小説 ルイ・ブライユの散歩道 by Miruba

パリの空は相変わらず曇りだ。
体にまとわり付く空気で天気がわかる。
私はアロマテラピーとリフレクソロジー・フットマッサージのサロンを自宅アパートでやっている。


常連のお客さん井藤さんが更衣室から出て、ソファーに「よっこらしょ」と言いながら座る。
会計の前に日本茶を出す。
オベリスクのそびえるコンコルド広場近くにある日本の和菓子屋「虎屋」のどら焼きを半分に切ったものを添える。
一緒に住んでいたムッシューが始めてくれたサービスだが、お客さんにも好評なので、今でも引き継いでいる。




「どら焼きなど昔はパリに売っていなかったから自分で作ったものだけれど、最近の人は楽よね」
いつものように「美味しいわ」と言いながら、ひとくさりの井藤さんだ。


「ありがとう、さっぱりしたわ。またお願いね。来週も予約していこうかしら土曜日にいい?」


「マダム井藤、ごめんなさい。その日は親戚の子が日本から来るので・・・金曜日ではいかがですか?」


「じゃ次の月曜にして。あら、あなた親兄弟はいないって言わなかったっけ」


「遠い親戚なんです。死んだ母の従姉妹の旦那さんの実家のお兄さんの奥さんの<はとこ>の姪御さんだとかで、修学旅行ですって」


「あらま複雑。修学旅行が欧州なわけ?今時の子って贅沢。
それでなに、娘がパリに行くから世話してくれって、突然親戚扱いしてくるってやつね?」


井藤さんらしい辛らつな言い方が可笑しい。


「パリに暮らせば、誰でも経験することよ。さて、仕事に戻るかな。じゃ来週ね」


だが彼女の説も一理あると思う。


今まで全く付き合いが無いのに、30年前母の葬儀の時に顔を合わせたからといって、_フリーの時間が一日あるから付き合って欲しい_と母の従姉妹が電話で頼んできた。
その電話だって初めてかかってきたのだ。
ムッシューと暮らし始めて、「挨拶の葉書」を出した時には返事も来なかったのに。


どうやら、旦那さんの親戚筋に当たるので「私に任せて」と見栄を張ったのだろうと感じた。


おまけに、私が20年近く前に視覚障害になったことさえ知らず、_目が見えなのです_と言うと一旦は断ってきた。
だが当の姪御さんが「目が見えなくても平気、むしろその方がいい」とのことで、再度依頼の電話があったのだ。
_むしろその方がいい_とは、どういう意味か?余程断ろうかと思ったが、
「あなたのお母さんの小さい頃はよく遊んであげたのよ」と思い出話などされては言い訳も出来ず、しぶしぶ引き受けた。






母の従姉妹の旦那さんの弟さんの・・・あら、兄さんだったかしら・・・ま、いい、その女の子が宿泊しているホテルのロビーに居た。
カルチェラタンにある高級ホテルだ。ムッシューとロービーでお茶を飲んだことを思い出す。


白い杖を持っていることが目印なのですぐにわかるだろう。


ところが約束の時間になっても現れない。携帯番号を教えてあるのだが。
フロントに日本人学生の団体のことを聞いてみようと椅子から立ち上がろうとした時、鼻をくすぐる良い香りがした。
ムッシューのつけていたオー・デ・コロンと一緒だわ、そう思ったが、気配を感じた人は意に反して女性の声だった。
最近は女性の間でも男性用のコロンをつける人が居るというから不思議ではないが、なんとなく3年前に亡くなったムッシューを思い出し切なくなる。


「失礼ですが、斉藤さんの叔母さんですか?目がご不自由だなんて存じませんでした。私は斉藤さんの担任の横井といいます。実は姪御さんが怪我をしまして、病院に付き合っていただけませんか?」


正確には叔母ではないが、そんなことは言っていられない。横井先生に誘導されてタクシーに乗った。


日本からイタリアに入国しローマ帝国やルネッサンスの勉強をした後パリに入って、3日間パリに滞在した後ユーロスターで移動しイギリスから、日本に帰国する行程なのだと先生が説明してくれる。


「5つのグループに分けて分科会で勉強して歩いていたのですが、斉藤さんの参加していたグループがスリ集団に遭いまして、
引率していた同僚の先生は身の危険を感じてバックを手放し盗られてしまったのですが怪我は無くて、
斉藤さんはバックを放さなかったので、引き摺られて肘の所を7針ほど縫わなくてはいけないそうなのです。
それでお身内のサインが居るのだそうで。私も初めてのパリ旅行なので管理が行き届きませず、申し訳ありません。あ、でも・・サインって」




