小説 桜吹雪の中 by Miruba




ほどまで降っていた雨がやんで、急に薄日が差してきた。
水滴が桜の葉を輝かせ、花びらのピンク色が増したように見える。
空気を重くさせる霧雨のなか、夕暮れで人気の無い公園を支配する静寂に、おとなしくしていた小鳥達がはじけたように一斉にさえずりはじめた。


満開の桜の中、その美しい景色を贅沢にも一人満喫している。
だが、むしろ気持ちが沈んでいくことを抑えようも無い。


_やはり今日もだめだったか_
ソー公園にたたずんだ夢月(ゆづき)は軽くため息をついた。






毎年というわけにはいかないが、フランスには3年か4年置きには来ている。
それも桜が満開と言われるころに。


夢月の住む向島の近くにある墨田公園にも、江戸時代に8代将軍・徳川吉宗が桜を植えたのが始まりと伝えられる約640本の桜があり、季節ともなれば隅田川の屋形船に乗って両岸の桜並木を眺める事も時にあるが、東京の桜が終わる頃、緯度が北にあるパリ、ソー公園の桜が今度は満開を迎えるので、フランス行きの飛行機に乗るのだ。




パリ近郊線RERのB線、パリ中心地から南にのびるRobinson(ロビンソン)行きに乗車する。
Sceaux(ソー)にて下車して約800m程歩くと、ルイ14世のもとヴェルサイユ宮殿の庭を手がけた造園家ル・ノートルによって設計された220haの広さを持つ公園が現れる。
フランス革命時、公園は荒れ果てるが半世紀後ル・ノートルの設計が再現され現在に至るという。
丘の頂上にある城館はイル=ド=フランス博物館となっている。




夢月は、毎回その道すがらも、行き交う人を気にかけながら歩いたが、やはり玲斗を見かけることは無かった。




大使館に勤めている父親の転勤で、小学生から中学になる頃の4年半をパリで過ごしたのだが、玲斗の母親と夢月の母親が日本人会での友達になり、自然に子供同士も仲良くなった。




休暇を共に過ごした懐かしい日々、特にソー公園で遊んだ想い出は忘れられない。
皆でボールを蹴ったり、両親達が桜の木々の下、芝生でピクニック風に食事をしたり、カメラに向かって笑顔で写る構図。
写真を見ると懐かしさで胸が締め付けられる夢月だった。


だが悲しきかな転勤族の父親に連れられ、玲斗とは別れ別れになった。
花吹雪の下で、「桜が満開の頃またきっと逢おうね。」と約束したが、子供だった玲斗や夢月には無理な願いだった。
父親の転勤でアフリカの各地を移動している間、玲斗の両親が離婚して、音信が途絶えた。




大学生の頃、2年だけだったが父が再度パリに赴任になり、玲斗に逢えると喜んだ。
だが、どこを探しても玲斗の影は無い。


夢月は桜の季節にソー公園に毎日通った。
もしかしたら、玲斗が来るかもしれないと思ったのだ。
結局2年目の桜が散っても、その姿を見る事は無かった。


だが、両親と桜を見に来ていて、ふとあの幼き日玲斗と桜の大木の根元にお弁当で持ってきた小さなタッパを埋めたことを思い出した。


まさか、あるわけが無いと思いながらも周りを気にしながらそっと地面を掘ってみると、タッパの代わりにステンレスで出来た小さなピルケースが出てきた。


容器には REITOからYUZUKIへと彫ってある。


なんともいえない喜びに夢月は体が震えた。


タッパの中には落ちた桜の花びらしか入れなかったが、ステンレス容器の中には小さな手紙が残されていた。


「今年も逢えなかった夢月へ
いつか逢える日が来るだろうか。」


住所はなく父親の再婚した新しい母親と上手くいっておらず寂しい、というようなことが書いてあった。




誰に見られるかも、掘り起こされるかもしれないことを考え、住所も電話番号も残さなかったが、夢月も返事を入れておいた。


「いつか桜の満開の時に逢おうね。毎年は来られないけれど、きっとこの桜と玲斗に逢いに来るわ」








あれからすでに15年は経とうとしている。
ずっと玲斗のことばかり考えていたと言うつもりは無いが、何故か他の恋が上手くいかないのは、ソー公園の桜が原因のような気がする。


毎回容器を掘り出すけれど、返事はなく見た様子も無かった。




「きっと、忘れちゃったのよね」夢月は、桜の木に話しかけた。


春の天気は気まぐれだ、風が出てきて満開が過ぎた桜の花びらが宙に舞っている。
先ほどの太陽は雲に隠れ、夢月は肌寒さを感じ、ステンレスの容器をまた埋め込んで、立ち上がった。




遠くからコートを羽織った男性が桜吹雪のなかこちらに向かって歩いてくるのが見えた。


人の存在に気づき驚いたように立ち止まってじっとこちらを見ている。


顔が一瞬泣きそうになって、でも直ぐに笑顔になった。


様子はすっかり変わってしまったが、その目にはあの幼い頃の懐かしい瞳が宿っていた。






玲斗!




叫ぶ夢月を、玲斗が両腕を広げ、迎え入れた。




灰色の空をピンクに染め、桜吹雪が二人を包み込んだかのようだった。