有名な歴史的人物たちの名前が並ぶ。
その中に、パリで亡くなった最初の日本人とされる佐賀出身の野中元右衛門という人の墓もある。
1867年のパリ万博に出展する佐賀藩の派遣団の一員として随行して来た元右衛門は、パリ到着のその日に急死してしまったという。
未知の国パリを訪れ、パリを見ずに死んでしまったというのだ。人生は本当に皮肉なものだと思ってしまう。
私は歩き慣れた道をゆっくりと通る。観光客も歩いているようだが、お墓参りに来た人ともすれ違う。遠くに車の通る音もするが、なんといってもその広さ43ヘクタールあるのだそうで、43ヘクタールって、どのくらいあるのか想像もつかない。
とにかくパリの街中にあるのにとても静かで、墓地の中で遭難しそうなくらい広いのだろうと思ったりする。
ペールラシェーズはラシェーズ神父という意味だそうだ。
「ペール」は神父のこと・椅子のことを「ラ・シェーズ」ともいうので、私はずっと神父の椅子のことだろうと思っていたが、ただの人名だと教えてくれたのもムッシューだった。
この地に、私の愛したムッシューが眠っている。
ムッシューと出会ったカルチェラタンの冬から、すでに15年が経とうとしている。
墓は大きくはない。でもいつも花に囲まれている。
私がいつもたくさんの花を持ってくるから。
「ムッシュー、こんにちは。今朝私を起こしてくれたでしょう?ありがとう。
お蔭で、ほら、あなたも知っている井藤さんのマッサージができたわ。
じゃなきゃ彼女が来たときまだベットの中だったと思うの」
手を合わせていたら、後ろから声が聞こえてきた。
「あの、失礼ですが、写真を撮らせていただいていいでしょうか」
日本語だ。
「はい、かまいませんよ」といって、横に退こうとして、私はバランスを崩し、倒れそうになった。
声の主が私の肩を持ち支えてくれた。と同時にガチャっと何かが落ちて割れた音がした。
「ぎゃ、しまった! やっちまったよ?!」声の主が哀れな声を出した。
私の両肩に支えられた力強い手とは反対の情けない声で、つい笑ってしまう。
「ごめんなさい。私のせいで何か壊れたのでしょう? 申し訳ないわ。でも、あなたが泣きそうなお声を出すので、つい」
「いいんですよ。俺が急に声をかけたからいけないんです。安物のデジカメなんですが買ったばかりだったもので、つい声が出ちゃっただけです。命より大切なこいつは、こいつってカメラですけどね、首からかけてますから大丈夫です」
声の主は、地面に転がった私のカンヌブランシュ(白い杖)を拾って私に手渡してくれた。
「そのまま貴女にモデルになってほしいのです。横顔を取らせていただけませんか?」
それならと、私はムッシューの墓前で祈りを続けた。
「お墓はお知り合いのですか?『ムッシュー』って先ほど声が聞こえちゃって」
「ああ、はい、亡くなった主人のお墓なのです。もちろんちゃんと名前はあるのですけれどね、知り合った時に18も年上だったのでムッシューって呼んで、そのままずっと、なんとなくあだ名のようにムッシューで通してしまいました。一回くらい、ちゃんと名前呼んであげればよかったわ」
モデルになってくれたお礼にお茶をご馳走したいというそのカメラマンと、ガンベッタ駅前のロータリーにあるいくつものカフェの一軒に入った。
冬でもテラスに座れるように入口に電気ストーブがついている。
私たちは冬の優しい太陽の光を浴びながらテラスに陣取った。
目が見えなくとも、日差しだけは感じることができるので、その方向に顔を上げる。すると、横でカシャカシャとシャッターを切る音がした。
「止めてください、恥ずかしいわ」
「だって素敵ですよ、ね、もう一枚」
この強引さって、マダム井藤に似ているわ。私はそう思うとおかしくてクスッと笑ってしまう。
するとまたカシャカシャという音がするのだ。
話をしていたら、彼が私と同じ故郷の出だということが分かった。なんと隣町だという。おまけに3つしか年齢も離れていないという。
私のほうが年上だったが。
学校は違ったが、遊んだところは一緒だった。買い物に行った店も同じだったりして、その人々の噂話で話が弾む。
「どこかですれ違っていたのかもしれないね」「いえ、きっとすれ違っていたのだわ」
同じ時同じ場所で過ごした懐かしい思いは私達から遠慮を取り除き、話は尽きなかったが、冬の夕暮れは早い。
送ってくれるという彼だったが、さすがにそれは断った。まだ知り合ったばかりだ。
「そうだね。無神経ですみません。」
意外に上手にサポートしてくれる彼の腕を感じながら、駅まで一緒に行き、ホームでお礼を言い合い別れた。
アパートに戻り、部屋のスイッチを入れる。
目の見えない私には必要ないのだが、ムッシューのいた時の癖で、夜はライトをつけることにしている。
キッチンに入り「ただいま、ムッシュー」とテーブルに立ててあるムッシューの写真に声をかける。
だが、おかえり、というムッシューの声は聞こえてこない。
聞こえようもない。
私は突然寂しさがこみ上げてきた。
とっくに枯れたかと思われた涙が溢れとめどなく流れる。
「ムッシュー! なんで死んだの? あなたが『一人にしないでくれ』と叫んだから私は死の淵から戻ってきてあげたのに、私を一人ぼっちにして逝ってしまった。ひどい。なんで死んだのよ、ばか」
15年前ムッシューに逢いに日本から来た私は、待ち合わせをしていたカルチェラタンで事故に遭い、それが原因で目を傷めた。最初はいくらか見えていたが2年後にはすっかり見えなくなっていた。
ムッシューがいたおかげで、今の私がある。だが、心の支えのムッシューは脳溢血であっという間に亡くなった。
私にほとんど看病もさせてくれなかった。自分が死んだら目を私にと言ってくれていたのに、血管の切れた箇所の予後が悪く、ムッシューの優しい思いは実現しなかった。愛しい人。
私はムッシューの写真を抱きしめ、胸は張り裂けそうになった。
この3年で一人ぼっちにはすっかり慣れていたはずなのに、誰かと懐かし話をしただけで、こんなにも人恋しくなるものだろうか?
私はワインを開け、グラスにも注がずラッパ飲みをする。
早く酔いたい。酔って判らなくなってしまいたい。
寂しさに体が震えていた。
携帯メールの着信音がした。
はっと気がつく。いやだ私ったら、泣き疲れて寝ていたのか・・
別れ際メールのアドレスだけは教えたので、昼間出会ったカメラマンからだとすぐに分かった。
メッセージの文章が、機械的な女性の声で聞こえてくるようになっている。
文字が見えなくても大丈夫なのだ。
お礼のメッセージが入っていた。
「今日は本当にありがとうございました。また、お話しできたら嬉しいです。パリにはしばらく滞在しますからよかったら電話をください」
ムッシュー、どうしようか?
「いいじゃないか、お話ししておいで」
ふと、ムッシューの声が耳元で聞こえた気がした。
Photo:Mr. Takao
Photo:Mr. Takao
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