先生は本当に申し訳なさそうに謝ってくださる。
私は身内といわれてもピンとこず、かといって他人面も出来ない。
「サインくらい出来ますから大丈夫です」と私が先生の心配を打ち消す。


アメリカンオピタルに着く。
大きな病院なので、横井先生は、引率の先生がどこに居るのか聞いてくると言うので待っていた。
一緒に行きましょうかと申し出たが、英語が通じそうだから大丈夫という。
とはいえ言葉が通じなかったのかずいぶん待たせられたのに戻ってきた先生は、
「すみません、この病院ではないそうです。本当にごめんなさい。同僚の先生が連れて行ってくれたので間違いました。オピタルトノンという病院だそうです」


なんということだろう。その病院ならまったく方向が違う。3年前に亡くなったムッシューのお墓のあるペール・ラシェーズに近いのだ。


携帯が上手く繋がらず、例年修学旅行間に病人が出た場合使う指定病院のアメリカンオピタルと思ったと言い訳をしている。
先生達の携帯は古いのかしら。
ふと、どこからか、またあのコロンの香りがした。


紆余曲折あり、私はやっと遠い親戚、母の従姉妹の旦那さんの実家の兄さんのお嫁さんの<はとこ>の姪御さんとやらに会えた。


「こんにちはおばさん。知恵です。心配掛けてごめんなさい。」


低めだがしっかりとした声が聞こえてきた。
私は「いいのよ」と答えながら、怪我の様子などを聞いた。
存外に大事無い様子で、ホッチキスの様な器具で7箇所傷を留めた後テーピングでカバーしてあるだけだという。
ほっと胸をなでおろす。引き受けた以上責任を感じるからだ。


フリーの日は明日だが、ホテル迄送るからという条件で私のアパートに夕方まで連れて行くことにした。
いや、私が連れて帰ってもらったともいえる。横井先生も一緒だから。


知恵ちゃんはのんびりとした印象なのだが、私の言うことをすぐに理解し的確に動いてくれる。
介助は最初の頃こそぎこちなかったが、すぐに慣れてくれた。




「わ〜お部屋からの眺めいいなぁ」




部屋に入った知恵ちゃんの第一声だった。
窓辺に近づき少しはしゃぐ様子は、普通の今時の高校生だ。
私はこのアパートに入ったときすでに見えなかったが、高いところの空気はわかるし、またムッシューが繰り返し情景を説明してくれたので見えるようにイメージできる。


「右に見える教会の手前に大きな白樺の木があるでしょう?そこを見ていてご覧なさい、カラスが来てね、小鳥を追いかけるから」


「あ!おっしゃるとおりですよ、すごい、なぜお判りになるんですか?」横井先生も知恵ちゃんも感心している。


私は、カラスの鳴き声が聞こえてくるのだと笑った。


さわやかな秋の風が部屋を通り抜ける。








「良いお住まいですね。それになんて綺麗にお過ごしなんでしょう。ゴミひとつ落ちていません」横井先生がやたら褒めてもくれる。
目が見えないから余計にゴミが判るのだと言うと感心している。


先生は、他の先生や生徒達と合流しないといけないといって、一人ホテルに戻って行った。






「知恵ちゃん、大変だったわね。リラックス出来るように、マッサージしてあげるわ」
遠慮する彼女の足をマッサージしながら、家族のことを聞いたり学校の事を聞いたりした。


「明日のフリーの時間だけれど、どこか行きたいところあるの?」


「はい、ルイ・ブライユの生家に行ってみたいのです。おばさんなら知っているかな、と思って」


「そうだったの。もちろん知っているわ。でも、なぜあなたがルイ・ブライユなの?」


「ん〜べつに、ちょっと見てみたいかなって」


でた!若い子の「別に」という言葉。
「何か」が無ければ、視覚障害者でもないのにルイ・ブライユの生家に行きたいなどと言い出すこともないのだろうに。


「べつにか〜そうなんだ」と、あまり追求はしなかった。






Louis Braille、ルイ・ブライユ(1809年〜 1852年)は、点字を作った人なのだ。


パリ東方60 km、イル・ド・フランス地域内にあるセーヌ=エ=マルヌ県の小さな村Coupvrayクープヴレの生まれだ。
父親が馬具や革靴などを制作する職人だったため、自宅の一階に工房を持っていた。
今もクプヴレ村ルイ・ブライユ通り13番地に彼の生家は点字博物館として公開されており生家が美術館になっている。


ルイが3歳の時、その工房で遊んでいて、父親が使っていた錐で誤って眼球を突き刺し左目を失明してしまう。
その後、感染症に罹って5歳で全盲となったという。


ルイはパリにある全寮制の盲学校に入る。
勉強していく中で、シャルル・バルビエ(Charles Barbier)という軍人の開発した「夜間に命令が出た時の暗号」として12点をつかって伝達する方法に出会い
アルファベットを表すためには6点あれば十分と考えたルイは、横2×縦3の現在の「6点式の点字」を発明したのだという。




世界中の視覚障害者がどれほど彼の発明の恩恵にあずかっただろうか。




私もムッシューに連れられて、ルイ・ブライユが入学し、その後教師としても活躍したパリの盲学校に行ってみたが、大人のクラスは無いとのことだったので、ルイ・ブライユの点字を明治23年に石川倉次が日本語用に翻訳し点字として認定されたもので勉強した。
11月1日は日本の点字記念日となっているという。




ムッシューの手助けのおかげで、今フランス語の点字の本も読むことが出来る。
だが、時代は変わった。
今では日本の代表的な出版社の多くが、電子書籍を作っていると聞く。


ベストセラーを含む多くの出版物を読み上げる電子書籍で常に提供してくれたら、紙の本の出版と同時に私達視覚障害者が読書を楽しむことが可能になり、いわゆる「バリアフリー出版」が実現することになるかもしれない。


今でもインターネットや携帯も音声サービスのソフトがあり徐々に点字の本は出版されなくなってきているが、それでもまだ、私のように点字で文章を読みたいという人は居て、それは同時にルイ・ブライユの名をいつまでも忘れないことにつながるだろうと思うのだ。




夜タクシーで知恵ちゃんをホテルまで送って、また朝も迎えに行ったのだが、なんだか騒がしいことになっていた。
前日スリ集団にカバンを盗まれてしまった引率の先生が警察に連れて行かれたからだ。
なんでもカバンの中には学長から預かっていた2千万円が入っていて、簡単に盗まれるなど怪しい、とのことだった。
知恵ちゃんのようにしっかりバックを離さず怪我でもすればよかった、とでもいうのだろうか?


第一2千万円もの大金が税関をすり抜けていたことも問題になっていたが、海苔の缶に入っていてわからなかったという。
学長の親戚でもある引率の年配の先生は、学長がフランスに塾を作る計画のための一時金を預かったと説明していた。


一騒ぎはあったが学校全体の旅行は続けるようで、フリーの日をグループに分かれて行動するのだと、横井先生が挨拶する。
私は知恵ちゃんと電車でクープヴレの町へむかった。


町は小さく、なんと駅前にその日営業しているレストランもカフェも無かった。つまり日曜日。
仕方なくサンドイッチでも買おうとパン屋さんへいくと、町外れにレストランがあるから行ってみたら、と薦められた。


レストランも小さく、食事に来ている人は数組それも日本人ばかり。
フランス人は一組で、後にそれはルイ・ブライユ美術館で働いている人たちだとわかる。
それほど小さな町なのだった。


美術館ではフランス在住の日本人カップルと、日本からは付き添い付きの視覚障害者の男性がルイブライユの生家の見学に来ていた。


バリアフリー出版が発達すれば、この美術館も訪れる人は居なくなるかもしれません、と親切な館長さんがちょっと寂しそうにつぶやく。


「いいえ、私のようにまだ点字の本を読むほうが好きな者も居ますから」そう、慰めたりした。
点字の歴代の器械や書物も沢山触らせてもらえた。




ルイ・ブライユのお墓にも行って見る。
お墓の前で、知恵ちゃんは私に気がつかれないと思っているのかこっそり涙を拭っているようだった。
この子には、心の奥に隠された何かがあるのかもしれない。




その時知恵ちゃんの携帯が鳴った。
ラインと言って無料で話ができると言う。


「おばさん、ラインで私のお友達になってよ」
「え?私に出来るかな」
「大丈夫私が設定してあげるから」と言いながら、ラインの相手と話し始めた、相手の声もはっきりと聞こえてくる。
見えない私にとっても、便利な物が出来たのだなとつくづく思う。


「あ、ごめんごめん、ター君、調べてくれた?」
「それよりチー姉ちゃん、怪我は大丈夫か?」
「ウン、平気。で、どうだったのよ」
「ああ、チー姉ちゃんの言ってた様に、横井先生はやっぱり昔ヨーロッパに行ってるし、恋人もいたらしいよ」
「やっぱりね。2千万はその相手のところかな」




え?え?何?この子達。
私は二人の会話を聞きながら、驚いていた。
のんびりとした風情の知恵ちゃんが、突然生き生きと話し出すし、どうやら相手は弟の隆夫君らしい。


「チー姉ちゃん、個人情報保護法でめちゃくちゃ調べるの大変だったんだからね。今度の作文の宿題メールで送ってくれよ。<太陽光発電と自然破壊>ってテーマだから」
「大変だったって、うそ。先生の学生の時の友達に聞きに行っただけでしょ。それに、もう、メール送ったし」
「え〜〜?届いてないよ〜〜」
「迷惑メールに入っているかも。見つからないように細工しておいたから」
「きったね〜〜っ怪しいことすんなよ。おばちゃんにくれぐれもよろしくって、パパもママも言ってたぞ、お便りしますって」
「はいはい、じゃね」
ライン無料通話の会話を終えると、私のタブレットをもって何か操作してくれている。




「知恵ちゃん、あなた横井先生を疑っているの?そういえばちょっと変なことがあったのよ」
私達は、帰りの電車の中で話し合った。


「そうだ、この前の晩、おばさんのアパートの玄関脇の棚の上に、袋が置いてあったのに気が付いたの。確か、おばさんちに入った時見なかった気がして、おばさんのお部屋どこも綺麗に片付いているのに、やっと手が届く上のほうとはいっても、無造作に置いてあるな〜って」


「そんなところに何も置いた記憶が無いわ。横井先生が隠しておく場所が無くて私を自宅に送ると言う理由をつけて、そこに置いたのだわ。
またきっと取りに来るつもりなのよ。あ、それから、先生の相手はすぐに判ると思うわ、先生の周りでこのコロンをつけている人が怪しい」
私はムッシューの使っていたオー・デ・コロンを出した。








横井先生は、昔の恋人に頼んで、引率の先生のバックを奪わせた。
しかし昔の恋人は一人だけターゲットにするのは怪しすぎると考えさらに仲間に頼みボーっとしている風情の知恵ちゃんを選んで、
バックを奪おうとしたが意外にしぶとく怪我をさせてしまった。
これは想定外だったらしく、横井先生も生徒を襲うとは聞いていなかったので相手と喧嘩したという。


だが、私が視覚障害者だと知り、先生にしてみれば渡りに船と考え直し、私を利用しようとしたのかもしれない。
自分には2千万円を受け取る時間がない。そこで病院を間違えたフリをして、私を待合に待たせている間、
元恋人から報酬を渡した残りを受け取ってバックに仕舞った。


その時も恋人と待ち合わせをしていたので、恋人の付けたコロンの匂いが漂っていたのだ。
あのアメリカンオピタルでのことだ。
先生は警察に荷物を調べられては困るので知恵ちゃんと私を送ることにして、私の家の玄関にある棚上部にお金の入った袋をおいた。
私は見えないだろうから、次回自分が取りに行くまで判らないだろうと思ったのだろう。


学長の親戚でもある引率の先生が運んだお金は実は2千万だけではなく、毎年修学旅行や研修旅行でパリに来る度に隠し口座を利用し、すで10億になっていたことが判った。




横井先生は、「奪ったお金を日本に持ち帰り不正を暴くつもりだった」と供述しているとのことだったが、真実はわからない。




「おばさん、また遊びに来ていいですか?」
「もちろんよ、今度は隆夫君やパパやママともいらっしゃいね」


しっかりとハグをする。


親戚などほとんど付き合いのない私だが、この子なら姪っ子でもいいかな、と思った。






携帯がなった。
常連のお客様だ。
「おはよう。姪御さんは帰ったんでしょう?お邪魔するわよ。あなたラインはじめたの?アドレス載っていたわよ」


ヤダ、知恵ちゃんったら、気を利かせたつもりだったのだろうけれど・・・
これで、また強引な井藤さんに負けちゃうな。
便利なのも、考えものよね、と私はため息が出た。



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ルイ・ブライユの生家